プレイヤー
吉井和哉の機嫌が、朝一番から良くないのは誰の目にも明らかだった。
まず第一に暑い。
これはどうしようもないことではあるが、頷ける要因ではある。誰でもこの酷暑は耐えがたい。
恐らくそれに連動してだろう、数日前に自分で決めておきながら、衣装が気に入らないと言い出した。
そこへ間の悪いことに、吉井が「これ」と決めていたケーブルと違うケーブルが来ていたことが発覚する。ただし、同じメーカーのレベル的にも大差のないものだったから、普段なら「気をつけろよ」くらいの文句で済んでいたところが、かねてよりの不機嫌の所為で100倍の嫌味となってスタッフたちに降り注いだ。
更に彼は今禁煙している。
苛立ちもあって、無意識に手を伸ばしたポケットの中に煙草がないことでそれに気付いて、更に機嫌が悪くなる。
更に何をどう間違ったものか、配られた弁当には、嫌いな煮豆が大量に入っていた。しかも何故か吉井にあてがわれたパックだけ明らかに他のに比べて倍の量があった。
パックをあけた瞬間に凍りついた吉井の表情を見て、周囲の誰もが声にならない悲鳴を上げた。

手持ち無沙汰に携帯を弄りつつ、弁当は一瞥しただけで遠くに追いやり、「何か他のもの買って来ましょうか?」と提案しようが、お茶を薦めようがコーヒーを勧めようが水を薦めようが、「いらない」の一言さえも無しに無言で拒絶し、そろそろ2時間ばかり嫌味以外のことは言わない、姑のような状態の吉井にその場の全員が辟易し、誰からともなく唱え始めた。

「菊地さん、早く来て下さい!」

そう。
今日はエマの到着が遅いのだ。
そして吉井の不機嫌は、勿論それが最大の理由である。
しかもその理由が凄い。

「墓参りしてから行くから」

夏フェスは盆の時期と重なりやすい。
菊地家は相変わらず磯野家なみに律儀だった。
親戚と家族と、打ち揃って早朝に墓参りを済ませ、エマはそれから来るというのだ。
最初、吉井は墓参りに「俺も行く」と言っていた。
だがどれほど実家にも受けがいいと言っても、いくらなんでも常識はずれな発想に、ブラコンの弟が一言
「アホ」
と言ったので、流石に断念したものの、不機嫌は乗算された。

「なんだよ、仲間はずれにしやがって・・・」

未だに吉井はそのことをブツブツ言っているが、そもそもそういう問題ではない。

結果、半ば想定されてはいたが、『エマは2時間遅れての入り』と通達されていたのに、2時間半経った現在、まだ到着していないのが明らかに災いしている。

そしてその餌食になった男がいた。

サポメンズはいたたまれなくなり、それぞれ会場内の探索に出かけたが、馴染み深いバーニーは臨時吉井係として、マネージャー田中に懇願されてその場に残ったのだ。
田中にしてみればここでミュージシャン連中が全員いなくなると、自分が犠牲になるしかないので必死である。
バーニーと田中は、さっきまでなんとか吉井を宥めようと機嫌をとっていたが、長い沈黙のあと吉井にボソっと
「小力とドラえもんが煩い」
と呟かれてすっかり落ち込んでしまった。

手に負えない―――――・・・。

それが今の2人にとっての吉井和哉に対する共通認識だった。

「・・・レコーディング行くとき以来ですよ・・・ホントに・・・」
結局吉井の半径2メートル以内には誰も近寄れなくなり、一区画に不思議なブラックホールを形成して隅に逃げた二人は、缶コーヒーを片手にがっくりと肩を落とした。
「レコーディング?この間の?」
田中の呟きに、バーニーが乗っかる。
「そうです。出発直前になって行かないって言い出して。吉井さんはスタジオがどうだの曲がどうだの言ってましたけど、あんなのエマさんがいないからって他に理由なんかないですよ」
田中も既に中っ腹らしい。
「だったら菊地連れてきゃ良かったのに」
「それは違うらしいです。なんか知らないけど」
「・・・へぇ・・・」
「まぁ、いざ現場になっちゃえば仕事はきちんとするからいいんですけど」
「でもさ、あれだけ長く一人の人に熱烈に惚れてられるんだから凄いよな」
「それはね、感心します」
吉井が聞いたら「そんなんじゃない!」と激怒しそうではあるが、明らかに核心を突いている意見の一致に、2人はうんうんと頷きあったりしていたが、「うわっ!?吉井さん!?」という別のスタッフの悲鳴で慌てて振り返った。

ブラックホールの中心で、吉井は用事もないのに水のペットボトルを開けて、わざと落として地面を水浸しにして靴でぱしゃぱしゃやるという、幼児のような一人遊びに興じていた。

「ヤバい・・・壊れてきた」
「そろそろ3時間ちかいか-。吉井さんもだんだん堪え性なくなってきたなぁ。昔は5時間くらいは保ったのに」
「田中さん・・・ホント、慣れてるね」

