| アルシングについて(3) |
今回は1262年から1798年位までのアルシングのおはなしです。
今回は暫定版です。今度書き直しますが今回はこれでご勘弁を
という訳(アイスランドの歴史参照)でアイスランドは1262年にノルウェー王の宗主権下に入り独立を失う。 ゴージィ達は既にノルウェー王の臣下になっていた者も少なくなかったようでそれも独立を 失わせるのに一役買ったらしい。それはさて置きアイスランドは独立喪失により国家制度に 変更が生じ、行政権はノルウェー国王が握り、総督のようなものが派遣されて実際に行政を 行うようになったらしい。。
以上のような状態になったためアルシングの当然影響を受けた。ルーグリェッタが単独での立法権を失ったのである。 法律を発効させるために、国王の同意が必要となった。またルーグリェッタは司法権を獲得。 それまであった司法機関は廃止された。1593年以降、ルーグリェッタの判決は国王に対して控訴できるようになったらしい。
アルシングの召集時期であるが1271年からは6月29日から3、4日位の会期で開かれていたらしい。
延長されることもあったらしい。17世紀中頃には6月の後半二週間に開催され、1701年からは7月8日から
二週間というふうに決められたらしい。
このように定期的に開かれていたアルシングだが、1798年を最後にシングウェトリルでの開催は中断してしまう。
そして1800年に勅令によって廃止される。
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