David Bowie, Comment for iSelect BOWIE #01
Life On Mars
この曲は容易かった。若さが容易さだった。よく晴
れた日に、私は野外音楽堂の階段に座っていた。「船
員達がbap-bap-bap....」社会的混沌のヒロイン。中産階
級的エクスタシー。
靴とシャツを買うためにベッケナム・ハイストリー
トまで歩き、ルイシャム行きのバスに乗ったんだが、
リフがどうしても頭から離れなかった。すぐにバス
から飛び降りて、バス停2つ分ほど走ってサウスエ
ンドの家まで戻ったよ。
仕事場は広くてがらんどうの部屋で、長椅子と、バー
ゲンで買ったアールヌーボー調のつい立て(訊かれ
ると「ウィリアム・モリスだ」と応えていたが)、吸
殻の溢れたスタンド式の大きな灰皿と、グランドピ
アノくらいしか置いていなかった。
ピアノの前に座って取り掛かり、上手いこと夕方ま
でに全ての歌詞とメロディーを仕上げた。 ナイス!
リック・ウェイクマンが、数週間後にピアノ部分を
潤色しに来てくれた。ミック・ロンソンも、現在私
のショーで或る種の定番になっているこの曲のため
に、彼の最初にして最も素晴らしいストリングス・
パートを作ってくれた。
Sweet Thing/ Candidate/ Sweet Thing
ジョージ・オーウェルの未亡人から『1984』の演劇公
演許可が貰えなかったのだが、既に3曲ほど出来て
いたので、すぐに方向転換して『ダイアモンドの犬』
の構想へと頭を切替えた。暗黒郷のハンガーシティ
の屋上で暮らす錆びたスケート靴を履いた十代のパ
ンクス… ポスト終末論的な景観だ。
これは、舞台演出上、最も重要な位置を占める予定
だった曲で、ウィリアム・バロウズのカットアップ
方式を使って詩作した。
1つの物語の構成要素となる別々の物事を描写した
幾つかの文章を書く。それを4、5語ごとに区切っ
て切り離し、シャッフルしてから再び繋ぎ合せる。
すると、かなり面白い発想の組合せを得ることがで
きる。そのまま採用してもいいし、無制御になるの
が嫌なら、そのアイデアは捨てて全く新たな節を書
いてもいい。
Kurt Weill やJohn Rechy 風の登場人物や、それ風の雰囲
気によって放蕩な世界を創設しようとしていたんだ。
Enid Blyton のベッケナムとThe Velvet Underground の
ニューヨークの間の架け橋だよ。
メロドラマ風にSweet Thing を口ずさみ、汚いサウン
ドのCandidate、そしてまたSweet Thing に戻るのが喚
起的だと思っていた。これといった理由もなく( 茶飯
事だが)、70 年代半ば頃には歌うのを止めた。
ロックショー以外のミュージカル公演に本気で取り
掛かる根気も訓練も積んでいないんだが、やるべき
ことは判ってるんだよ。
伝統的なミュージカルには、一度も夢中になったこ
とがない。対話が突然、歌になることに不信感をと
どめようがないんだ。それを成し遂げることができ
る数少ない人々のひとりが、『Assassins』などを作っ
たStephen Sondheim なんだろう。
全篇が楽曲で、ほとんど台詞の無い作品の方が断然
良い。『スウィーニィ・トッド』は、もちろん素晴ら
しい例だよ。Benjamin Britten のオペラ『Peter Grimes』『ね
じの回転』、ワイルの『The Rise And Fall Of The City Of
Mahagonny 』。あんな風に演れたら最高だね。
The Bewlay Brothers
私がふかしたことがある唯一のパイプが、安いBewlay
だった。60 年代末期の流行品だ。この歌では、自分
の名字ではなくBewlay を使った。只の兄弟愛につい
ての歌ではなかったから、本名を使って誤解された
くなかったんだ。
とは言っても、この中に幽霊の層があると示唆する
よりほかに、この曲の歌詞を説明する方法を知らな
い。 パリンプセスト( 前に書かれた元の文字が透かし
読める再利用羊皮紙)みたいなものなんだ。
レコーディングの事はほとんど記憶に無い。遅い時
間だったのは覚えている。プロデューサーのKen Scott
と二人だけだった。その晩、他のミュージシャン達
はもう帰っていた。『Hunky Dory 』に収録された他の
曲は、スタジオをブッキングする前に仕上げてあっ
たんだが、この曲だけは書き上げないうちから、す
ぐに録音しなければ、と思ったんだ。丸1日かけて
書いた一束の詩句があった。一晩中、隔てられて不
安定な感触があって、心の中に定着した感じだ。
Bewlay パイプで何かを吸い込んだのかも知れない。感
情的に侵入される感覚を明確に覚えているんだ。
我々は、その一晩で総てを仕上げた筈だ。最後は確
かケンジントン・ハイストリートのSombrero か、ワー
ドウォーのcrumbling La Chasse で飲んでたんじゃない
かな。クールだ。
David Bowie, Comment for iSelect BOWIE #02
Lady Grinning Soul
マイク・ガーソンのピアノは、19 世紀の演芸場の' エ
キゾチックな' ナンバーの、最も滑稽でどんぴしゃな
改造版から始まる。
バーのフロアに充ちた煙越しに見える'poses plastiques
※' が目に浮かぶようだ。扇、カスタネット、夥しい
スペイン製の黒いレース布くらいしか纏っていない。
セクシー? マダム、あなたには?
