アイスランドに入植した者はノルウェー系ゲルマン人が多いようである。しかしノルウェー系でない者も少なからずいた。このように出身地の異なる者がともに生活するには共通の法が必要となる。しかし、当初入植者達は、各々本国法を使用していたがそれでは間に合わなくなり、共通の法の必要性が認識されるようになった。
そこで930年、シングヴェトリルにおいて、アルシングが開催された。シングはアイスランド語で、集会を意味しアルシングは全島集会といったような意味である。シングヴェトリルは集会の丘というような意味で、レイキャビクのやや東側にある荒野である。シングヴェトリルは交通の便が悪くなく、且つ無主地であるということで選択されたらしい。南北西の人々にはそれなりにメリットがあったらしいが、東に住む人にとってはかなり遠いところであったようである。
さてアルシングの機能であるが、この集会は立法機能と司法機能を有していた。行政権は持っていない。
立法機能はアルシングのみが独占的に有しており、ルーグリェッタという機関が担当していた。ルーグリェッタの機能の第一は法の制定、改正であり、第二は法を解釈し説明し、法が何であるかを決定することであった。第二の機能は当初は法が口承であったことから重要な機能であったようである。
票決権者は基本的にゴジに限られていた。ゴジは当初36名と定められたが、北部地方が三名増員したことから、北部地方の突出を防ぐため、残りの三地方も特に票決権を有するものを、票決に参加させることができた。
次に司法機能であるが、当初は一つの法廷に置いて36名の裁判官ドゥムルによって行使された。965年以後、全島四分割に伴い、法廷も四つに分割された。但し裁判官は各々36名であったらしい。36名はゴジが4名ずつ指名。担当する法廷はくじ引きという決め方であったようである。
1004年、第5番目の法廷が設けられたが、これは一種の最高裁判所であった。判事の数ははルーグリェッタを構成する48名が一名ずつ指名、原告被告がそれぞれ6名ずつ忌避し、計36名であった。
またこの他アルシングの下にも集会があった。東西南北の各地方に一つずつ集会があり、その下にゴジ三名を一つのグループとし、彼らを主催者として春の集会、秋の集会があった。これら下位の集会は司法権のみを有していた。
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