パジャマ



玄関を開けたら、最初ウチの実家と同じ匂いがして、その次にふと違う香りが混じった。
・・・なんだっけ?
よく知ってる香りな気がするけど・・・思い出せない。

「適当に荷物置いてくれていいから。あ、風呂入る?」
冷蔵庫からウーロン茶を出しながら、兄貴が俺を振り返る。

・・・・なんか、やだなぁ。
先に家を出たのは俺のほうだけど、兄貴がこうやってマンションで一人暮らし始めてさ。
泊まりにきたら、こんなふうに『他所んち』って感じで迎えられるのって。
まぁ、確かに他所んちなんだけど、なんていうか、兄貴との間には、そういう空気って一生感じたくなかったっていうか。
今まで一緒に居すぎだったからね。家でも仕事でも一緒なんて、しかもそれが生まれた時からだなんて、そんな人間関係は、どうやらこの世には殆ど存在しないらしい。
それがさ、バンドの休止以降、どんどん距離が急速に開いていって、今じゃこうして一つの部屋にいても、俺は「お客さん」なんだよね。

ちょっと切ない。

「まだいい・・・」

元気がなくなった俺の返事に、兄貴は「ん?」と首を傾げながらグラスを差し出した。

「なんか食う?作ろうか?」
「って兄貴、料理なんかできんの?」
「あのね、なんにもできないじゃ外で暮らせないでしょ」
「そっか。ああ、でもやっぱりなぁ、兄貴の作るもんってマニアックな気がするから怖いなぁ」
「そんなことないよ。結構おいしいって言われるよ?」

誰によ。
・・・って、どうせオンナだろうけど。
そういや、棚とか見れば、食器類はさりげなく2個づつある。
彼女に料理とか教わったのかな。
部屋、結構綺麗に片付いてる。どう考えてもこれは兄貴の仕事じゃないもんね。実家の部屋とかかなり散らかしちゃう人だし。

こんなに生活に踏み込んでるってことは、今度の彼女とは、本気なんだろうか。
一度だけ見かけたことがある。髪の長い、割と小柄な女の子。カフェで一緒にお茶かなんか飲んでるところを見かけた。
兄貴がポケットから口紅を取り出して、彼女に渡した。何故か憮然とした表情で。
彼女はそれを受け取り、色を確認して可愛らしく笑った。
兄貴もその笑顔に表情を崩して、二人で暫く楽しそうに笑ってた。
声をかけようとしたんだけど、ちょっと躊躇われてそのまま離れたんだ。

もしかして、彼女と暮らすために実家を出たんだろうか。
だからって何って訳じゃないけど、なんか兄貴とますます遠くなってしまうような気がして、ちょっと胸が痛むんだ。

だけど。

「お母さんにさ、コロッケの作り方教わったんだ、この間」
兄貴は俺のそんな感慨に気付くことなく無邪気に話してる。
「へぇ?同じ味で出来んの?」
「うん。かなり。お母さんが筋がいいって褒めてくれたよ」

ははっ。
可愛いことしてんじゃない、相変わらずね。
まぁ、いいか。
兄貴が恋人と熱愛してようが、いずれ結婚でもしようが、兄貴は俺の兄貴だ。
今は考えなくていい。せっかく二人で過ごしてるんだから。

過去と変わらない時間を。

「食べたいな、それ」
「いいよ、待ってて。英二お母さんのコロッケ好きだもんね」
「うん」

こういう会話、すっげぇ兄弟って、思うじゃん?

気を取り直して改めて兄貴の新しい部屋を観察する。
オープンキッチンに続く明るいリビングには、彼女が入り浸ってる割に、あんまり女の気配ってヤツが無いのね。クッションとか、やっぱり2個ずつだし、色違いおそろいのスリッパとかあるし、特定の誰かと過ごしてそうな気配はあるんだけど。
棚の上にちょこんと乗ってるマニキュアも黒とか紫とか、ありえない色。ラックの雑誌も音専誌とか車の雑誌とか温泉マップとか、明らかに兄貴の所持品なものばかり。彼女もそういう趣味なのか?
でもそんなふうには見えなかったけどな。清楚な感じの女性に見えたけど。
ん?釣り雑誌が混じってる。なんだ?ロビンの影響か?

いや、それにしても・・・。

「あれ?兄貴、ギターは?」
「ああ、この部屋にはあんまり置かないんだ。そっちの扉。あっちが仕事部屋」
「見ていい?」
「いいよ」

手持ち無沙汰も手伝って探検を始める。
指差された部屋を覗いてみると・・・そこはかるーく、スタジオだった。
大量のギターと録音機材とパソコンと。
「すげ・・・」
俺なんかだと、ドラムセットは流石にスタジオにあるから、自宅はこうはならないんだけど、やっぱギターの人とかって、こんなふうになるんだな。
そういやロビンんちも凄かったっけ。
今は東京を離れた友人の部屋を思い出す。
まあ、あいつの場合、灰皿が占めるスペースも大きいけどな。流石に兄貴の部屋は・・・