これは、もう30 年以上会っていない素敵な女の子の
ために書かれた歌だ。この曲を聴くとき、もちろん
彼女は未だ20 代なのさ。
歌は焦らすように過去と君との距離を狭める。手を
伸ばせば届くかのように。これもまた幽霊の音楽な
のかもね。
※poses plastiques=Victoria スタイルの女性静止像
Win 
これは… 絶句するかもしれないけど、Winifred Atwell
への頌詩では無いんだよ。それは、彼女が本当の勝
者であったからだと願っているのだが。50 年代の英
国で、もしも我らのウィニフレッドが「別の」ピア
ノで演奏していなければ、10 代の若者がブギウギと
ラグを耳にすることは不可能も同然だった。
ウィニーは、トリニダードの家でブルースとR&B と
共に育ち、基地でアメリカ人のGI のために演奏して
いた。 彼女は、ミリオンセラーを記録した最初のイギ
リスの黒人アーティストだった。 彼女は最高だった。
いや、この歌は…えー、勝利についての歌だよ。サッ
クスは、David Sanborn。彼は、音響効果の実験を試み
ていた。そのままその領域に進んでいくと思ったん
だが、彼は富と名声を選んだ。そして彼は本当に勝っ
た…そうだろ?

David Bowie, Comment for iSelect BOWIE #03
Some Are
ブライアン・イーノと私が70 年代に書いた静かな小
作品だ。バックに入っている狼の鳴き声は、自分が
狼でないと聞き取りにくいかも知れない。それらは、
ほとんど「人間」で、かつ美しく、気味が悪い。
スモンレスクの失敗にも関わらず非埋葬の兵士を見
ながらモスクワに侵攻したナポレオンの軍隊のイ
メージ。或いは、ことによると人参鼻の雪だるま。
足元にはクリスタルパレスのサッカーのしわくちゃ
の入場券。本当の、Weltschmerz(厭世観=カナダのマ
ンガのタイトル)だね。子供達、君自身のイメージ
を送って呉れ。一番良いのを来週紹介するよ。
Teenage Wildlife
ある時、昼前頃に考えていたんだ…「新しい歌と新
しい取り組み。そうだ、ロニー・スペクターをやろう。
よし、1日限りの代用品だ。」
そして、やってのけた。こいつがそれだ。神よ! 今
でも、この歌にぞっこんだ。いつでも「モダン・ラブ」
を君に2つやれるくらい。これは、ステージで歌っ
て充足を感じる曲でもある。足元をすくうような興
味深い部分を含んでおり、それは常に人生と戦うた
めの良い意味での障害だ。
皮肉にも、人生において目先ばかり追うことに関す
る歌詞で、時代の先も見ていなければ、迫り来る苦
境の予測もしていない。この詞は、弟か私自身の思
春期への警告だったのかもしれない。
このトラックのギターでは、偉大なロバート・フリッ
プと、私の長年の友人カルロス・アロマーの間でト
ゲのような小さな決闘が起きている。
Repetition
楽器の古くからの障害のおかげで、Simon House のバ
イオリンは、この録音で純粋なゴート族の血脈に触
れている。全体的にリズムセクションが麻痺してお
り、私はそれを無表情なボーカルで、出来事を目撃
するよりも寧ろレポートを読んでいるように模倣し
ようと試みた。そういうやり方は、ずっとお手の物
だった。
私は、縮約形ドラマの手法で、家庭内暴力の深刻で
不穏な問題について何かを書くと決めていた。予想
以上に多くの事例を耳にしてしまい、一度ならず何
度と無く繰り返し女性を殴ることが、一体どうした
ら出来るのか。想像するのは絶対に困難だった。
Fantastic Voyage
この曲は、ほぼ風変わりで美しい。50 年代のバラエ
ティショーの感覚が強い。ついでに難癖をつけると、
私が60 年代半ばにローリングストーンズの位置にい
たなら、日曜の夜は間違いなくロンドン・パレイディ
アムショーの回り舞台に赴いただろう。
彼らはショーの終わりに他の出演者の演奏で立ち上
がるのを拒んだ。反逆者のイメージに合わなかった
んだ。アメリカのエンターテイナーのジュディ・ガー
ランドも回り舞台を拒否したと知って驚いた。 あまり
に動揺していたからだって。そんなのわからないよ。
私は内気にも自分の記憶を辿り、Jimmy Tarbuck を思い
出していた。1955 年に初めてTV であのショーが放送
されたとき、母親が興奮していたのを覚えている。
