カメラ



若者が携帯電話を常に手放さず、観光地のみならず冠婚葬祭の席でまで、斜め前にそれを掲げて、わざとらしいシャッター音を鳴らすのを見ていて、どこか違和感を感じるのは、俺がもう古い人間だという証明なのだろうか。きっと多くの中年男性が、私と同じような感覚であることだろう。

確かに俺は、『ボウインマンミュージック代表取締役』の名に相応しい、立派な中年では、ある。

だが、この『中年』という定義は、『少年』や『青年』に比べて、随分広いのではないかと思う。
私は昔からよく、所属している唯一のバンドや社員を「若い奴ら」と呼んでいたが、気がつけば彼らももう、いい年だ。奴らが30代になったときに、あまりにも早い時の流れに圧倒されたものだが、ここ近年、彼らが40の声を聞くようになっての感慨たるや、かつてのそれとは比較にならなかった。
丁度その頃、バンドは活動を休止していて、以前のように毎日ほど顔を合わせなくなっていたのも大きかったのかもしれない。だが、実感したのは、その中でも割と行動を共にしていた吉井が、昔のチャラけたキャラクターをどこかに押しやり、苦悩と憔悴と安定の日々を送っていたからだ。

もう解散したい―――-・・・それを言い出した彼の横顔は、まだ残る青年の面差しに加え、確かに中年の懊悩を湛えていた。俺も年をとる筈だとしみじみ思った。

そう、確かに『そのときは』思ったのだ。

俺は、さっきからズキズキ痛むこめかみを揉みながら、ライブの為、現地へ向かう移動バスの前方でじゃれている馬鹿者2人を睨んだ。


「エーマちゃん、こっち向いてー
「馬鹿、吉井。もう、触ったらダメだってば。マニキュアまだ乾かないのに」
「あ、その顔可愛い!一枚、一枚」
「一枚って・・・お前、今日だけでも何枚撮ったと思ってんの?」
「え?今日のぶん?えーっとね・・・ダメダメ、まだ10枚も撮ってない」

そう言って、吉井はまたエマに携帯を向け、わざとらしいシャッター音を鳴らした。
俺が去年、「携帯サイトも充実させるから、お前もいい加減新しい機種に変えろ」と言った時は「いいよ、めんどくさい。若者じゃあるまいし」などと言っていた人間と同一人物とは思えない。
ここ最近の吉井といえば、常に片手に煙草、片手に携帯という状態でエマを追いかけまわしている。わが社の同行スタッフの田中から、そんな報告を聞いてはいたが、まさかここまでとは思っていなかった。
他のメンバーやスタッフは既に見慣れた光景らしくつっこむ者もいないが、近寄るものもいない。
とはいえ、白い目で見ているのではないようで、興味津々の視線を2人は集めていた。
バスの前半分は、奴らの独壇場である。
どうやら、2人は無意識のうちに、退屈な移動時間の娯楽を提供しているらしい。

「もう!塗れないからあっち行く!」
「えっ?エマ、どこ行くの?」
「向こうの席!」

通路を挟んで斜め後ろの席に移動するエマは、この状態に水を差して吉井を冷静にさせようとしているのか、それとも本当に単に邪魔なだけなのか・・・。

「マニキュア乾くまで、追いかけてきたら絶交」

宣言は勇ましいが、40過ぎて『絶交』は無いだろう?しかも『マニキュア乾くまで』という限定が、やはり彼の対応の原因が後者だったことを物語る。

そして吉井は、もはや下を向いて項垂れた犬の耳が見える状態で、腹いせに日下部さんをからかいに行った。
だが、そうすると今度はエマはそっちが気になるのか、チラチラと後部席を見るのだ。
吉井はしてやったりの顔でエマに近づく。だが、エマは隣の座るのを許さない。
やっとのことで大人しく元の席に座った吉井にほっとしたのも束の間・・・おもむろに手をかざして、離れた席のエマとのツーショットを撮るのに余念がなかった。
もう少しで、「おまえはストーカーか!」と叫びそうになるのを堪えていたら、更に通路に身を乗り出し、真剣にプロテクション用のマニキュアを塗っているエマをズームで撮っている。
シャッター音に気付いたエマが、塗り終わったマニキュアの瓶を吉井に投げつけるのを見て、車内がしのび笑いに揺れた。

だが俺は。
奴らが単にふざけているだけではなく、本当に存在する執着というか・・・愛情生活を知っている俺は、はらはらして同じように笑えない。

――――・・・あまりにも度を超えるようなら、吉井から携帯を取り上げないと・・・。

どこまでエスカレートするのかわからない惚気行動に、俺は力なく天を仰いだ。

中年になってしまったと思っていた吉井の翳りは、単にあのときエマが傍にいなかったからだということに今になって気付き、俺は「人間、気の持ちようで世代というものを簡単に超えられるもんだな」と、妙に感心してしまった。
なんせ今の吉井の瞳は、かつて金色に髪を染めて、鼻持ちならない若造だった頃のそれと同じように、未来に対する希望でキラキラ輝いていたから。
そしてそれは、エマもまた同じように。


翌日のライブ本番中、俺はこっそりと吉井の携帯を盗み見してみた。
案の定、吉井の携帯のデータフォルダには『エマ』という別フォルダが存在していて、それがこのツアーに入ってからだけで既に100枚を越す、『1/28ごはん』『2/1着替え中』『2/11歯磨き中』などという下らない写真で埋め尽くされていた。
興味はあったが、怖いのでメールまでは見るのをやめた。


まったく、中年というものは、他の世代に比べて、更に千差万別である。
いや・・・そもそもあいつらはまだ中年ではないのだ。時代が如何に変っても、便宜上の年齢を重ねても、一緒に行動していれば、吉井はいつまでもキラキラと華やいでいるし、エマは相変わらずマイペースに可愛らしい。

仕方ない。取り上げるのはやめておこう。

そう思えば、吉井のこの凄まじい量のエマの写真も、何かの貴重な記録のような気がして、俺は苦笑交じりにそっと携帯を鞄に戻した。

ステージで、昔と変らず
「ロビーン!」
「エマーっ!」
という熱狂的な歓声が炸裂するのを聞きながら。



end



三分の一はノンフィクション(笑)

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