親子 |
「・・・あら、吉井くん・・・?」 女性の声で呼びかけられてベッドから身を起こし、ドアノブを握ったままの声の主を認めて、俺は硬直した。 とんでもないことが起こった。 冷静に考えてみれば、可能性として無かったわけではないのに、現実にこういう事態が起こることを想定していなかった。 背中に冷たい汗が流れる。 そりゃ、俺は散々今まで思い知ってきたさ。菊地家は、今時サザエさんでしか見かけないくらいの仲良し家族だってことは。 家に行ったことだってあるし、それ以前に、長い付き合いの弟からしてアレだもん。兄弟がああなんだから、そりゃ親だって仲良しだよ。不思議は無い。 でもさ。 いくらなんでも、40も超えた息子の、一人暮らしの部屋の合鍵を、お母さんが持ってるとは、普通思わないじゃない!? いや、俺も悪いかもしれないよ? なんたって、今はまだ宵の口なんだし。 でもさ、俺らの商売、土日が休みなわけじゃなし、昼夜だって逆転しがちじゃない。 現に俺もエマも、一昨日の午後から今日の朝までぶっ続けで仕事してたんだしさ、明日も朝からリハだから、エマんち泊まることにしてたし、帰ったらまず眠るじゃない。クタクタなんだから。 でも、夕方になって目が醒めて、すっきりしたら・・・隣で恋人が寝てる訳でしょ? 手を出すじゃないですか、そりゃ。 美味しく頂いたら、その過程として、素っ裸なのは道理。風呂好きのエマが、終わったあと、先にシャワー浴びたいのもいつものこと。 この後メシに出ようとは思ってたけど、エマはどうせ長風呂だからって、俺はそのままでゴロゴロしてたよ、確かに。とりあえず、せめて下半身が布団の中で助かった・・・。 インターフォンが鳴ったのも気付いてたよ。でも俺が出るわけにも行かないじゃない。 それにエマは、俺が来てるときは、アポなしの来客は無視するから、放っておいていいと思うじゃないか。 だから。 まさか、お母さんが合鍵で入ってきて、しかも勝手に寝室のドアまで開けるとは・・・誰が想像できる? 「英昭はどこかしら?」 「え・・・っと、今、シャワーを」 問いかけられるままに、正直に答えて、俺は直後に『しまった!』と思った。 裸の他人が息子のベッドで寝てて(しかも男)、我が子はその間にシャワーを浴びてる(しかも男)・・・、この状況を、なんと誤魔化せばいいんだ!? 今まで、なんだかんだで巧くやってきたと思ってた。 ステージでは散々お目にかけてたけど、プライベートは別だと、ご両親は思っていたに違いない。 それをこんなふうに暴露してしまって、お母さんのショックは・・・! この所為で、仲良し家族の菊地家に皹が入ったりしたら、俺はどうやって償えばいいんだ。まして、エマが勘当なんてことになったら・・・! 何かいい言い訳は無いものかと、脳内をフル回転させてみたが、パニックも手伝って、なにも浮かばない。 どうしよう・・・どうしよう! 「吉井ー、お風呂空いたよ。オマエ出たら、タオルも入れて洗濯機回しといて・・・・・・あれ?お母さん、来てたの?」 悩んでるうちに、ぽわんとした声と共に、バスローブを羽織ったエマが風呂から出てきた。 寝室に入ってくるなり、母親を見つけ、普通に声をかけてる。 が。 ・・・焦ろうよ、エマ。状況が状況なんだから。 のほほんとしたエマに対し、だけどお母さんは鋭く声を荒げた。 「英昭!」 そりゃそうだよ・・・。もうなんの申し開きもできない。 ここは謝るしかないだろう。そして・・・いい機会だ、正直に話すべきか。 とりあえず、俺はベッドの下に脱ぎ散らしたジャージを拾って、大急ぎで土下座の準備をした。 「申し訳ありま・・・」 「あなたって子は!」 だけど、謝る機会さえも与えてもらえない様子だ。 ベッドから飛び降りて正座している俺には目もくれず、お母さんはエマを見据えた。 エマも流石に剣幕に気付いたのか、しゅん、と萎れてる。 俺はこのあとやってくるであろう、罵詈雑言を受け入れる覚悟で、深々と頭を下げた。 お母さんが、大きく息を吸い込んだ。・・・いよいよだ。 「吉井くんがいるのに、先にお風呂に入るなんて、失礼じゃない!」 ―――――・・・は? 