ある冬の日のことです。 中学生らしき二人の少年が、お寺の近くにある橋の上から、何かを川に放り投げ、さらに、石を投げつけていました。 遠くから見ていた私は、何をしているのだろうと、駆けつけました。川に落とされた「それ」は子猫で、必死に岸に向かって泳いでいました。 少年たちは、子猫が必死なのが面白いのか、更にしつこく石を投げつけていました。 「こら!何をしているんだ。やめろ!」見るに堪えかねた私は叫びながら土手をかけ下り、寒さでブルブルと震えている子猫を川から抱き上げ、少年たちに、「こんな弱い生き物をいじめて何が面白いんだ!子猫の気持ちになってみろ!」と怒りました。少年たちは逃げるようにその場を立ち去りました。 お寺に連れて帰り子猫の濡れた身体をタオルで拭いてやろうとしましたが、子猫は小さな口を開けて牙を出し、決して身体を触らせようとはしませんでした。 それから数年経った今でも、人を見ると直ぐに身を隠してしまいます。子猫のときに受けたいじめによって、人間に対して心を固く閉ざしてしまったのです。 今日の学校でのいじめの問題は本当に心が痛みます。力による暴力はもちろんですが、言葉による暴力も人を深く傷つけてしまいまいます。たとえ、軽い気持ちでふざけてからかっただけだと思っても、受けた側は、心に深い傷を受けていることもあるのです。 私たちも、何気ないちょっとした振る舞いや、言葉が相手を傷つけていないか、反省したいものであります。