精霊



ウチの兄貴は妖精じゃないかと思う。

こら、そこ!引かないっ!
別に俺は兄貴が童話に出てくる、透き通った羽根を持ったティンカーベルみたいに見えるとか言ってるわけじゃない。

妖精という言い方が悪ければ、精霊か・・・。

だっ、だから!引かないでよ、頼むから。
しかもこれは、俺にとってじゃないんだって。
ロビンにとって。

やっぱりさ、俺はね。いくらブラコンだって言っても、兄弟として生まれたときからずっと一緒でさ。
朝起きてきたらバラバラに髭が生えてて、ボサ髪の兄貴とかも見てるのね。兄貴も自分ちだからつくろわないしさ。
そこはやっぱり夢見れないじゃない。

でも。

ロビンはそこんとこ夢見れるわけだからさ。たまにホント、兄貴のことを『可愛い女の子』みたいに見てるなぁって、特に昔とか思ってた。
そこがちょっと気の毒というか・・・もし深入りしたら、きっとがっかりするときが来るんじゃないかなぁって、気になってたんだ。
だってさ。
ロビンが兄貴の男々した部分が好きなんだったら、別にいいよ?
だけど、本人は否定するけど、どうしても滲み出てるスウィートな雰囲気とか、フェミニンな部分とか、そういうとこに惚れてんだとしたら、絶対続かないだろうと思って・・・。

だから、ロビンが兄貴にコクったって聞いたときも、それをまた兄貴が受けたって聞いたときも、まぁ、一時的なモンだと思ってたのよ。
兄貴って生来のカッコつけだから、中々恋人にも地を見せない人だし、だんだんそれに疲れてくると別れちゃうしね。それがまさか、何年も続くなんて、思っても見なかった。

そのへんが、ずっと疑問で。
ある日、思い切ってロビンにそのへんを聞いてみたんだ。

それは、俺とロビンしか楽屋にいないっていう、絶好の機会だった。
なんで兄貴に聞かなかったのかって?だって、もし兄貴の口から聞きたくない現実を聞かされたら、きっと死んでしまうから・・ごほん!だから、違うってば。
ロビンの見解を、聞きたかったの!

「俺と二人のときのエマちゃん?何が聞きたいの、お前は」
ロビンは最初、露骨に嫌な顔で聞き返してきた。
俺はつい、しどろもどろになってしまう。
「いや、純粋に興味っていうか・・・」

ロビンは暫く怪訝そうだったが、元々ノロケ体質のこの男は、基本的に語りたがりである。

「別に、いつもと一緒だけど・・・。あ、結構甘えん坊かな。意外とね。甘いものとか好きだよね。夜中にアイス食べたいって叩き起こされたりしたことあるなぁ。寝起きにホットケーキ食べたいとか言い出したこともあったよ。
あ、そうそう、それで手がかかるよね。ホットケーキの時もハチミツ零しちゃってベタベタにしたりしたし、風呂上りに髪の毛拭かないで出てきて水浸しにしちゃうしさ、仕事の邪魔なんかはしょっちゅうだし・・・。
でも、そういうのも全部、何気に可愛い仕草でやるからさ、つい許しちゃうよな」

オマエなら判るだろう、とばかりに吉井は断言したが、俺は唖然としていた。

は?
甘えん坊?
手が・・・かかる?

なんだそれ。兄貴、そんなヤツだっけ・・・?
自宅で髪拭かないで出てきたことなんか無いぞ?

それを聞いて、俺はちょっと安心した。

――――…兄貴は、演じてる。

ロビンの前で、『可愛いエマ』を演出してる。わざと。
つまり、地を見せていないということだ。
兄貴にとって、吉井との恋愛は、きっと娯楽の範疇だ。本気じゃない。
そして、ロビンもまた、そんな兄貴の表面しか見ていない。
だからそのうち、兄貴が疲れて『別れる』と言い出すだろう、と。
長続きしてるのは、兄貴がまだ楽しんでるからにすぎないんだ――――と。




