私の名前


家の冷蔵庫の扉に、メモが貼ってある。
ワタクシ、菊地英二が目覚めた現在、家の中はとっても静か。
メモにはその事情が記されていた。

筆跡は母のもの。

『川島さんの奥さんと一泊旅行に行きます。
お父さんは町内会の旅行に行っています。
エマは昨日からロビンくん宅に行っています。
アニーは、明日の朝、燃えるゴミを出しておいてください。
お土産にお肉を買ってきます』


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

お母さん。
ウチがフランクな家庭だというのは、重々承知してるよ、俺。
けどなんで全員外泊で俺だけゴミ出し当番なのよ。
って、いうかさ、兄貴は今夜も帰ってこねぇと踏んでるわけね?お母さんは。
・・・・・・・・・・や、それより、アノヒトはわざわざ母親に「ロビンちに泊まりにいってくるねー」って言って行ったのか?ったく、憚りあるカンケーなんじゃないの?すごいオープンだねぇ。
そして母よ、俺が肉さえ与えとけば言うこときくと思ってるのか?

いやー、つっこみどころ満載だわ、ウチって。

いっけどさ。
いいなぁ、にーちゃんは甘やかされてて。
ったく、昔からあの笑顔でオヤさえ騙すもんだから・・・って、しょうがねぇか。顔も中身も俺が母親そっくりで、顔も中身も兄貴が父親そっくりなんだから、俺と母親と、好みは一緒ってワケね。ほんと、昔から「英昭、英昭・・・」って・・・。


あれ?


そこでふと、俺は違和感を感じた。
冷蔵庫をからペットボトルのミネラルヲーターを取り出しつつ考えた。

英昭。
英二。

そういえば永らく親からそう呼ばれていないような気がする。
そうそう、このボトルにも『E』ってマジックで書いてある。普通だったらこれは『えいじ』の『E』なんだけど、ウチでは『EMMA』の『E』。
・・・・って、やば!これ兄貴の水だった。なんか知らないけど高価いヤツだったよな。ふー・・・殺されるとこだった。
急いで自分の『A』と書かれた水と持ち替える。
あれー?でもなんでだっけ。いつから家でも『エマ』と『アニー』にしたんだっけ?

・・・ああ、そうそう。
そうだった。アレも冷蔵庫だ。
俺が自分用にとラベルに『え』って書いておいたプリンを、兄貴が勝手に食べちゃったからだ。
「ちゃんと名前書いておいたのに!」
って怒ったら、兄貴はしれっと
「だって『エマ』の『え』だもーん」
と言い切ったんだ。(ちなみに台詞に添えられたにっこり笑顔にノックアウトされてプリンの件を不問とした事実は今はどうでもいい)
それ以来、俺は『A』と書くことにし、兄貴は『E』と書くことにしたんだ。それを親も真似して。まぁ、兄貴はたまに都合よく振り替えるけどね。嫌いなおかずのラップに『E』って書いてあったら「ほら、英二のだよ」とかってね。騙される俺も俺だけど。

そんなこんなで、家でもいつしか「アニー」って呼ばれるようになってさ。

へーんなの。
名前の密度って、変なの。
だって仕事しててもさ、俺のこと「アニー」って呼ぶ人のほうが多いんだもん。ライブの歓声でも「英二ー!」なんて言われないしね。
俺を『英二』と認識している人と、『アニー』と認識している人と。人数でいえばきっと圧倒的に後者のほうが多いんだろう。



ま、それも悪くないか。
いいじゃん。なんか、トクベツじゃん。


おや?電話が鳴ってる。

「もしもしー?」

ああ・・・
けど、俺、やっぱり英二って呼ばれるのも好きだな。
だって、ほら・・・


『あ、起きたんだ。おはよう。あのさー、俺、今夜帰るからさぁ、ホラ、オヤいないでしょ。飲もうよ。なんか買っといて、英二』

兄貴はそんな中でもマイペースに「英二」って呼ぶもんね。
兄貴にほんわりした口調で「英二」って呼ばれるの、やっぱ好きだ。ほら、特に一緒仕事してるとさぁ、これはこれでやっぱりトクベツでしょ。

気分がいいので、俺はつい優しい口調になる。

「いいよ、兄貴。何がいいの?」

『んとねー、やっぱジン。おつまみもね』

「はいはい」

『あ、あとねぇ、吉井はダイエット中で最近焼酎だからー・・・』

「は?」

『え?何・・・?あ、そうなの?』

「ちょっと兄貴!吉井って何よ、ねぇ・・・ちょっとどっちと喋ってんのさ。もしもし?」

なんだよ!飲もうって三人で飲むのかよ。くそう。そういうオチね。
いいよ。それならそれでヒーセも呼んでやる。2対1でいちゃつかれんのはゴメンだ。

『あ、ごめんごめん。吉井の焼酎、まだウチの冷蔵庫に買い置きあるんだって。だから買い足さなくていいよ』

「・・・・・・・・・・・・・・あのさ、それ変じゃない?」

『あー、そうだよねぇ。焼酎なんだから、別に冷蔵庫に入れなくてもねぇ』

「そうじゃなくて!」

『ってことで、よろしくー。ヒーセ呼ぶなら電話しといてねー。7時頃帰るからー』

「もしもし?兄貴?もしもし?」


・・・・切りやがった。
だからさ、焼酎を冷蔵庫に入れることじゃなくてさ。

心の中でつっこみながら、再び冷蔵庫を開ける。
確かにそこにあった。
へったくそな字で『L』と書かれた焼酎のボトルが。


ったく、無制限に紛れ込むな!





end




また無意味なものを書いてしまった。でも、確かおうちのメモで『E』『A』って記されてたってのは事実だったらしいねぇ。ま、現実ではエマは結構アニーって呼んでるけど。けどいいのん。こっちの世界(?)では大概エマは「英二」って呼ぶから。
この酒盛りのシーンは書きたいなぁ。なんか都合のいいお題があったら、そのうち続けよう。

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