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2010 Winter Transformation of Ziggy Stardust Ziggy Stardustの変容… |
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#1972〜73…Ziggyの時代 Ziggyは1972年の旅の始まりには、眉のある、ブーツを履いた精悍な青年ロックアーティストの姿をしていたはずだ。 時代は既にBowieクロニクルの中で、“ALADDIN SANE”に変わっていたはずだが、日本ではこのBowieが長く「Ziggy」の姿だと思われていたと思う。…畢竟、私自身のZiggy のイメージを覆っているのもやはり、この異様であった。 バッドティスト…変容するziggyは、よりFreaksにそして、存在そのものも、より巨大で怪物的になっていったのである。 |
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#神話と幻想…
そこにはファンによるBowieが描き出したキャラクター「Ziggy Stardust」の神格化…ファンタジーの神話化があった事は言うまでもない。 幻想的で超越的な悪夢の到来。 その時代のインタビューを見るとBowie自身からも周囲からもBowie本人と、彼が創造したキャラクター”Ziggy”の混同が尋常ならざる状態になっていた事を伺い知る事が出来る。Ziggyの存在がBowie本人に取って代わろうとしていたのかも知れない。 だが、Bowieから決別された「Ziggy」の方は、未だBowieを解放してはいなかった。 |
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#ダイアモンドの犬… “DIAMOND DOGS”は「1984」というジョージ・オーウェルの絶望的な近未来社会を描いた物語から想起されたアルバムだ。オーウェルによるシリアスな社会小説であった「1984」の世界より、もっとグロテスクでFreaksな物語が展開する。 だが、依然としてBowieの額に眉は無く、ただ新しいキャラクターの名前にすり替わった何者かが…能面の面(おもて)のようにその顔(かんばせ)を覆っていたのである。 私はステージフィルムのBowieの顔貌の上に現れる、どう猛で超越的なその表情を…誤りを感じながらしかし、やはり内心「Ziggy」と呼んでいた。 「サイエンスフィクション」「近未来」「終末」「死の天使」「アンチクライスト」「黒魔術と錬金術」符号と暗喩…それらは理性と混然一体となって、Bowieの楽曲の上に浮き沈みしていたように思える。 この頃のBowieは極めて精力的にRCAとの年に2度のアルバム契約を履行しながら…身体的或いは精神的にも、ドラッグによる混迷状態に急速に降下していった…。 |
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#異星人ではなく異邦人として…地球に落ちてきた男 |
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1970年代はまるで、何もかもが一緒くたに起こっているかのようだった。 当時あまり他のアーティストに興味の無かった私は、今にして、遡って当時の資料を見るに付けてもその中にいるBowieの異質、異様に驚かされる。グラムロックスター達の間に立って居てさえ、Bowieの特異は際だつものだったのだ。 もうその顔貌は、Ziggyのそれではなく。映画の中では…痩せた美貌の男が、ただ独りの男としてそこに踏みとどまるように立っていた…。それは、超越的な異星人ではなく、寄る辺ない異邦人の姿だったのである。 1977年、Bowieは幾度も我等の前に顕れる彗星のようであった。あまりにもの高速でファンさえ振り切っているかのように見えたが …彼自身は、実は何かもっと重い物をも、振り切って前進しようとしていたのかも知れない。 |
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#SPEED OF LIFE 1978年 Bowieにとって二度目の来日が私にとっての初Bowie公演体験だった。二部構成のステージでは、前半に新しい曲が…そして後半にZiggyのアルバムから主たる曲が選ばれて、歌われている。 典型的な「ファンサービス」と受け取って差し支えないで有ろうと思われるそのステージ構成。聴かせたい曲はやはり“HEROES”等の新しい楽曲だったのだろうと思う。 だが、武道館の座席で私はその時はじめて…”Ziggy Stardust”を体験するのである。 この歌は第二部の中盤で歌われた。 …その圧倒的な前奏が始まった瞬間…私の記憶が正しければ、武道館アリーナの南西から西までの一帯で座っていた観客のほぼ全員が総立ちになったのである。 それは伝播的なものではなく、武道館に音が響くほど瞬間に…。 神格化された神話は伝説の中に収まっては居なかった…Bowie自身はそれを知っていたのだろうと思う。 Bowieは未だZiggyを失っていなかったし、言い換えればZiggyもまた、Bowieを失ってはいなかったのである。 未だ、歌の力が強い効力を持ち、ステージの上の魔法も色褪せにくく…醒めにくい時代であった。 |
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#霊感を呼び起こす… |
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そして、その次にBowieは自分自身ごと、Ziggyをもう一度擲っている。 その時に過去の作品を演奏するのはこのツアーで最後であると発表したのである。 この時のBowieは、あるインタビューにこう答えている。 「それらの歌の霊感を呼び覚ますのはとても大変なのだ。」 1983年に大ブレイクを起こしたレッツダンスツアー。メガスターとしての自分にあっという間に倦んだBowieらしい行動だった。その頃にはZiggyではなく、Bowie自身そのものが、自ら捨て去りたい程に膨れあがった化け物のような存在になっていたのかも知れない。 おそらくBowieはその頃に至って、とっくにZiggyをパンドラの箱から自由に解放していたのだと思う。 BowieはZiggyから、ZiggyはBowieから解放され…「Ziggy Stardust」もまた、霊感の中に喚起せられる「歌」そのものになり仰せていたのだと…私はそう考えている。 |
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#2004年3月…Reality Tour in Japan |
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2004年の公演は私が見た、Bowie公演の中でも最も優れた公演であった。 リアリティツアーはBowieが聴衆の端近に降りてきて、その歌の力を信じ、試した世界ツアーであった。 最終曲がこの曲である事を揶揄する「今のBowieを評価したい」気持ちのファンもいたことを記憶している。Ziggy時代のファルセットを蔑称で呼び、ことさら「ziggyは過去のもの」と主張しようとした彼等にも、勿論言い分がある。 だが、私にとっては、そんな採るに足らぬことと、歌の霊感が聴衆の頭上に降り注いだあの瞬間の出来事とは…まるで次元が異なるものだった…。 何故なら、その夜毎の別れに歌われた歌は「聖なる遠矢」のように、Bowieから放たれて、自由気ままに飛んで行き、人々の魂の奥底深く突き刺さり、癒える事のない傷を残し、未だそこから抜けぬままに残っているのだから。 忘れ得ぬあの来日ツアーの記憶を脳に縫い止めるピンのように。 …霊感と伝播…走る列車の中や、机に向かう夜…寒気の中、午下がりの路傍を行くとき。 それはそう…まるで生きた心地が失せるよう…。
2010 12月 trash |
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