俺は、土下座のポーズのまま、自分が今、何を聞いたのかを脳内で反芻する。 えー・・・っと、テーマは・・・風呂の順番・・・? 「でも、吉井はそんな、お客っていうほど改まってないし・・・」 「親しき仲にも礼儀ありって言うでしょう。お母さんはそんなふうに育てた覚えはありません」 「吉井が先に入っていいって・・・」 「そういう問題じゃないの。それから、洗濯機くらい自分で回しなさい」 「だって吉井の使ったタオルだけ残ったら面倒くさいじゃん」 「吉井くんがお風呂から出てから、あなたが洗濯すればいいでしょ?」 「・・・だってぇ・・・」 「だってじゃありません!」 お母さんの予想外の叱責に、俺は土下座ポーズをどうしていいか判らない。 「で、お母さん、何しに来たの?」 「ああ、そうよ。忘れるところだったじゃない。北海道のおばさんからね、じゃがいもを沢山戴いたのよ。だから肉じゃがにして持ってきたの。今夜にでも食べなさいな」 「あ、ありがと。でも今夜はご飯食べに行くんだよ」 「そうなの?あなた、ちゃんと自炊してるの?」 「してるよー。・・・時々だけど」 「外食ばかりじゃ太ってしまうわよ。吉井くん、疲れてるんだから、あなたがきちんとなさい」 「俺だって疲れてるもん」 「そんなことばかり言って。・・・ごめんなさいね、吉井くん」 急に呼びかけられて、俺は慌てて頭を上げた。 謝ろうと思ってたのに、謝られたから面喰らって、我ながらぽかんとした表情してるに違いない。 「英昭、我侭に育ってしまって。吉井くんには申し訳ないけど、末永くお願いします」 「―――――へ?・・・あ、はぁ・・・」 「お母さん、用事終わったんだったら、もう帰ったら?」 「帰るわよ。どうせお邪魔ですからね」 「そんなこと言ってないじゃん」 「言わなくても顔に書いてあるわよ。だけど、ほどほどになさいな?若くないんだから」 「大きなお世話!」 思いがけないからかいに赤面しつつ、エマはお母さんの背中を押して寝室から追い出した。 キッチンのほうで 「タッパーに入れてあるから、このままレンジで温めるのよ」 「はーい」 「それからこっち、お漬物。吉井くん、古漬けなんて食べるかしら」 「ああ、食べる食べる。あいつああ見えてオヤジだから」 「そんなことばっかり」 なんていう会話が、まだ続いてる。 俺はフリーズしたままだ。 えーっと。 えーっと・・・。 いったい、何が起こったんだっけ? 俺ってもしかして、親公認なの? いや、はっきり言われたわけじゃないけど。 全国的に公認だとは思ってたけどさ・・・。 やがて、お母さんを追い返したらしいエマが寝室に戻ってきた。 「もう、いきなり来て説教だもん、びっくりするよね」 「・・・・・あのさ」 「んー?」 怒られても外食する気満々のエマは、クローゼットからセーターを引っ張り出してる。 「お母さんに言ってるの?俺のこと」 「へ?」 「いや、てっきり驚かれると思ってたからさ」 微妙に言葉を選んで肯定の返事を待った。 「別に、改めて何も言わないけど・・・ライブ見に来てるんだから、解ってるでしょ」 「・・・・・・・・・・・怒られたり、してないの?」 「なんで?」 心底解らないという顔で、エマが着替えの手を止めた。 だって普通なら、悲しんだり怒ったりするでしょう。 普通だったらさ!現場見たらさ! っていうか、「なんで?」って・・・聞いてる意味くらい解ろうよ! いや、悪いことしてるとは思わないけど。 そりゃ反対されるより認められてるほうが嬉しいけど。 何をどう言っていいか解らなくなって口をぱくぱくしてる俺の前にしゃがんで、エマが不思議そうに小首を傾げた。 「つーか、オマエ、なんでそんなとこに座ってんの?」 ――――なんでだろう? すっかり混乱したままの俺の頭に、たった一つの単語だけがぐるぐるしていた。 『恐るべし、菊地家』 彼女はやはりエマの母だけある。 そしてエマはやはり彼女の息子だけある。 天然という言葉の範疇を遥かに超えた、まるで大自然のように素直な親子の、そのスケールに。 今更ながら度肝を抜かれた、 吉井和哉、39歳の冬の出来事だった。 end |
こんなだったら可愛いなー、と思って。 |