吉井の一人遊びは進む。
空になったペットボトルをペコペコ踏み潰し、適当に蹴るから、被害は他人に及んでいく。

「菊地さん・・・」
「菊地さん・・・」
「エマさん・・・」

誰からともなくその場にいないエマの名を唱えはじめる。
荒ぶる神を鎮めるための祝詞のようである。

やがて、2本目のペットボトルがぶちまけられたのを機に、バラバラに小声で唱えられていた吉井大明神鎮魂の祝詞が悲鳴じみた合唱になる頃、ぴたりと吉井の動きが止まった。
つられて合唱も治まる。
そして誰もが沈黙した瞬間、吉井の表情から苛立ちが消え、急にゆったりと椅子に深く腰掛けた。

「ごめーん、遅くなっちゃったぁ」

炎天下をものともせず、周囲に涼風を纏って、吉井神社の宮司―――-・・・いや、吉井のギタリスト、エマがやってきたのだ。

「おっそいよ、エマ」
「道が混んでてさぁ。ごめんね」
「エマが遅いから、みんな心配して苛々しちゃって大変だったよ」

苛々してて大変だったのはお前だ!と、誰もが思ったが、口に出せる勇者はいない。

「どうしたの、吉井。足元」
「水こぼした」

こぼしたんじゃない!わざとやったんだろうが!と誰もが思ったが――――以下略。

「セッティングどう?」
「終わったけど、ケーブル、違うのが来ちゃったよ」
「マジ?どれ?」

腰を浮かせたエマを伴って、吉井が機材のほうに誘導していく。
ブラックホールが崩れてやっと空気が通った気がして、皆がほっと安堵の息を吐いた。

「・・・ああ、だいじょぶだいじょぶ。あれだったら大差ないよ」
「そう?」
「うん、元々どっちがいいか迷ってたし。アンプとかエフェクターだったらヤバイけど、ケーブルだしね」
「まぁね。俺もそう思ったんだけどさー。みんながほら、騒ぐから」

騒いでいたのはお前一人だ!と―――-更に略。

必要以上に静けさに包まれている周囲をものともせず、2人は和やかに笑いあってる。

「ねぇ吉井ぃ、俺、おなかすいた」
「え?エマちゃん、食べてないの?ダメだよ、ライブ前なんだからきちんと食べとかないと」

その遣り取りを聞いて、田中はぼそっと「お前が言うか」と呟いた。

「ないよぉ。急いで来たもん。吉井は?食べた?」
「ちょっと忙しくてまだ。なんか買ってきてもらう?」
「お弁当でいいじゃん。あるでしょ?」
「だってアレ、豆が入ってやがるんだよ」
「はは!解った、お前、それで食べてないんでしょ」
「バレた?」
「バレバレ。・・・いいよ、俺、一個も食べらんないし、一緒に食べようよ。豆食べたげるから」
「ホント?」

エマの提案を聞いて、吉井の顔はそれこそ光が差したようにパァァァっと輝き、あれほど無言で拒絶したパックを自分で取りにいき、2人ぶんのお茶の準備までいそいそと行っている。
豆を見た瞬間の吉井の凍りついた表情に魂を抜かれていた本日の弁当係は、ここに来て災い転じて福となしたことを悟って、嬉しげにスキップして仕事に戻って行った。

「豆!エマのほうに行け、早く!」
「こら吉井、俺が食べるんだから遊ばないでよ。ははっ、落としたらどうすんの。せっかく今日の衣装かっこいいのに汚すなよ」
「え?俺、かっこいい?」
「うんうん。かっこいい。やっぱ吉井、スーツ似合うね。俺そういうの好き」
「なんだよ、面と向かって言うなよー。エマちゃんもかっこいいね」
「あ、それいつもだから」
「よっく言う!」

ブラックホールは蝶の舞うお花畑に変貌していて、スタイリストも存分に面目を施した。

「さすがバンマス」

いつの間にか戻って着ていたサポメンズが、田中の隣で口々に小声で褒めた。
「バンマス?」
「菊地さん。バンマスでしょ」
「そうなんですか?」
「だって、みんなそれぞれ自分のパートは責任持てるけど、吉井大明神をああも器用にプレイできるのはバンマスだけでしょう」
「あっ!だからジンジャー?」
「そういうこと」

離れたところでドッと湧き上がる笑い声に、渦中の2人はきょとんと視線を向けた。
2人してお互いの嫌いなものを相手の口につっこむというバカップル丸出しの遊びに興じながら。

田中は笑いながら、今更ながらエマの偉大さに感じ入っていた。
エマは遅れてやって来るなり、誰に何を言われるまでもなく、吉井の不機嫌の種をひとつひとつ無意識に察知して取り除いていったのだから。

やっぱり吉井さんにはエマさんが不可欠なんだ、と改めて思い知り、そのように社長の報告しよう、と密かに決心したのだった。



end
フェスネタだけど、フェスいってないからわかんないよー(なんだそれ)
801ブログ・・・いや、108ブログで衝撃の「ちゅー」写真を見てて、なんとなく思いついたネタだけど、考えてみるまでもなく何の関係もないな(笑)

back