泣いて泣いて泣いて


自分でも、最近ちょっとヤバいなぁ、と思っていた。
まずイライラする。今やってる作曲がちょっと行き詰ってて、その上ツアーで忙しいからだと思う。
多分、でもそれだけじゃない。
届くわけもない、エマへの想いに心が痛くて、素直にそれを詞にしたら、どれも全部が同じ内容になってしまう。
だから自分に嘘をついて、本当は今は考えたくも無い別れ歌や、どこか嘘っぽい幸せな恋の歌も作る。ともすれば空虚になってしまうそれらを、必死の思いで綴って形にするのに、なんだかとても疲れてた。


そこへ、追い討ちがきた。

今日、昔の友達が地方のライブを見に来てた。
そのライブの出来は、自分でも最悪で、かなり参ってたけど、せっかく来てくれたのに、無碍にするわけにはいかない。「友達に会ってくるよ」と楽屋を出て行く俺を、元気付けるみたいにヒーセとアニーが茶化して何か言ってたのが、また耳についた。
エマだけ、そんな俺に何も言わずに、すれ違いざま、軽く背中を撫でてくれた。
けど、それさえもなんかうざったかった。

待ち合わせは、駅前のバーだった。
夜だというのにグラサンをかけたまま入ってきて、スツールに掛けてやっとそれを外した俺を、友達は一旦は暖かげな瞳で迎えてくれた。
バーテンはその店は女の子で、俺を見て気付いたみたいで、物珍しそうに凝視して、明らかに注文を聞く声が弾んだ。

頭が痛い。

何杯かのグラスを開けて、友達も仮面を脱ぎ始めた。

「夢を叶えたヤツっていいよな」

聞きたくない話が始まることを予感した。今までに何回もあった、こんな話題。

「今日のライブ見ててさぁ、すっげぇ思ったよ。お前に狂ったファンとか、すげーキャーキャー言っててさ。昔の吉井の面影なしだよなぁ。すっかり有名人じゃん。やりたいことやって飯くって、ホント羨ましいよ。楽しそうだもんなぁ。俺も音楽やめてなかったら、そんなふうになれたのかな。今なんか、しがないサラリーマンでさー。家に帰ったら嫁さんと子供が騒いでるばっかだよ。お前の歌ってる恋愛なんか程遠いよな。忘れちゃったよ、あんな感情。ホント、夢みたいな生活だよな」

頭が痛い。

「いや、これでもイロイロあるよ。楽しいことばっかりじゃないし。今日のライブとか、最悪だったし」

思わずそう返すと、友達はなんだか耳につく笑い声を上げた。

「あれ、最悪なんだ。わっかんねぇよ。俺ら凡人には。昔だったら、お前ダメだと思ったら、ライブ切り上げたりしたことあったよな。そういうんだったら判りやすいんだけどさ、ノリノリだったじゃん。贅沢な悩みだよなー」

いいよなー、才能のあるヤツは。と、またそいつは繰り返す。
俺は怒り出さないように、膝の上で拳を握り締めた。
よくあることじゃないか。こんな、やっかみみたいなことを聞くのは。
大昔のインディーズの頃とは違う。飲みにきてんのか、聞きにきてんのか判んないような客の前で歌うのとは違う。今、俺らはプロなんだ。そんなことができるわけがないだろう。冗談にも無責任なこと聞かせてくれるなよ。苛つくんだ。腹がたつんだよ。

「そんなに言うなら、やめなきゃよかったのに。音楽」

ほら。我慢しててもつい声が尖りそうになる。
だけどこいつは気付きもしない。

「やー、俺にはお前みたいな才能ないからさ」

ムカつく。ほんと、もうやめてほしい。

「しかし、アレ、笑えるよな。あの曲…、なんだっけ。ギターのやつにすごい絡むやつ。俺、大笑いしないようにすっげ堪えたっつーの。めちゃウケまくり!女の子とかさー、喜んで見てたじゃん。ありえねー!ギャグだろ?あれ」

苛つきが、限度を超えて憎悪になった。

―――――人の気も知らないで!

「帰るわ、俺。頭痛くなってきた。明日もライブだし、体調整えるわ。――――プロだから、甘えは許されないし、俺」

席を立つと、くしゃくしゃの万札をおいて、後ろも見ずに、俺は店を飛び出した。


なんてことを。
何しにきたんだ、あいつ。
やっかみならいくらでも我慢してやるさ。
でもそこは、俺の逆鱗だってんだよ。何がギャグだよ。
こっちはあの瞬間しか、愛しい人に触れることもできないんだよ!
しかも客どころか、あの人自身にも俺の気持ちなんか届いてねぇよ。
その程度の表現力よ。何が才能だ、ばーか!
悪かったな、大笑いしそうでさ。んじゃ、二度と見にくんなよ。

まず・・・なんか、すごい機嫌悪くなってる。
こんなんじゃ、また明日のライブにも響く。

早く一人になろう。シャワー浴びて、すこし飲みなおして・・・、それから眠ってしまおう。

ホテルのロビーでは、幸い誰にも会わなかった。
よかった・・・誰かに会ったら、また気をつかわなきゃいけない。これ以上疲れたくない。メンバーとか、今日の出来を気遣って誰も尋ねてこないといいけど。
早く眠りたい。

ああ・・・でも。
すこしは曲、すすめなきゃ。ホテルだから今日は詞か。あの、おとといのヤツ、微妙に音数あってなかったよな―――・・・。

あれ?


