人形



サウンド・チェックは当たり前だが、基本的には演奏者もエンジニアも揃っているときにやる。
但し、吉井の中で、ある程度完成ヴィジョンが明確になってからである場合が多い。
それは彼のプロデューサーとしてのプライド所以であるとも言えるし、ある意味、気の弱さを露呈しているとも言えるのではないか、と、エマは思う。
悩み、苦しんでいる姿は、勿論他人も目にするが、本当にボロボロになっているところを、誰かに見せることは無いからだ。
そう、それはエマに対しても。

そのことを歯痒く感じても、それはきっと吉井の最奥なんだと思うと、迂闊に踏み込んではいけない気がして、それがまた、エマの気に障る。

誰もいなくなった深夜のスタジオで、ソファに身を沈めて短い仮眠を取る吉井の疲れ果てた横顔を見つけて、エマはそっとその傍らに座った。

(もし今目を覚まして、俺がこうして座ってるのを見つけたら、こいつは即座に『できた男』の仮面を被るんだろうな・・・)

目が醒めてエマがいれば、それはそれで喜ぶのだが、本人さえも気付かない溜め込んだストレスはぶつけられることもなく、腹に溜まってく。

だが、しかし。
だからって、気付かれないように毛布でもかけて、そっと一人にしてやるような気持ちの悪い真似はしないと、エマは心に決めていた。

くす。
頬に悪戯な微笑を浮かべて、エマがポケットから、リップスティックを取り出した。
真紅のそれをくるくると空気に触れさせ、眠る吉井の唇にそっと近づける。
微かな温度の所為か、吉井は「んー・・・」と、嫌そうに頭を振った。

(・・・・っと、起こしたら台無し)

暫く考えて、エマは自分の唇に紅を引くと、それを静かに吉井の唇に重ね、塗りこめるように深く押し付けた。
何故か、いつもキスでは絶対に吉井は起きないのだ。

元々色白の容貌に、口紅をつけると、やっぱりキレイに映える。よくできたお人形みたい。
これで吉井は目を覚ましたあと、「誰だよ!こんな悪戯したのっ!」ってくだらないことで大声を上げて、みんなが笑えば、ちょっとはスッキリするだろう。
仕上がりに満足気に笑って、エマはそっとその場を離れた。

ドアの閉まる音と共に、吉井が薄く目を開けて、エマの残した赤を指で辿って、くすくす笑っていることを、悪戯した本人は知らない。
リップスティックの気配を感知するような人間が、キスで起きないわけがない。

吉井は、エマの意図を正確に汲み取って、2時間後、
「誰だよ!こんなことしたのっ?」
と、わざとらしく怒りながら部屋を出た。誰よりも笑ってるエマを見つけて、満足しながら。



end



オチが『69.流れる』と一緒なのは、最初この2本が同じ話だったから。

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