ボウイへの評価(覚え書き)2006年2月8日(水)
bowieへの評価や評判はいろいろと取りざたされるところですが。
ひところ、流感のようにバンドも評論家と音楽マスコミも果てはシロウトやファンまで
bowieをくさすことがトレンドになった事がありますね。(多分未だに)
ある種の基準点として扱われるには、余りに特殊な立ち位置だと思うのですが
そんなところも、bowieで、あるいはbowieについてで、何か言いたい気持ちに
させるのかもしれません。
ジョン・レノン2005年12月8日(木)
今日はジョン・レノンが射殺されて25年目の夜である。
25年経った今、米NBCは犯人のインタビュー映像を放映し、カナダでは射殺犯の心理を追った映画を来年の一月に公開の予定だそうである。
それこそが、犯人の真の思惑であったかもしれないにも関わらず。
射殺犯が生きていまやフェイマスとなりレノンは死に今、ここにいない。
人が人の命を暴力的な手段で奪うことの許されざる大過。大罪を軽視してはならない。
生き残った者が正義であり、勝ちのこった者が世界の中心になる。そこには文明は無い。
欲望と復讐の連綿と続く環を断ち切る未来を希求する。それが、「夢見がち」なことであろうと、イメージする事から具現は始まると信ずるほか無い。
聖夜に続くクリスマスソングの流れる冬の日々に
貴方の上の空が幾許か平和でありますように。
人が人の命を暴力的な手段で奪ってはならないと、本当に人に説いて教えなくてはならないのかも知れませんね。今日では。
偉大な曲2005年7月18日(月)
それは歌そのものが一つの命を持ち
歌い手をもまた聴衆をも離れて
歴史と運命とともに独り未来に向けて
歩み行く
そんな歌が確かに有る。
bowieはそのような歌を一つならず生み出している
アーティストだと思う。
お久しぶりです。2005年7月18日(月) 晴れ
ライフアクアティック
物語り初盤で、ライフオンマースがかかるところがあるのですが、この曲の持つ底力のようなものを、がっしり手渡されたような気がして、監督にbowieファンとしてまず、脱帽して座り直しましたさ。
bowie好きの一行日記2005年4月5日(火) 晴れ
今、ipodを使って歩行音楽を楽しんでいる。
現在250曲以上をpodに収納してあるが
歩く時聴きたい曲は日によっても違うが
とても限られる。
今日は
Quicksandと、She'll Drive the Big Car。
3/8(2)2004年5月27日(木)
アニメーションと音の交錯するイントロが始まる、日毎に会場の熱狂を坩堝に墜落させる美しいイントロ、バックスクリーンに姿を浮かび上がらせながら、バンドがステージに登場する。
闇に溶けたまま前奏が始まり、闇を纏ったまま袖からBOWIEがステージ中央に歩み寄り歌い出す、[rebel rebel],耳慣れない新しいversionだ。
一言で言うならば、「圧倒的な存在感。」それに尽きる。そして男は大きかった。
かつてのすべてのステージを凌ぐ、その存在感の巨大さ。ライトがその存在を浮かび上がらせ、観客の歓声があがる。眼前に歌うBOWIEを見ながら、今まで感じたことのない大きな圧力に圧倒されていた。
親しみを込めた極短い言葉をはさんで、[New Killer Star]が始まる。彼は大きな白いギターを持っている。
インタラクティブナイトで見た、重みを感じさせる表情と今、ステージ上にある色彩を帯びた情動を感じさせる表情が瞬間瞬間に交錯する。今、この世界に存在するという重み、今、歌うたうことの情動。この新しい歌にはその両方を十分に感じさせるものがある。
この新曲がとても歌い込まれているということに気が付いたのは、むしろ来日の興奮が去ってからだったが。
「Let's face the music and dance 」
この新曲は自分がこの憂鬱な新世紀を生きていることを思い出させ、そしてBOWIEという歌い手が如何にタフであったかを、思い起こさせる。
そして、眼前にいる白い大きなギターを手挟んだ男の、この姿の良さはどうだろう。
それは現代ではすでに絶滅種といっていい、スターという名の生き物、そのものだった。
覚え書き 3/8(1)2004年5月24日(月) 曇り
 3月8日の夜は美しい夜だった。薄闇の九段坂の道路の縁にボウイの規格外グッズの店が並ぶ。聴衆達がそれぞれにその坂を上ってゆく。ダフ屋の群れ。待ち合わせるファン達。マーチャンダイズの売り場に並ぶ長蛇の列の最後尾でスタッフが今から並ぶと開演に間に合わないおそれがあると告げている。
