●法話「後ろから拝まれる人に」

 お寺のご本尊さまや家の御仏壇、あるいはお墓参りをするときは、誰しもが正面に向かい手を合わせます。  わざわざ仏さまや亡き人を拝むのに斜めからとか、後ろに回って手を合わせる人はおりませんね。

 では、生きている私たちは、どこから手を合わせてもらえるのが一番尊いことなのでしょうか?
 
 それは、後ろから手を合わせて拝まれることだと思います。

 ある若い母親が、止むに止まれず幼い子供を連れ嫁ぎ先の家を飛び出し、実家に帰ろうと汽車に乗ったのでした。   終着駅の上野駅に着いたのですが、切符を買うお金も持っていなかったので、出るに出られず思案に暮れてしまいました。
いっそ、幼い子供を道連れにと、うつろな目でホームを見つめていた時でした。

 一人の中年の紳士が、「どうかしましたか?」と声を掛けてくれました。 訳を話すと、「待っていなさい」と言葉を残し、  やがて切符を買って戻って来たのでした。 「お名前を」と言った時には、もう、紳士は人混みの中に紛れ、見えなくなってしまったのでした。

 それから五十年、今は曾孫にも囲まれ幸せな暮らしをしているその婦人は、紳士にお会いしなかったなら、今の幸せはないと、  紳士にお会いした十二月三十日には床の間に花を生け、「お名前もお顔もわからない紳士さま」と、毎年毎年、手を合わせ年を越しているのだそうです。

 曹洞宗を開かれた道元禅師さまは、「人は善いことをするときは、人に知られたいと思うし、悪いことをするときは、人に知られたくないと思う。」と言われております。

 この紳士の行いは、それらの計らいから離れ、真の善行を教えてくれております。

 私たちも一生の内には、自分の事を自分の知らないところで、後ろから手を合わせてくれるような人を一人でも持てるような生き方を心掛けたいものであります。



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