BOWIE AT THE BEEB+SURVIVE
についての戯言

長文の私的拙文です。
他者のBOWIE観にご興味のない方は、
お読み捨て下さい。
BOWIE AT THE BEEB
そして、SURVIVEのビデオについて。
 私は、多くを支払った
 あらん限りを尽くしたと言えるときもあった。
 だが、与えられたものは、常にそれを上回ったものだった。

 2000年、今世紀の終わりに、BOWIEの1968年から1972年にかけてのBBC放送の為のスタジオライブのCDが公式に発売された。「bowie at the beeb」である。
 BOWIEの輝かしい前途を予言するBBCでのライブの数々が収録されている。
 これほどまでに力強く輝かしい黎明。昇り来る太陽はまだその全貌を明らかにする前であったが、既に目を眩ませる圧倒的な輝きで人々の魂を焼き尽くすに充分だったであろう。
 そして、予言は成就し、その太陽は輝きをいや増しに今、我らの天空にある。

 このアルバムには初回限定の3枚目が付いている。2000年6月のBOWIEのBBCライブである。幸運な観客の前でBOWIEは彼の長い道のりを歌った。

 1999年に発表されたアルバム”hours…”の中の一曲サヴァイヴもこのライブで歌われている。

ああ私のむき出しの眼よ/おまえを留めておけば/そう試みていれば/賢い類の男であったなら/おまえが惜しい/両翼を私にくれ/宇宙を私にくれ/貌を変える金を私にくれ/あの騒々しかった部屋達/いかしたズボン/おまえを愛していた/ 
私の人生の朝は何処に?/
正気を保つ意味は何処に?/時間は私の味方だ等と誰が言ったんだ/私は目も耳も手に入れた/そして人生にとるに足らないものを/
だが私は生き残る/おまえの顕わな目の前に/私は生き残る
フロアの向こうおまえは独り/おまえと私他には何もない/おまえこそ私が犯したことの無いほどの大いなる過ち/おまえに決して偽らなかった/おまえが偽るときは憎かった
私は生き残る/ おまえのむき出しの目の前に/私は生き残る
ビート族/みんな雪のように白かったな/らんちき騒ぎのクラブ/おまえにヴァレンタインを送っていればな/おまえを愛していた
私は生き残る/おまえのむき出しの両眼の前に…(繰り返し)
【survive/大意】

 2000年のはじめ、この楽曲のミュージックビデオが発表されている。それは、MTVももちろんだが、主には発売されたシングルにエンハンスト映像で焼き付けられて、パソコン上で見ることが出来るという形での発表であった。

「石造りの厨房、コンロには鍋が掛かって湯気を立てている。男が机を前にいすにかけている。男の横顔の向こうに鍋の湯気が見え、鍋の中からその湯気の中に緩やかに回転しながら鶏卵が上ってくる。その異常は男にもおこる。ゆっくりと椅子が床を離れ、男は手を置くテーブルと椅子とともに中空に回転し始める。重力が無視され彼は、真空宇宙に漂うもののように部屋を漂い、レンジの取っ手に捕まってもやがて宙に引き戻される。
だが、やがて男は自ら椅子を引き寄せ、それに座り、何事もなかったかのように鍋に収まり行く鶏卵とともに、静かに重力に固定され、元の位置、姿勢に制御されてゆく。」
言葉で、ミュージックビデオの映像を語ろうというのがどだい無理な話なのだが、私が受けたイメージはおよそこのようなものだった。

 恐ろしい映像だ。…と私は思った。
 それはいつでも起こる。鶏卵は常に、回転しながら中空を舞う機会を伺っている。私の狂気の中で。そうだ、正気を保っている意味はいったい何処にあるのか?何故、回転し続けていてはならないのか。見ろあの聴衆を、むしろ彼らはそれを望んでいるようには見えないか?
 男は、人間が何処まで遠くへ行けるかを証して見せた。狂気で?否、芸術で。だが、私は椅子を捕らえるその手を見ると魂が浮き立つ。その意志が何よりも素晴らしく思える。
長い間この芸術家を信じてきて良かったのだと心から思えてならないのだ。
 
 2000年の初秋。男は有名な週刊誌に今まで一度たりとも不幸であった試しのないもののような笑顔で映っている。
 インターネットを通じて、彼の健在は熱心なファンの元に届いてくる。

 彼が、テーブルを押さえ椅子を捕らえて降り立つそこに私たちはいる。
 彼の飛ぶ宙空にはたとえ、それを感じ(彼は充分感じさせてくれる)、或いは知ることが出来、理解することが出来ても、私自身は到底達しえそうにない。真にその宙空に存在できるのは彼独りなのだ。
 そして、彼がどれほどまでに遠くへ行くかを私は知っている。
 
 だが、彼は降りてくる。地に立ち降りた男は我々の目の前に立っている。絶望的な、希望に満ちた、美しく汚らわしいこの貧しい地上に。
 フロアの向こう男は独り。おまえと私他には何もない。そして男は生き残る。
 顕わな両眼の前に。彼のものであるむき出しの両眼の前に。

 2001年。彼は、前進し続けるだろう。彼の芸術は彼の宙空である。だが、いつも多分彼はフロアの向こうにやってくる。その時は彼は我々のために歌うのだ。彼の宙空について。そして私たちは彼とともに真の宙空を知る。たった一時間のうち一時間だけ。

 BOWIEの芸術に触れる毎に私は感じる。
 自分はこれに見合うだけの贖いをしたことは無い。支払ったものよりいつも与えられるものの方が大きかったと。
              TRASH2000・12/02 
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