1953 年エリザベス皇女戴冠のときに父親がTV を買っ
てきて、我々の前に新しい世界が開かれたんだ。Guy
Mitchel が面白いようで、彼が画面に現れてShe Wears
Red Feathers (And AHula Hula Skirt) を歌うと、母はまるで
女学生のようにはしゃいだものだ。
この曲の(Fantastic Voyage のことだよ) 和音構造は
『Lodger』では2つの形で顕れている。1つはこの曲、
もう1つは『Boys Keep Swinging』( あれは、男用のド
レスだからね)。どちらも速度と主要なメロディーは
書き直した。
Loving The Alien
各選曲について、話したことのない言葉を考え出そ
うとしてるんだけれど、この歌用には出てこないん
だ。 この曲は、驚くかも知れないけれど…、他の緑色
の火星人への頌歌ではないんだよ。 あ、いいねこれ。
気に入った。
Time Will Crawl
長年に渡り録音してきた曲のなかには、何やかやの
理由から(歯軋り…)将来録音し直したいと思うも
のが多々ある。『Never Let Me Down』収録のこの曲もそ
のひとつだ。
ドラム・マシーンを生ドラムに替え、crickety strings を
加えてリミックスした。新しいヴァージョンが非常
に気に入っている。ニール・ヤング風のShortlands ア
クセントだ。あぁ、アルバム全曲を録り直したい。
1986 年4 月、ある土曜の午後、スイスのモントルー
スタジオでのレコーディングの合間に休みを取って
いた。 美しい日で、我々はアルプス山脈と湖に面した
小さい芝地に出ていた。
ラジオを聞いていたエンジニアがスタジオから飛び
出してきて、叫んだ。「ロシアで大変なことが起きて
いるぞ」
スイスのニュースは、ノルウェーのラジオ放送が全
リスナーに向けて叫ぶのを拾った。「巨大な渦巻く雲
が母国のほうからやって来ている。雨雲ではない」
これが、ヨーロッパで最初の、魔のチェルノブイリ
のニュースだった。
ロンドンにいる作家の友人に電話をしたが、彼は何
も知らなかった。 何時間経っても、主要なニュースに
も何も上がって来なかった。
暫くの間、この大事について、ほんの一握りの目撃
者のひとりであったことは、閉所恐怖症的に感じら
れたものだ。
翌何ヶ月かの間、この狂気に駆り立てられ、私の頭
に複雑な坩堝として集まった印象は、どの1つを取っ
ても歌になったと思われる。私は、この歌にその全
てを貼り付けた。最後の文は韻を踏んでいる。
Hang On To Yourself (live)
Ziggy and the Spiders は、英国内で合計50 公演を行った。
この1972 年10 月20 日サンタモニカでの演奏は、米
国での12 番目のショーだった。
海賊盤品質で、ドラムとベースは非公式音源だが、
初めてこのライヴ音源をラジオで放送された我々の
スリルをリアルに感じてくれるといいな。ブロムリー
レパートリー劇団の大根役者のように安易に、私は
必然的にステージほぼ中央に立った。実際は、致命
的にナーバスになっていたのに。
これが、我々のアメリカでの最初のラジオ生中継だっ
たので、まさに一大事だった。 その夜、我々は大いに
トチッたが、熱意とプライドは、高さ10 フィートあっ
たよ。
そして、仰天したことに、当時の私の事務所のメイ
ンマンは、スパイダーズの18 ヶ月の契約期間中(実
際はその後も)、我々の欧州ツアーの手配を一切しな
かったんだ。ZIGGY の前評判は爆発的だったのに、ツ
アーはおろかショーも無し。パリですら何も無し。
全く理解できず、当時は酷く惨めな気分だった。で
も今なら、実際のマネージメントという重大な仕事
に関して、当時のスタッフ達がどれほど素人で丸腰
状態だったかがよく解るよ。
David Bowie 2008.
(限られた資料と推測による対訳です。読解に大きな
誤りがありましたらご教示下さい。)
原文はこちらです。
メールオンライン
David Bowie, Comment for iSelect BOWIE #03
team trash 2008
TRASH紙版 2008 夏号より 抜粋
MR,DB Comments For iSELECT 12 Songs  邦訳 (近々bowienet にも公式邦訳が上がるそうです。)