「・・・・・・・・・・・・・。」

あるし。

なんだ?兄貴、煙草やめたんじゃなかったの?なんでここに灰皿なんか置いてんだ?
隠れてこっそり吸ってんのかな。みんなに心配かけないように?でも余計不健康な気がするけど。

なんか見てはいけないものを見た気がして、早々に俺は仕事部屋を退散した。
リビングに戻ると、トン、トン、と、かなり不器用な包丁の音が聞こえてきた。はは、やっぱりそんなに馴れてないんだ。

ソファに座ってその音を心地よく聞いてたら、また視界の隅に、TVの上の小さな灰皿が飛び込んできた。
吸殻は無いけど、やっぱり兄貴・・・。

「あのさ、兄貴、煙草・・・」

遂に口に出してそれを聞こうとして、ふとその前にあるそれに気付いた。

なんか、見覚えのあるZIPPO・・・。
ふと脳裏に嫌な予感が過ぎる。いや、まさか。考えすぎだよ。

「ああ、それね、吉井が忘れてったの。忘れてったから、今、100円ライター使ってんだって」
再び兄貴が俺にお茶を運んできながら笑った。

やっぱり、ロビンか・・・。
まあ、遊びにも来るか。元々あいつ、兄貴に懐いてたんだし、一緒に仕事してんだから。
あれ?でも・・・ちょっと、なんだ?
この、嫌な予感は。

「や、やっぱり兄貴、先に風呂借りていい?」
「いいよ。そのドア開けて突き当たりね」
「うん」

なんかわかんないけど、この嫌な予感を洗い流すんだ。すっきりしてコロッケ食べるんだ。

明らかに半同棲してそうな部屋。
でも女の気配は無い部屋。
だけど何故かロビンの気配は存在する部屋。

いや、まさか。まさか、まさか。
あの二人の関係は、演出だったはずだ。考えすぎだ、英二。気を取り直せ。

「・・・・・・・・・・・・」

洗面台の上に、何故かブルガリブラックと並んでるファーレンハイト。
き、気のせいだ!これもきっと忘れ物だ。いやー、ロビンのやつ、忘れ物が多いなっ!はっはっは・・・。

ピンポーン

バスルームのドア越しに、「お届けものでーす」という声が聞こえる。ぱたぱたと駆けてくる兄貴の足音。
ああ、兄貴。
どうかこの考えすぎの弟の頭の中を笑い飛ばしてくれ。

とは思ったけど、まさかその直後にノックもなくドアを開けられるとは思わなかった。
「あ、英二。オマエ、パジャマ持ってきてないんじゃない?」
「うわっ!」
「・・・・何してんの?」
「い、いや・・・何?」
ぐるぐるした思考回路に苦悩して座り込んでる俺を不審気に見下ろしながら、兄貴が決定的通告をくれた。

「パジャマ、持って来てないと思ってさ。丁度今、通販でコレ届いたんだよね。俺のじゃ小さいでしょ?だから、こっち着てくれない?」

「・・・・・・・・・・・・・・・え?」

バスルームの前で、座り込んで包みを解きながら無邪気に言う兄貴。
その手には、濃い青と濃い赤のお揃いのパジャマ。
赤の方を俺に差し出しながら、
「吉井のなら、充分着れるでしょ。おっきいくらい?」
と、のたまった・・・。

たまたま泊まりにきたときの忘れ物でなく、改めてお揃いのパジャマを購入するという行為の意味って何?

「うわっ!え?・・・英二っ!?」

ばたっ。

まだ入ってもいない風呂で逆上せて思わず倒れてしまった俺の視界に、小包の宛名が飛び込んできて、俺は本気で気を失ってしまった。




『吉井様方 菊地英昭様』





気がついたら、俺はソファに寝かされて、額にタオルを乗せられていた。
兄貴はうわごとのような俺の問いかけにしれっと平気な顔で答えてくれた。

「だからー、この部屋は吉井の名義なんだって。まあ、俺が住んでるんだけどね?
アイツ、引っ越したじゃない?こっちで仕事あるときはここで一緒に住んでるんだよ。ほら、俺たちもう長いし・・・・・・。
こういう関係になって?ああ、恋人になってってこと?うん、もう10年くらい。
え?英二、知らなかったの?嘘?
口紅の彼女?なにそれ?・・・・・・うん、ああ、そのときのね。あの子は事務所の子だよ。オマエ、最近事務所行ってないでしょ。吉井が俺につけたがって無理矢理ポケットに押し込んだから返しに行ってもらったの。
は?俺らのこと?みんな知ってるよ?だってあのカップ、社長が引っ越し祝いにくれたやつだし、そっちのスリッパはヒーセ。あのお皿は田中からだし、クッションは三国さんだし・・・。
ああ、オマエだけペアグッズじゃなかったよね。なんだ、知らなかったのか
え?親?知ってるってば、だから。だからお母さんに料理教わりに行ったって言ったじゃん」

再び遠のいていく意識の中、俺は忌々しい赤のパジャマを着せられていることに気付いた。

・・・くそう。
これ・・・絶対持って帰ってやる。



end



いや、オチが最初から見えていたのは判ってます(笑)

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