入り口近くの知り合いらしい集団の中をつっきってアリーナの入り口に向かう。
アリーナの入り口を入ると思ったよりも空間を狭く感じた。
ステージの作りはとてもシンプルだ。近くに知り合ったばかりのファンの顔が見える。
ボウイで知り合い27年に亘る親友となった二人とともに座席を確認して席に着く。その間も知己、あるいは見知らぬ人に、二十年ぶりの知り合いに、最近であった人に、次々と声をかけられる。通路でもまったく違うところで知り合った友人とばったりあったりもした。仕事関係の知人にまで会った。
尊敬する写真家の鋤田正義氏がステージ前のフェンスの中で準備をしておられる。
それらすべてがある種の興奮と調和の中に存在する。
今夜はそんな夜なのだ。
DB日本公演覚え書き 22004年5月23日(日)
ツアーはヨーロッパから北米へ、風邪による休演をはさんで2004年初春にはいよいよ極東公演がはじまる。
ボウイネットには公演毎にセットリストがアップされ、ライセンス写真のサイトに公演の写真が続々とアップされる。
日本からも熱心なファンが、海外公演に足を運ぶ。その行動力とボウイに対する情熱には本当に頭が下がる思いだ。もたらされるレポートが来日の予感を孕んで心を騒がせる。
セットリストの上に明滅する一曲一曲を辿るとそこには、歌とともに生きてきた男の30年にわたる偉業の軌跡が浮き彫りになる。
非常に説得力のある曲目が並んでいる。そして、heathenツアーが回らなかった地域ではあの歌、重みを持つheathenのアルバムタイトル曲がセットリストに再び浮かび上がる。
月が変わり、シンコーミュージックのアーカイブシリーズの「デビッドボウイ版」が発刊される。この30年余のあいだに日本のファンが触れたボウイ情報が凝縮している。図らずも来日したボウイの姿を象徴するかのような良本にしあがっていた。
来日前夜にはelmo氏主催の前日ファンミーティングに多くのファンが集った。
ファンらしいファン達によるとても楽しい集まりをほんの少しご相伴させていただいた。
→続きます
david bowie 日本公演覚え書き12004年5月22日(土)
来日のニュースはいち早くインターネットを駆けめぐった。
ぴあ先行のニュースが映画館勤めの友人からもたらされ詳しい日程がアップされる。
私が行きつけのサイトは2カ所 tvc15はフットワークの軽いファンによる個人サイトだ。活発なbbsを管理し、サイトのビジターを大切にしている管理者のelmo氏のサイトである。チケットの先行が始まるとほぼ同時期にtvc15サイト主導のファンのためのチケット譲渡掲示板が稼働し始めた。実は煩わしさをともなう作業と思われるのだが、他サイトにも声をかけて、統一した板にすることにより、ファン同士の誠実な券譲渡はかなり潤滑になったのではないかと思う。
bowienetの情報は実は独り占めしておきたいような情報もあるはずなのだが、誰もが待望しているニュースをいち早く日本のファンサイトのbbsにポストしてくれるbin氏もありがたい存在だった。彼が常駐する情報重視のサイトstrange fascinationも来日関連の情報を迅速にフォローしている。
ボウイの来日時、彼を8年待った真性ファンも、そうでない人々もにわかに落ち着かなくなるものだ。半公認らしき組織が立ち上がったが、媒体向けでファンへのアプローチは薄いものだった。
わかりづらいことも幾つか起こる。だが、本来的なファンには実はあまり関係の無いことが多かった。
ボウイネットのチケットが発売されるか否かがわからないまま、国内の先行チケットを確保するファンは、早く入手すればするほど同じs席でありながら、末席に甘んじなければならない発券システムの構造の犠牲になってゆく。
ボウイネットのチケットは例外的にメールによる告知なしではじまった。だが、昼頃に情報を入手したものも、他の来日公演でさえめったに入手できないような極上の席を入手することになる。本当に実券を送られるまで、にわかには信じられない席番、そして、実際実券が送られてきたのは非常に遅く、本当に自分が申し込む事に成功していたのか、慣れない海外サイトへの申し込みに不安を抱きさえしたものだ。
→続きます。
追記2004年4月19日(月)
解放された3人の方のメッセージを読んで怒りに震えた。
それは、詫びの言葉で埋めつくされていた。
何故、誰が、彼等に詫びさせるなんてことをさせていいと
そう思ったんだろう。ありがとうじゃだめなのか?