なんか・・・

なんだろ。
すげ、泣きそう。
くだらないことで泣くなよ、俺。

詞をかかなきゃ。
――――でも、書きたくない。
明日のライブに響く。
――――本当は今の気分じゃ歌いたくない。
眠りたい。
――――本当に眠りたいの?


エレベーターを降りて、重い足取りで部屋に向かう。
ポケットからカードキーを取り出して、視線を上げて―――-・・・。

息を呑んだ。

俺の部屋の前に、エマが座り込んでる。
なにやってんだ、あいつ…。

「あ、吉井、おかえりー」
「何してんの…」
「待ってた」
「なんで?」

ライブの出来とかで落ち込んでると思って、慰めてくれようとかした?
ふん――――…本当は俺がどうやって慰められたいかも知らないくせに。

「吉井が呼んでると思って」

呼ばないよ。一人になって眠ろうと思ってたんだよ。
俺の気持ちも知らないくせに、自分だったら俺を癒せるとでも思ってんの?思い上がりだよ、エマ。

「なんてねー。ホントはみんなで飲んでたんだけどさ、俺、疲れちゃって先に帰ってきたの。そしたらさぁ、英二に俺の部屋の鍵、預けっぱなしだったんだよね。…ほら、俺よく忘れてくるから、あちこちに。
で、吉井帰ってきたら部屋に入れてもらおうと思って」

・・・あ―――・・・・そうですか。
なんかもう、ほんと、うざったい。
愛しいはずのこの人まで自分勝手に見えてしまう。・・・・ほんと、うぜぇ。

・・・・・・・・・・・・ホントに?

「いいけどさ、俺、今日機嫌悪いから、一緒にいたら余計疲れるかもしんないよ。多分、黙ってるし」

何だ、俺。嫌われようとしてんのか?こんな言い方。
絶対、エマ、気を悪くしただろうな。

けど、エマはそんな俺に何も言わないで、笑って立ち上がった。

「いいよ。黙ってんなら俺も黙ってるし、飲むならつきあうし」

何だよ。珍しく優しいじゃん。

「じゃあさ、やらせてって言ったら、それも付き合ってくれる?」

部屋に招きいれ、いつになく優しいエマにさえ苛立つ俺は、ベッドに押し倒して、わざと低い声で囁いた。
嫌うなら、嫌えよ。
今だったらあんたのこと、諦められるかもしんない。

でも。
エマは。
怒るどころか、驚きもしなかった。
じっと俺の目を見たまま暫く黙ってる。
――――なんだよ。
俺は、本当に今、機嫌悪いんだよ。黙ってたら犯すぞ。

「うそつき」
「…え?」
「吉井、そんなことしたいんじゃないでしょ」

なに言ってんだよ。したいよ。この苛立ちに任せて、あんたのその訳知り顔、滅茶苦茶にしてやりたいよ。
それをそういう逃げ口上かよ。最低だな。卑怯だよ。

「今、もっとして欲しいことがあるんじゃないの?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・え?

嫌がらせみたいに圧し掛かられたまま、エマは身を捩って両手を自由にした。
そして思いがけない言葉に面食らった俺の背中に、そっと手を回し、

ぽん、ぽん、と。

小さい子をあやすみたいにリズムをつけて何回も手を置いた。

「あのね、俺ね。実は帰る途中に吉井のこと見かけたんだよ。それで、すごい怖い顔してたから、友達とも嫌なことがあったんだろうなって思ったから」

「・・・・・・・」

「だから、無理しなくていいから」

「無理なんか・・・今、別にエマに気をつかったりしてるようには見えないでしょ。第一、俺が何を言われたかも知らないじゃん」

「何言われたの?」

「別に。褒められたよ。ライブすごかったって。才能あるやつはいいねってさ」

そっか、と呟いて、エマは俺を・・・・・・
ふわりと抱きしめた。

「つらかったね」




――――――――――――――――――――――――――――あ・・・。



堪えていたものが。
それは、涙が。
不意に、ぽつりと零れて、エマの髪に吸い込まれていった。



届かないなんて、嘘だ。
才能があると言い捨てられる辛さも何もかも、この人には、この人にだけは、全部届いてるのに、
うざったいなんて、嘘だ。本当は、ドアの前にエマがいるのを見たときから、俺は…俺は…。

