第二次鱈戦争(1) |
鱈戦争本番第二段である。
第一次鱈戦争が終わってから10年ほどして1971年6月、アイスランドで政権交代があり新政権の政策声明が7月14日出された。その中で漁業水域を翌1972年9月1日から50海里とすると表明。理由はアイスランド近海の漁場が荒らされていること、国際法上漁業水域の幅員は確定していないこと、海洋資源に対する権利と義務は沿岸国にあるというものであった。
驚いた英国は7月17日に駐アイスランド大使を通じて政策表明を遺憾と思うと同時に交換公文の権利は放棄しないと通告。翌月18日から英国・アイスランド間で漁業交渉開始。基本的に英国の方が低姿勢で何も独断で漁業水域を広げなくても国際委員会で協議しようよ、という態度だったらしい。しかしアイスランドの態度は変わらず強硬で1972年9月前には水域の確定をするという態度で両者はかみ合わず協議は平行線をたどる。
1972年4月14日、遂に英国は国際司法裁判所(ICJ)にこの問題を付託する。この後も交渉は継続。英国はさらに譲歩したようだがなかなか決着しない。7月に入り交渉は決裂。同月14日にアイスランドは新漁業規則を公布。さらには水域監視のためにヘリコプターまで購入。
アイスランドは早速警備艇を派遣して英国トロール船団に対して「組織的妨害」を開始。魚網を切ってまわる。1日以降も交渉は続くが不調であった。そのような状況の中漁民の突き上げを受けた英国政府は翌年1月19日、タグボート「ステーツマン」(リベリア船籍)を同海域にいれる。勿論目的はアイスランド警備艇の妨害である。この頃には一時交渉はストップしていたようである。英国ではアイスランド沿岸50海里に軍艦をいれることの是非も議論されるようになった。
というわけで続きはまたいつか
そこで英国は方針を変更し11月初旬に二国間の漁業協定を結ぼうと提案。理由は漁業資源の保護が目的なら協定によって目的を達成できるというものである。具体的な提案の内容はは1972年1月に明らかになったようだが、英国はアイスランドに優先権を認め、且つ自国の漁獲量を縮小するという提案を行ったらしい。が、アイスランドは態度を変えず、国会では政府の政策を支持する旨の決議が全会一致でなされた。
一方英国は7月19日にICJに 仮保全処置を申請。8月17日に英国に有利な仮保全命令が降りる。アイスランドは死活問題の方が国際法に優先するとしてこれを無視。問題が解決しないまま9月1日を迎えた。
しかし砲艦外交と言われることを嫌う政府はアイスランドのECとの経済関係強化の交渉を盾にとって交渉を迫り、3月下旬に交渉を再開。5月に閣僚交渉をすることが合意された。
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