Innocence/無垢  by 登子

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あの日から2年。
結局、勉強よりも、ドラムに入れあげてしまったオレ。オレは、まるで兄貴に習うように、ランクを落とした大学に、どうにかこうにか合格を果たし、それでも音楽に明け暮れて、初っ端の一年目から留年を食らった。
大学一年目の夏に、兄貴はオレを新しく組んだバンドのドラマーに、正式に迎え入れてくれた。

高校3年のあの日、あの雑居ビルの地下の隠れ家のようなライブハウスで見た官能のシーンに、オレも参加できる。
兄貴のギターの旋律を支えるドラムというパートは、オレにふさわしいものだった。ヴォーカルとベースが多少乱れても、ドラムとギターの間に結ばれた圧倒的な安定感が、バンドの演奏をまとめ上げていた。
曲の合間に兄貴と視線を絡ませる。見えない糸で結ばれたような一体感。すべてを忘れる一瞬。オレに向かってポーズを決める兄貴に、心酔いしれた。

ライブハウスの常連に名を連ねるまでバンドが練れてくると、そこにはロックのアマチュアバンドにありがちな、酒とタバコと女に囲まれた夜行性の生活が待っていた。

でも、オレは不思議なほど流されなかった。性分なのか、「ロッカーのくせにまじめ」だと、よくからかわれた。
別に意識してそうしているわけじゃないが、オレのスクエアな性格が、すべてに適切な距離を置かせた。危うげな誘いの手が伸びてきても、溺れることはできない。そんなロッカーが、いてもいいと思った。

いっぽう、兄貴の生まれついてのアンドロギュヌス的フェロモンは、ますます磨きがかかっていた。
いつも誰かが必ず、兄貴の唇を狙っている。
兄貴と一緒にいると、オレは番犬みたいな顔になっていく。男だろうが女だろうが、寄ってくるやつに警戒を緩めない。一挙手一投足を観察して、兄貴に無害なものかどうかを確かめようと眉間にしわを寄せる、そんな癖が、知らず知らずのうちについていた。

だが、オレは決して兄貴を束縛したわけじゃない。
オレは、オレの兄貴が、兄貴らしく存在していることが好きなんだ。女も男もたぶらかすような、あの妖しい視線が好きだ。
兄貴が放つ艶かしい匂いが、幼い時からオレの前頭葉を刺激し続けて、オレの感受性を構築してしまったのだから。

兄貴はオレの知らないところで、女の体を抱いていただろう。ときには男に口説かれて、陥落したこともあるだろう。新しい快感に酔って、甘いため息を漏らしもしただろう。
でも、オレは知っている。兄貴は、決して心を盗られない。
兄貴の肉体は抱くことができても、心まで奪うことは、誰にもできないんだ。ひとりとして兄貴の心のなかには踏み込めない。穢されることを硬く拒むように、兄貴の魂は、凛として他者をこばむ。
そんな兄貴だから、オレはどんなふしだらな行動でも、許した。

兄貴を抱き寄せて眠る夜―-。
オレの魂は、子どものときに帰っていく。何も知らずに兄貴だけを見つめていた、純真な想いが体中に満たされる。その至福感は、オレを捕らえて離すことがない。
あの日から、オレは何度、兄貴の部屋を訪ねたことだろう。

今日は珍しく、兄貴からやってきた。午前3時を回っている。あの日みたいに、酔っていた。
「英二」
抱きとめる。すでに慣れた手つきで兄貴の首筋に手を回し、ほてった唇にキスを送る。
「すぐ、したい?」
「うん……。感じたい」
「今日は、何かあった? だれかに口説かれた?」
「わかるの?」
「わかるさ。いつもより、なやましい。兄貴は誰かに口説かれると、きれいになるんだ・・・・・・誰かと寝てきた・・・の・・・・・・?」
「そういうの、いや?」
「少し・・・ね。でも、楽しみもあるよ。――オレだけの兄貴に、これから戻すんだ――」
最後まで言い終わらないうちに、兄貴を押し倒す。

湧きあがるアドレナリン。脳味噌を、かき回すみたいに。
兄貴の体に、まだまとわりついている他の誰かの執着を、オレはオレの行為によって、ひとつひとつ消し去っていく。兄貴の体の隅々にオレの刻印を押しつけて、オレだけの兄貴に戻していく――まるで大切な儀式のように。
いつもより強くてしつこい愛撫も、兄貴は嫌がらない。オレたちの距離がどんどん縮まる。
時間をかけて、丹念に体に舌を這わせる。体毛の一本一本まで、くちびるに感触を覚えこませるように。

兄貴の体が柔らかに撓る。あの、放物線を描くような、背骨のラインが好きだ。
うつぶせにして、片ひざを立たせる。
屹立した兄貴のペニスを自分の左手に任せて、オレは背後にまわると、浮き出た背骨を上から下に向かって、ていねいに舐めていった。
オレを受け入れるために、兄貴が筋肉を緩めはじめるのが、伝わってくる。

