NO


「あ」
「え?」

声顔を上げると、エマがなんだか大変なことになっていた。

「吉井〜、いっぱい出ちゃった・・・」
「出ちゃったって・・・そりゃ、そんなにしたら出るでしょ・・・」
「違うって。全然出なかったの。だから力入れちゃって・・・・」
「だからってそんな上向けたまま出したら、顔にかかるに決まってるでしょ?」
「だって、どうせ出ないだろうと思って油断したんだもん」
「ああ・・・もう、仕方ないなぁ・・・ベトベトじゃん」

聞きようによってはほんわかしたムードの中でのアヤシゲな会話に聞こえないこともないが(いや、聞こえないか?)、実際は更にほんわかしている。

エマが顔にかけてしまって(いやん、この言い方がえっちv・・・だからそうじゃなく!)困っているのは、ハチミツだ。

のんびりしたオフの昼下がり、寝起きのエマに「なんか食べる?」って聞いたら、暫く考えて「ホットケーキ」という、なんとも可愛らしいお返事がきたもんだから、いそいそと焼いている俺の前、正確には対面式キッチンの向こう側で、気持ちばかりお手伝いをしていたエマが、チューブ式のハチミツを絞ろうとして格闘した挙句の事故だったらしい。

「冷蔵庫に入ってたからかなぁ、すごい固かったんだよ?」
「はいはい。判ったから。拭いてあげるからじっとして」

タオルを持って駆け寄って、ふといつもと違う香りにドキっとした。

いつものブルガリブラックの香りではなく、漂うのは、甘い甘い、ハチミツの香り。

「エマ、今日は香水つけてないんだ」
「え?あ、うん。さっきシャワー浴びたばかりだし」
「だから余計にハチミツフレーバーなんだね」
「あはは、そうかも。俺、美味しそう?」

可笑しそうに笑うエマの、誘い文句みたいなそれに、俺はしっかり捕らえられてしまった。

「すっごい美味しそう〜」

言いながら、ハチミツまみれの頬をペロリ。
くすぐったそうなエマごと、俺の舌先に甘い味が広がる。

「甘くてやらしい味がする」

わざと耳元で囁いて、もう一度頬に舌先を寄せると、エマはぷいっと顔を背けた。

「いや?」
「やだ」
「なんで?」

背けた表情は少しも不機嫌なんかじゃなかったから、俺は傷つくこともなくそれを見つめる。

「どうせなら・・・そっちより」

こっちがいい、と吐息で囁き返して、エマのほうから唇を重ねてくれる。

ああ・・・今日は本当にいい日だなぁ・・・。寝起きからずっとエマは可愛いし、一回も喧嘩してないし、真昼間からキスは情熱的だし、しかもハチミツまみれなんて、特殊なプレイみたいで・・・。

あら。
なんか…どうも下半身が興奮してきた。
でもこれは、流されてもいいような衝動だと思うぞ。
だってトロリと濡れた頬を舌先で拭い取ったら、エマはくすくす笑って俺の舌を追いかけてくるし。
「甘い」
とか言いながら、いつでもどうぞ?っていうような表情してるし。

そりゃもう「いただきます」って言うしかないでしょ。




当然の成り行きとして、穏やかな光が差し込むダイニングの広い床の上に、そのままエマを押し倒した。




「なにしてんの?」

その途端の、急に醒めたようなエマの声。

「え?」

「え?じゃないって。何で寝かすの」

「や、だってこのムードはそういうことでしょ?」

「は?何言ってんの。オマエ今大事な用事の途中じゃん」

「用事?」

「忘れたの?ホットケーキ。俺の朝ごはん!焦げてるっ!」

「え・・・?あ、うわっ!」


慌ててコンロに駆け寄ったが、焼きかけだったホットケーキはすっかり真っ黒になっていた。
自業自得とはいえ、結構凹む、この姿。

「エマが誘うから悪いんだよー?」

せめて共犯者になってもらおうとエマを見遣ると、なんかものすごく悪戯っぽい表情を浮かべていて、ドキッとした。

あ・・・明らかに、なんか良からぬことを企んでる。
俺はその表情に気付かないフリで、慌てて新しい生地をフライパンに流し、とにかくエマのご機嫌を損ねないように、ホットケーキを焼くのに専念することにした。

なのに、エマは、

「オマエがいつでもどこでもどんな時でも欲情するのが悪いんだよ。キレイなホットケーキが焼けるまで、欲情禁止ね」

そんな白々しいことを言いながら、俺の背中にぺたっと抱きついてきて、まだ甘い香りを振りまいたままわざわざ俺の身体を軽く愛撫するみたいにして、明らかに挑発してくる。
暫くは我慢してたんだけど、だんだんそれも堪えがたくなってきて、振り返ってキスしようとすると、

「ダメ!」

と禁止する。

そしてまた背中で甘えるのだ。



最初は絶対その気だったくせに。
っていうか、もしかしたら起きぬけの可愛い言動の時点から計算してたんじゃないの?っていう周到さのくせに。
俺を振り回して楽しむ、この悪魔が、俺は本当に・・・・

本当に可愛くってしょうがないんだから、困ったもんだね。

仕方ない。
甘い甘い、その「NO」が、自分から焦れて「YES」になるまで、踊らされててあげることにしよう。





end



胸焼けしそうだ・・・(苦笑)
「NO」というテーマにされると、逆に甘々で「YES」っぽいものを書きたくなる私は天邪鬼。

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