すみませんと言わせたいのか?
彼等に詫びろと言うほどの、誰が、何をして、そう言えるのか?
喜んで、ただ、良かったと、生きていて下さってありがとうと
私が、彼等に言いたい事はそれだけだ。
彼等が詫びるべき事があるとしたら、御両親や家族に心配をかけたということだけだ。
それは家族だけになった時、そっと詫びればいいことだ。
その他のそしりなど、彼等達の苦しみも知らぬ輩からの謂れのないそしりだ。
3人の方に詫びさせるというムードを作った、そして其のムードを覆す力も無い私を含む日本という国を、私はどうしても好きになれない。今夜は。
reality2004年4月17日(土)
「当人達に会って週刊誌等をみせ、現実を教えたい。
今回イラクで拉致され、解放された被害者家族が、3人を迎えに行く飛行機の中で報道陣に語った言葉だ。
彼の言う現実とは政府側の「彼等がイラクに居たから、今回の迷惑が生じた。」という見解を受けての事だと思う。
確かに今回の事で政府も多くの作業を行ったことだろう。だが、それを、迷惑と言うのはどういう了見なのか。
まるで、彼等が無用の物見遊山に出かけて捕まったとでも言うような無礼な見解ではないのか。
ネットに蔓延する悪意の半可通共のごとき、安手の不見識である。
捕らえられた3人のイデオロギーを云々するつもりはない。
だが、現地で今援助を必要としている者を救うために出かけて行き、武装集団に襲われ、捕らえられたと言う事に対して、国家が迷惑だと言い切るその冷酷さは、「これが日本の現実だ、お前達が世間様に迷惑をかけたと」、家族の口で被害者に言わせるという残酷にまで及ぶのである。
何にも守られず、過酷な条件の中で、素手で歴史の扉を押す無力を噛み締めながら、日々努力をしてきた者が、不慮の事件に巻き込まれて、何故、迷惑呼ばわりされなくてはならないのか。
軍装で人道支援に赴いた自衛隊も、また劣化ウランの被爆被害の恐れが有る事を、では、誰が日本の国民に知らせるのか。
今、イラクで起きている事は、世界を巻き込みつつある大きな火種の一つであり、現実に起きている事を報道する事の重要性ははかり知れない。
今回不慮の事件に巻き込まれた彼等は、実に、1人の個人として私には真似の出来ない現実を踏み締めて実際に働いている人々なのだと私は感じている。
何が現実か、では銃をその頭に突き付けられて恐怖の数日間を過ごし、その上で尚、イラクに留まると言った彼等の現実の重さを、日本国内の誰が知りうるのか。
今度の事件の真実の現実はどこに有るのか。それは少なくとも、恐怖と命の危機を逃れてきた者に対する、「自己責任で行っていただきたい。」などと呑気な事を言っている政治家達の側には無いのは明らかだ。
評論家2003年10月23日(木)
仕事にしてみて、余り面白そうではない気がするのは
自分が虚構を愛する漫画家だからかも知れない。
どうやらその業界ではファンやマニアであることは
世間的に評価の下がるいかんことらしい。
辛い話だなあ。
ファンやマニアはそれどころじゃないからなあ。
来日の事なんかじゃなくて、bowieにつき付けられた
ダモクレスの剣の事を魂の奥殿の処で
考えながら、その上bowieのあまりにものかっこよさに
うっとりもしなくちゃいけないんだぜ。
来日決定2003年10月17日(金)
いや〜
インターネットという情報網がなかった時も今も
結局来日公演が決まってからチケット発売が発表になり
チケットが発券されるまでのこのペンディング時期というのは
