ZIGGY STARDUST 実在する神話
                                   文◎Belne
(漫画家)

 あなたは、あなたが見、聴いたことに何も足してはならない、また何も引いては
ならない。これこそが、ZIGGY STARDUST。実在する、神話のありのままの姿。
 あなたはZIGGYを知ってしまった、もう元には戻ることができない。
 “THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND THE SPIDERS FROM MARS”
 DAVID BOWIEが1972年に発表した、このアルバムのコンセプトを縁どる異世界の

人格ZIGGYは、果たしてクレバーなアーティストの思いついた、演技上のキャラクター
なのだろうか。
 このフィルムによってZIGGY STARDUSTのステージを追体験すれば答えは

おのずと明らかになる。
 ステージ上にいる彼は、紛れもなくZIGGYそのものだと。
 “舞台上の魔”、私たちは、それほど多くの機会に恵まれるわけではないが、

舞台の上で、歌い手が、目には見えない重い光を纏ったように輝き始めるのを目の
当たりにすることがある。
 何かが歌い手に入ったかのような、魔的な輝き。ZIGGYはそれに似ている。
 性的な神聖さ。救世主の暗喩。卑しく美しい、偉大で小さい、
この世には拠り所のない、いつか(それはこの世の終わりかもしれない)
そこに還るべき、遠いどこかしらからやって来た心許無い存在。
 ZIGGYはここに実在している。

 ハマースミス・オデオンで、ZIGGY STARDUSTの最終公演が行われたのは
1973年7月3日。DAVID BOWIEは、若干26才だった。
 ZIGGY以降の、何もかもが起きたようにさえ思える70年代。
 世界を坩堝に投じたような80年代。
 そして、未だ鋭い剣のように音楽を手挟んで前線に立っている彼を見出すこと
のできる現在まで。
 ディスコグラフィーの中に、常に時代を疾駆するアーティストとして存在し続け
ているDAVID BOWIEが見える。
 もちろん、どんなアーティストの人生もあなたのそれとそんなに違うものではな
い、良い時もあれば、悪い時もあるのだ。
 ZIGGYを引き合いに出してそれ以降の彼に翳りを感じると評する人もあとを絶たない。

BOWIE自身70年代の後半から、しばしばZIGGYを棄て去るような発言
をしているそのことが、寧ろBOWIEにとってのZIGGYの存在の重さを

表しているようにも思えてならない。
 だが、当たり前のことのようだが、1973年のZIGGYの中にその後のBOWIEは
無く、そして現在のBOWIEの中には確かにZIGGYが在る。

 かつて、ZIGGYと名付けられたそのもの。私たちはこのフィルムよりも、現在の
BOWIEの上にはるかに鮮やかにその存在を見出すことができる。

 彼は、アレクサンダー・マックイーンの服を纏い、髪をバーミリオンに染め、素足
にピンヒールを履いた50才の男。
 ポール・スミスとのフォトセッションを行い、“21”という出版社を創設.美術雑
誌でジェフ・クーンズにインタビューし記事を書く。(その記事に添えられたクーンズ
と彼にインタビューするぶれたBOWIEの写真はBOWIEの妻、世界的なモデル
のイマンの撮影によるものだ。)
 そして、若い監督の映画に出演し楽しげに渋い脇役を演じて見せる。※

 1999年、DAVID BOWIEの中に、未だ私たちの知らないZIGGY STARDUST
が、存在している。


発行日:1999年3月20日
劇場公開版ZIGGY STARDUST(ケーブルフォーク配給)パンフレットより

出版社21は現在は移譲されたと言う噂がある。
※アンドリューゴス監督のエブリバディ ラブズ サンシャイン