右手をアナルに伸ばす。周辺を刺激する。兄貴の吐息が激しくなった。
指を差し込む。筋肉に一瞬の緊張が戻る。左手の動きをふたたび強めて、兄貴の感覚を麻痺させる。
アナルに刺激を送ると、ペニスはいつもより敏感になるんだ。オレはもう、それくらいのことは知っている。
つぎは、もっと強引に指を押し込む。反射的に逃げようとする兄貴の肩を、すばやく右手で捕まえて、背中に自分の胸筋を押し付ける。オレの重みで兄貴の肩が崩れ落ちる。その瞬間、オレは迷いなく兄貴の深い穴に自分を押し込んだ。
兄貴は痛みにもがく。指がシーツを掻き毟る。唇から悲鳴にも似た喘ぎが零れ落ちる。
でも、痛みの向こう側にある官能を、兄貴は全身でほしがってもいる。

左手に力を込める。右手を細い腰にまわす。ゆっくりと体を前後させ、オレはオレ自身の快感にたどり着くことを目指した。
兄貴が荒い息を吐きながら首を左右に振った。訴えるようにオレの名を呼ぶ。
「英二・・・・・・」
苦しげな横顔が視界に入った。オレは一瞬ひるむ。
「・・・・・・やめようか・・・壊れちゃう?」
「壊れそう・・・・・・ああ、でもやめないで。・・・・・・誰も知らないところまで、俺をいかせて。俺とおまえしか知らないところに、いつもみたいに連れてってよ。俺を壊すなら、おまえに壊してほしい・・・・・・から」

兄貴のことばは、オレの野生を呼び覚ます。ためらいを脱ぎ捨て、兄貴の奥深くへと突き進む。兄貴の内蔵まで、犯すかのように。
それは野獣のような数分間。兄貴の肉体は、苦痛なのか快感なのか、小刻みな痙攣を何度も繰り返す。
兄貴。兄貴―-兄貴――
繰り返し、祈りのように、その名がオレの唇からもれる。やがて祈りが届いたかのように、兄貴の喘ぐ声が柔らかな艶をまとい始めた。
感じだしてくれてる――。俺が兄貴を感じさせてる。ふたたび悦びがこみあげてくる。
幸福感が、静かにオレのもとに舞い降りる。そしてオレの下半身にも、エクスタシーが押し寄せてきた。オレは、オレの愛情のたけを、兄貴の中に注ぎこむ――。

夏の早すぎる太陽が、空を染め出した。東向きの窓に、朝の気配が訪れている。
官能の淵から戻ってきた兄貴を、オレは胸に掻き抱く。

兄貴が、つぶやくように語りだした。

「あのね、英二とこうしているとね、オレはオレのいるべきところに帰ってきたみたいに感じるんだ。・・・・・・おまえは、オレの一部なのかもしれない。オレがおまえの一部なのかな・・・・・・うまくいえないなあ・・・」
セリフの意味を解しかねて、顔を見つめた。
「・・・・・・同じ骨を二つに分けて、男と女が創られたって神話があるよね。オレとおまえは、そんなふうに創られた、そう思えてしょうがない。オレたちが求めあうのは、お互いの一部がお互いの中にあることを、無意識のうちに知っているからじゃないのか。おまえと結ばれたときだけ、オレは完全なオレになる。自分の欠片を自分につなぐように――」

兄貴のことばが豊饒の海のように、オレを満たしてゆく。
そうだ。兄貴と結ばれたときだけ、オレも完全なオレになる。オレの欠片も、きっと兄貴の中にあるんだ――
「そうだよ、その通りだよ。だからオレは、こんなにも兄貴に惹かれてしまうんだ――理屈じゃない、これは本能なんだ。この想いから逃れようとすることのほうが、どだい無理。逃れることなんか、到底できないんだよ。オレも――そして、兄貴も―――」

それは、兄貴がオレに手向けてくれた、至福のメッセージ。長い間、捜し求めてきた、ほしくてたまらなかった、答え。

「英二ってさ、オレの分まで、無垢にできてる。オレはおまえに抱かれると、自分がどんどん浄化されていくような感じがするの。おまえの純真で無垢な想いにふれると、オレは癒されてゆく――」

オレたちは、どちらからともなく、絡めていた手を強く結んだ。
兄貴が幸せそうに、ゆっくりとまぶたを閉じる。
兄貴に安息のまどろみが訪れるまで、オレは飽きずに兄貴の横顔を見つめていた。



end







  <coment>

アニエマだー!アニエマっ
なんだかんだで、文壇以外ではシリアスなストーリーとしては登場しなかったアにエマが遂にやってきました(笑)
やっぱりねぇ、アニーさんという人はねぇ、自分で認めるくらいにおにいちゃんに憧れていらっしゃるので、こーゆーのが実際にあったら・・・と思うと、色めきたたずにはいられませんでした(笑)
登子さん、ありがとう!