●法話「山のゴミを拾う青年」

 何年か前のある夏の暑い日、高山植物のハヤチネウスユキソウで有名な早池峰山に登ったときのことです。

 大きなリュックを背負い、先端にフックの付いた竹の棒をもった一人の青年に出会いました。

 その青年はしゃがみ込み、岩の間にその棒を差し込んでいたのです。  一体何をするのだろうと見ていると、その棒にゴミを引っ掛けてはリュックにいれているのです。  リュックからは腐った臭いが立ちこめていました。

 私は、山の管理人さんかと思い、話しかけてみました。すると、管理人でも何でもない。  ただ、山が好きで何度もこの山に登らせてもらっている。  そのお礼と感謝の気持ちから時間を作ってはゴミを拾って持ち帰っているというのです。

 平日で登山する人もほとんどいない真夏の山の中で、一人黙々額から汗をボタボタとたらしながらゴミを拾う青年の姿を見て、  今までは散乱しているゴミを見ても、「心ない人がいるなぁー」と怒るだけで、足下にあるゴミ一つをも拾わなかった自分を深く反省させられたのでした。

 曹洞宗を開かれた道元禅師さまは、「世人多くは善事を成す時は、人に知られんと思い、悪事を成す時は、人に知られじと思う」と言っておられます。

 確かに私たちは、善いことをする時は人に知られたいと思うし、反対に悪いことをする時は人に知られたくないという気持ちがあります。

 その青年の黙々たる行いは、私たちのそのような心とは大きくかけ離れ、爽やかな感動を与えてくれました。

 私たちも一人一人がゴミを捨てないことは勿論ですが、「一人一人が足下にあるゴミを拾おう」を心掛け、美しい自然を次世代に残してゆきたいものであります。



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