それが誤解だったと知ったのは、それから暫くしてからのことだった。

レコーディングで徹夜が続いてて、みんなクタクタに疲れていた頃。
ロビンはどうあっても根を詰めていたかっただろうに、別の仕事に水を差されて、苛々しながら一人でスタジオを出て行った。
そのあとも俺たちはレコーティングを継続してて、夜中になってロビンが戻ってきたとき、兄貴もまたお世辞にも『可愛いエマ』っていう状態ではなかった。
髪はバサバサと乱れてて、目の下はすっかり隈にやられて。顔色は青白くくすんでる。

でも、ロビンはもっと酷い顔色をしていた。
不機嫌を通り越して、怒気さえ孕み、珍しくスタッフにも当り散らした。
謂われなく怒鳴られたスタッフが、そんなロビンの態度に不穏な空気を持ち始めた、そのときだった。


兄貴は、疲れ果てた顔色に、瞬間で生気を戻した。
それは、まるで画面が切り替わったかのように鮮やかな変貌だった。


そのままツカツカとしっかりした足取りでロビンの元に向かうと、その場で
『パシンっ!』
と、鋭利な音を立てて、ロビンの頬を平手打ちした。

突然の行動に、怒りも忘れてスタッフが呆然とする。ロビンは日頃の兄貴に対する態度が嘘のように、険しい顔で兄貴を睨みつけた。
でも兄貴は動じないまま、無言でロビンの手首を掴んで、廊下に連れ出した。
「まぁ、ちょっと休憩にしようぜ」
ヒーセのわざとらしく明るい声が、その場の空気を少しだけ救った。

でも俺はもう、心配で心配で、『ほっといてやれ』と制止するヒーセを振り切って、そっとドアを開けて、二人の様子を覗いた。

「んだよ、離してよ。人の気も知らないで・・・」
ひと気のない廊下で、苛々と抗うロビンに、兄貴は何故か、ふと微笑んだ。
虚をつかれて黙ったロビンの頬に手を添えて、そっと撫でてやってる。
それは、自分がさっき平手打ちしたところだった。
兄貴の手の甲に、つ、とロビンの涙が伝った。
そのまま兄貴はロビンを促して、廊下に置いてあるソファに座り、抱くようにしてロビンを自分の膝枕で横たえ、
「30分」
と言った。
きまり悪そうに、ロビンは目を閉じながら
「ダメ、15分」
と抗う。
「30分。じゃなきゃ、俺、帰る」
「エマ」
「ね?」

本当に疲れてたんだろう、ロビンはそれ以上何も言わず、死体のように目を閉じた。
その途端、兄貴もまた、魔法が解けたように疲れ果てた表情に戻ったが、自分も目を閉じようとして、俺が覗いていることに気付くと、口の動きだけで
「いちじかん」
と伝え、指で×を作り、そのままスタジオの中を指差した。


俺は何も言えずに静かにドアを閉めた。
それは紛れもなく、ロビンがいつも見てる『可愛いエマ』と、俺が大好きな『毅然とした兄貴』の融合した姿。
ロビンにとっての兄貴が、外見だけでなく、多分にスピリチュアルな存在だったと気付いた。



―――――と、いうわけ。

納得した?俺が兄貴は『精霊』だっていう理由。
だって兄貴、激昂してたロビンに、余計なことは何も言わなかったの。なのに瞬間で宥めちゃってさ。
それより凄いのは、吉井に対してるときの、あの顔色。
自在に変えられるんだよ?すごいよね。

「って、オメェよ。それはロビンに向かうと、アニキが自然に恋してる顔になっちゃうだけのことだろうが」

などと、ヒーセが核心をついたが、そこは耳に蓋をして、聞かなかったことにする。

「だってよ、俺も一回聞いたことあんだよ。ロビンにさ、二人のときどんなだ?って。
で、同じコト答えられてさぁ、俺はエマにも聞いたのよ。そしたら、エマ、『吉井にだけはね、可愛いって思って欲しいから、別に演じてるわけじゃないんだよ。それが俺の中で自然なの』っつってたぞ?
・・・って、おい、アニー?聞いてんのかよ?」

聞こえない。
やっぱり俺の兄貴は妖精、いや、きっと天使なんだ。



end



ヒーセの独り言:『アニーよ、オマエ、いっぺん脳診てもらえよ・・・よくそこまで兄貴を美化できるよなぁ・・・』

――――なんてな。

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