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2010

Winter

Transformation of Ziggy Stardust

Ziggy Stardustの変容…

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#1972〜73…Ziggyの時代

Ziggyは1972年の旅の始まりには、眉のある、ブーツを履いた精悍な青年ロックアーティストの姿をしていたはずだ。
私が始めてBowieの存在を知ったのは1973年の初来日の頃。渋谷のレコード屋のポスターでだった。それは鋤田正義氏による、Ziggyのポスター。アルバムリリース(1972年6月6日)から約1年後の春の事である。
その時、その「いでたち」は既に大きな変容を遂げていたと言って良いだろうと思う。
髪は金朱に染め上げられ、眉のない額には円形の月のような装飾が施されていた。唇は金と朱の紅が塗られ、爪の先までデコラティブで異様な”アンドロギュヌス”の様相だった。

時代は既にBowieクロニクルの中で、“ALADDIN SANE”に変わっていたはずだが、日本ではこのBowieが長く「Ziggy」の姿だと思われていたと思う。…畢竟、私自身のZiggy のイメージを覆っているのもやはり、この異様であった。
そして、私が始めて買ったブートレグ・アルバムのジャケットを飾っていたBowieの写真は、鳥の剥製のような装飾を胸に付け、透けたシャツを纏いステージライトの下で空を仰ぐ写真だった。勿論、多くの人は1980フロアショー(ミッドナイトスペシャル)で別の黒い羽を胸に飾ったBowie(image of angel of death )を見た事があるはずだ。

バッドティスト…変容するziggyは、よりFreaksにそして、存在そのものも、より巨大で怪物的になっていったのである。

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#神話と幻想…

そこにはファンによるBowieが描き出したキャラクター「Ziggy Stardust」の神格化…ファンタジーの神話化があった事は言うまでもない。
私も例外なくホメロスの大冒険奇譚に倣ったタイトルを持つ偉大なSF映画「 2001年宇宙の旅ー原題2001: A Space Odyssey」の影響下にあった。
それをさらになぞるようなタイトルを持つ名曲、Bowieの出世作である「Space Oddity」…そして、さらに近未来的であり、終末的な「Ziggy Stardust」の世界を…夢想的だがきわめて現実感のあるものと捕らえていたのだ。 私に限ることではない、Ziggyは多くの聴衆にとって、最早決して他人事では無かったのである。

幻想的で超越的な悪夢の到来。

その時代のインタビューを見るとBowie自身からも周囲からもBowie本人と、彼が創造したキャラクター”Ziggy”の混同が尋常ならざる状態になっていた事を伺い知る事が出来る。Ziggyの存在がBowie本人に取って代わろうとしていたのかも知れない。
そして遂に…1973年の7月3日ロンドンのハマースミスオデオンでBowieはZiggyと決別する。今宵が、Ziggyの最後のステージだと宣言したのである。

だが、Bowieから決別された「Ziggy」の方は、未だBowieを解放してはいなかった。

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#ダイアモンドの犬…

“DIAMOND DOGS”は「1984」というジョージ・オーウェルの絶望的な近未来社会を描いた物語から想起されたアルバムだ。オーウェルによるシリアスな社会小説であった「1984」の世界より、もっとグロテスクでFreaksな物語が展開する。
当時としては大規模で奇抜なセットを使い、細部まで緻密に演出されたショーが組まれ…もうそこにはZiggyの姿は無い…はずだった。

だが、依然としてBowieの額に眉は無く、ただ新しいキャラクターの名前にすり替わった何者かが…能面の面(おもて)のようにその顔(かんばせ)を覆っていたのである。

私はステージフィルムのBowieの顔貌の上に現れる、どう猛で超越的なその表情を…誤りを感じながらしかし、やはり内心「Ziggy」と呼んでいた。
おそらく、私にとって当時「Ziggy」はBowieの超越的自我の別称であり、尊称でさえあったのだ。

「サイエンスフィクション」「近未来」「終末」「死の天使」「アンチクライスト」「黒魔術と錬金術」符号と暗喩…それらは理性と混然一体となって、Bowieの楽曲の上に浮き沈みしていたように思える。

この頃のBowieは極めて精力的にRCAとの年に2度のアルバム契約を履行しながら…身体的或いは精神的にも、ドラッグによる混迷状態に急速に降下していった…。

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#異星人ではなく異邦人として…地球に落ちてきた男

 

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1970年代はまるで、何もかもが一緒くたに起こっているかのようだった。

当時あまり他のアーティストに興味の無かった私は、今にして、遡って当時の資料を見るに付けてもその中にいるBowieの異質、異様に驚かされる。グラムロックスター達の間に立って居てさえ、Bowieの特異は際だつものだったのだ。
そして1976年「地球に落ちてきた男」が公開される。撮影は主に1975年、この同じ年に、映画とほぼ同時進行であったのだろう、映画のスティルがジャケットを飾るアルバム“STATION TO STATION”が発表された。

もうその顔貌は、Ziggyのそれではなく。映画の中では…痩せた美貌の男が、ただ独りの男としてそこに踏みとどまるように立っていた…。それは、超越的な異星人ではなく、寄る辺ない異邦人の姿だったのである。
日本では1977年2月に、遅れて公開されたこの映画は熱狂的なファンに迎えられたものの、渋谷の封切館では一週間で上映打ち切りになった。(その後カルトムービーとして幾度もの再上映が成されている。)同時期に“LOW ”が発表されこのアルバムジャケットも「地球に落ちてきた男」のスティルが使われている。4月にはプロモーション来日。そして10月にはアルバム“HEROES”が発表されている。

