Loving The Alien そしてheathen
2003年チベッタンハウスベネフィットコンサートにおいて
DAVID BOWIEはLoving The Alien とheathenを歌った。
我々は今、N.Y.911以降の世界を生きている。
命の重さを軽んじる論理と足踏みを続ける対立の下で。

「鉄で覆われた稜線
ガラスで出来た穹
現実世界のために造られた
全てのものは過ぎゆかねばならない」

歌は旋律と声とによって完全な形に窯変する
heathenは死についての歌である。
否むしろ、生きていることの歌かも知れない
世界が崩壊したとしても
生きてゆかねばならない死すべきものの歌。
僅か寿命100年に充たない生き物のひしめく
この貧しい地上にあって
何ほどの力もなく
しかし確かに生きねばならない
この世界に生きる我々の歌である

そしてLoving The Alien
パレスチナは遠い外つ国の物語ではないし、
根が深いと思われる宗教的対立は口実でしかない。
あまりにも数多の力に蹂躙されてきた地には
けっして力を以てして和解は成るまいものを。

そしてさらに多なる欲望が「異なる者への信頼」を迂回させる。


今この時にこの歌を歌うことの重さと
DAVID BOWIEが立っている世界の境界線を思う。

その境界線の空の下に
我が友(と言って佳ければそう呼ばせて欲しい)
TOMOSUKEさんもまた、今当(まさ)に立っているんだ・・とも思う。

そういえば先日、笠井叡さんが舞踏のあとのアフタートークでオイリュトミーの説明をしながらおもむろに「イラク攻撃は止めましょう」とオイリュトミーの発声で言われて、なんだか客は笑っていたけど笑えませんでしたさ。

Loving The Alien
去来する聖堂騎士達と
サラセンびととを見ている
彼らは電報を開けながら聖地を旅する
去来する苦痛
おまえに全てを与える騎士は
獅子心王の十字を負う
鑑に盲いたものの救済者

だがおまえが祈るならば
おまえの罪は天上に掛けられる
祈るなら 異教の偽りは消え失せる
祈るものは悲惨な光景を覆い隠す
-信じ難きものを信じ
異邦を愛する-
おまえの祈祷者たちは
天を二つに砕き分かつ
-信じ難きものを信じ
異邦を愛する-
おまえは夜が明けるまで祈る
-信じ難きものを信じ
異邦を愛する-
そしておまえは信じるだろう
おまえが異なるものを愛していることを
-信じ難きものを信じ
異邦を愛する-

異なる時代に思いを馳せれば
パレスチナは今日の問題だ
恵み深さそしておまえの土地の富
巧みな企みの恐怖

去来する者達を見ている
この先とそしてこれまでとを
キリスト者とそうでないものと
十字架と釘とに掛けられる
大意-協力 Misaki-Y・2003 March 9 TRASH
鑑に盲いたもの→
盲信者とする辞書があったはずだけど、どうも今手元に見あたらない。
この歌そのもののテーマが地下茎で戦場のメリークリスマス→マックスモナムールにも繋がっているような気がするのは気のせいだろうか??