こうしてほしかったんだ。他でもない、エマに。


堰を切ったように、嗚咽が漏れた。
エマはあえて俺の涙を見ないようにしてくれながら、ずっとずっと、俺をあやし続けた。

俺の涙で、エマの髪がどんどん濡れていく。
その一滴ごとに、俺の苛立ちが消えていく。

ああ・・・そうだ。たとえ、この人と俺の間にあるのが、恋じゃなくても。
恋じゃなかったとしても。
こんなふうに泣かせてくれる人を与えてくれて、ありがとう――――神様。


「ごめ・・・えまさ・・・、俺・・・」
「なに?」
「酷い言い方・・・さっき」
ひとしきり泣いたら、今度は反省がやってくる。こんなに優しい人に、俺、さっき苛立ちまぎれに酷いことをしようとした。
「ああ…いいよ。気にしてない。
吉井はさ、落ち込んでると、自分に向けられる感情が、全部悪意だと思っちゃうんだよね。だから友達のやっかみ混じりの軽口も、俺の行動も、悪意にみえたんでしょ」

ああ、ほんと…この人は、なんて。
だけど、だけど!

「でも、あいつ、俺とエマの絡み見て、ギャグだって言ったんだ!笑い堪えるのに必死だって!その程度の表現力しかない俺に向かって、才能あるとか言うんだよ!?悪意じゃん」

一番癇にさわったことを、甘え半分ぶちまける。するとエマは、きょとんとして、次にプッと吹き出した。

「だってギャグでしょ」

「え・・・・・・」

マジですか?まさか、エマにまでそう思われてるなんて・・・・。撤回。辛さは届いてても、恋心はやっぱり届いてないようです。全ては届いてないようです、神様・・・。

「だってさぁ、知り合いのラブシーンなんか、ギャグじゃん。
吉井だって、ヒーセや英二が女とか真剣に口説いてるとこ見たら笑うでしょ?」

へ?

「そりゃ・・・まぁ・・・、笑うかな」
「でしょー?俺でも笑うよ。だから、知り合いなんだから仕方ないよ」

あ・・・そういうことか。
なんか。自分がアホみたいに思えてきた。

「でも、興味本位でちょっと見たいかな」
「俺もー」

エマを抱きしめていた腕を話して、隣に横たわり、片肘を枕にエマを見下ろした。
隣に寝転がったままのエマ。あ、なんかこれ・・・まるで恋人みたい・・・。
ヒーセはくどき文句も江戸弁なのかな、とか、アニーは真剣に口説くほど墓穴ほりそうだよね、とか、くだらないことを言いながら、頭の中で更にくだらないことを考えてたら、エマは「んー・・・」と、すこし考えて、俺のほうに寝返りをうって言った。

「でも俺、吉井が誰か口説いてるとこは見たくないかも」

え?
それってどういう・・・

おもわず聞き返そうとしたら、
「さて、そろそろ部屋に帰ろっと」
と、勢いよくエマが起き上がった。

見れば、なんだかエマの目元がふわっと紅くなってる。

え?うそ。
これって、もしかして・・・俺って・・・え?
まさか、脈、アリ?

だけど。

「あ、顔赤い。結構飲んだしなー」

空けたままになってたドレッサーの鏡を通りすがりにちらっと見て、エマはそうのたまってくれた。
なんだよ!そういうオチかよ!ずっと赤かったわけね。ふん!

あれ?でも、エマ、部屋に戻るって、鍵・・・・

それを思い出して、呼び止めようとして、エマの皮パンの後ろポケットから、カードキーがちらりと覗いているのを見つけた。

まったく、この人って・・・・。
いいよ。気付かなかったことにしとこう。優しい人。俺の場合、一旦怒らせたほうが、すっきり泣けるって知ってるんだね。
ホント、適わないよ、あなたには。

「ありがと、エマ」

出て行くエマに小さくそれを伝えると、エマは振り返ってにこっと笑った。

その顔が、既にもう赤くないのを認めて、俺はエマを好きになって良かったと思った。
この恋をしていて、本当に良かったと思った。


今度は苦しくない、暖かい涙が、ひとりの部屋で静かに流れた。


end




どうしたエマ!優しいぞ?気の迷いか?(笑)
また片思いです。実は両想いちっくなのが、俺の甘さ(っていうか夢見がちなところ)いいやん・・・好きなんやもん。
この話はアレですね。昔、「吉井はよくナーバスになって、それがツアー中とかだと手がつけられなくて、夜とか大変。その先は、ちょっと言えないんですけど」という、エマご本人さまの発言を思い出して書いたもの。一体、夜、エマは何が大変なんだろう・・・。そして、言えないその先のことって何だろう・・・。更にそんな大胆なことを(勝手にもう何が大変か決めてる)、テレビで言ってしまっていいんだろうか。…いまだに気になります。

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