1977年、Bowieは幾度も我等の前に顕れる彗星のようであった。あまりにもの高速でファンさえ振り切っているかのように見えたが

…彼自身は、実は何かもっと重い物をも、振り切って前進しようとしていたのかも知れない。

 

#SPEED OF LIFE

1978年 Bowieにとって二度目の来日が私にとっての初Bowie公演体験だった。二部構成のステージでは、前半に新しい曲が…そして後半にZiggyのアルバムから主たる曲が選ばれて、歌われている。

典型的な「ファンサービス」と受け取って差し支えないで有ろうと思われるそのステージ構成。聴かせたい曲はやはり“HEROES”等の新しい楽曲だったのだろうと思う。

だが、武道館の座席で私はその時はじめて…”Ziggy Stardust”を体験するのである。

この歌は第二部の中盤で歌われた。

…その圧倒的な前奏が始まった瞬間…私の記憶が正しければ、武道館アリーナの南西から西までの一帯で座っていた観客のほぼ全員が総立ちになったのである。

それは伝播的なものではなく、武道館に音が響くほど瞬間に…。

神格化された神話は伝説の中に収まっては居なかった…Bowie自身はそれを知っていたのだろうと思う。

Bowieは未だZiggyを失っていなかったし、言い換えればZiggyもまた、Bowieを失ってはいなかったのである。

未だ、歌の力が強い効力を持ち、ステージの上の魔法も色褪せにくく…醒めにくい時代であった。

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#霊感を呼び起こす…

そして、その次にBowieは自分自身ごと、Ziggyをもう一度擲っている。
1990年RCA時代の作品のCD化の権利を,RYKO.EMIが取得、全集がリリースされると同時にBowieは1989年に結成したバンド「TIN MACHINE」の活動を中断して、プロモーションツアー「SOUND AND VISION TOUR」を廻っている。

その時に過去の作品を演奏するのはこのツアーで最後であると発表したのである。
その後過去の曲を封印した「TIN MACHINE」の活動は1992年まで続いた。

この時のBowieは、あるインタビューにこう答えている。

「それらの歌の霊感を呼び覚ますのはとても大変なのだ。」

1983年に大ブレイクを起こしたレッツダンスツアー。メガスターとしての自分にあっという間に倦んだBowieらしい行動だった。その頃にはZiggyではなく、Bowie自身そのものが、自ら捨て去りたい程に膨れあがった化け物のような存在になっていたのかも知れない。
92年の春、フレディマーキュリーの追悼コンサートでロンソンのギターで“HEROES”を歌い、封印の封緘はほどけかけていた…1993年にソロ活動に戻り1995年…“OUTSIDE ”が発表され、そのツアーが来日した。
セットリストに連なるZiggy時代の曲の中にその伝説的な歌は含まれていなかった…だが、我々の前には、髪を金朱に染め上げ、装飾的な衣装に身を包みピンヒールを履いた男が立っていたのである。聴衆は驚いたと思う…が、…もう誰も彼をZiggyという名で呼ぶものはいなかった…。

おそらくBowieはその頃に至って、とっくにZiggyをパンドラの箱から自由に解放していたのだと思う。

BowieはZiggyから、ZiggyはBowieから解放され…「Ziggy Stardust」もまた、霊感の中に喚起せられる「歌」そのものになり仰せていたのだと…私はそう考えている。

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#2004年3月…Reality Tour in Japan

2004年の公演は私が見た、Bowie公演の中でも最も優れた公演であった。
東京公演の全曲目は26曲。決して少なくない曲数である。
だが、公演会場の時間的なキャパシティーの問題もあるだろうが、ヨーロッパ公演では30曲も歌っている日がある。

リアリティツアーはBowieが聴衆の端近に降りてきて、その歌の力を信じ、試した世界ツアーであった。
その公演の最終曲にBowieはこの歌を選んでいた。
重々しく、荒々しく…21世紀のこの世界に生きて歌う、我等のモンスター「Ziggy Stardust」…と、私は当時のレポートに記録した。

最終曲がこの曲である事を揶揄する「今のBowieを評価したい」気持ちのファンもいたことを記憶している。Ziggy時代のファルセットを蔑称で呼び、ことさら「ziggyは過去のもの」と主張しようとした彼等にも、勿論言い分がある。
来日による雑誌報道ラッシュで企画された殆どの書籍のフロントをZiggy時代の写真が飾っていた事への抵抗感は私自身にも、もちろん大いにあったのだから。

だが、私にとっては、そんな採るに足らぬことと、歌の霊感が聴衆の頭上に降り注いだあの瞬間の出来事とは…まるで次元が異なるものだった…。

何故なら、その夜毎の別れに歌われた歌は「聖なる遠矢」のように、Bowieから放たれて、自由気ままに飛んで行き、人々の魂の奥底深く突き刺さり、癒える事のない傷を残し、未だそこから抜けぬままに残っているのだから。

忘れ得ぬあの来日ツアーの記憶を脳に縫い止めるピンのように。

…霊感と伝播…走る列車の中や、机に向かう夜…寒気の中、午下がりの路傍を行くとき。
ipodの曲順がこの歌に行きかかり、あの前奏が始まると…

それはそう…まるで生きた心地が失せるよう…。

 

2010 12月 trash