心騒ぐというか、わさわさしますね。
前の方で見たいのももちろんですが
万一取り損ねたりしたら、それはもう
残念至極なことなので
実際83年の追加は取り損ねそうになって
なんとか確保出来たときにはホントにほっとしましたし。
90年は寒空の下3日徹夜で並びました。
UDOさんのサウンドメイトもニール・ヤングの時
予約日の翌日にはがきが着くという事態があり
うかうか出来ません。
全ての公演が確実に予約できそうでいて
ストーンズの春の武道館はSSはすぐに完売に
なってましたしね。
でも、巨大な若者の後ろの席でスタンディングすることになるなら
段差が大きいスタンド席も捨てがたいなあとさえ思う今日この頃。
bowieが来て歌ってくれる恩恵に浴すだけで、贅沢は言えないような気もします。
でも、老骨にむちうって、出来るだけ頑張ろう。
久しぶりのシークレットでした。
bowieさんの夢を見る夜2002年9月18日(水) 晴れ
heathen
未だにヘビーローテーション中です。
sundayのheavyさがずしりと重い秋の昼下がり
明るい陽射しの中で静かな絶望が佇んでいる感じです。
the rising2002年8月14日(水)
bruceの新盤が出た。
これは、当にN.Y.911について歌われたアルバムだ。
だが、bruceが訴えるその歌声には
「やつら」や「我ら」という概念はない。
問題の複雑さを忘れてはならないこと。
そして、今、人類にのしかかる未曾有の哀しみのこと
そして
祈りと賛歌。
springsteenは、その血にアメリカの大地を負った歌い手だ。
個人がコミュニティとの密接な関わりの中でこそ
自由を得ることが出来ることを、一筋縄ではいかない
突き詰めた本質の中で歌い訴えることの出来る
魂の歌い手である。
DAVID BOWIEのheathenが、N.Y.911との直接的な関係性を拒みつつ
しかし、今現在の世界の在りように
我々にのしかかる嘗て無いほどの不安に
個人に還ることによって、本質的人類に立ち戻らせるような
静かな力強さを漂わせている歌々であることを思うと
私はこの二人は遠く離れた道程にあって、尚
その見つめているものの本質に
大きな共通の地下水脈を感じてならない。
springsteenのrisingには深い絶望の深淵がある。
その中で、彼は手探りで信頼できるあなたを探り当て
その手を取って、あなたに語るように歌いかける。
明日生きてゆくための歌を。
DAVID BOWIEもまた、DAVID BOWIE自身の歌々もまた
心底信頼するあなたを探り当て
その目をのぞき込んで歌われていることを
改めて、思い起こす。
明日は、8月15日である。
戦争は遠い昔に起こった幻ではない。
戦争は人類が太古の昔から闘ってきた恐るべき敵である。
敵は強大で複雑であり、我々の持つ剣は脆弱なものかも知れない。
歌で在れ、他の芸術であれ、現実には徒手空拳の如きこの剣を以て
だが、ここに、私は確かに闘う魂の人々を感じている。
時代2002年8月6日(火)
今日は広島の原爆記念日です。
日本の8月はまぶしい夏の記憶の中に
大きな黒い翼が覆う黒々とした蔭の記憶が
混入している気がします。
私が生まれたのは戦争が終わって僅か10年の後で、生家の塀には焼夷弾の黒々とした焼け跡が
染みついていました。
けれど、その時代性よりもむしろ・・・
今、私の中に世界を意識し、平和を希求する気持ちがあるとするなら、それは
あきらかに強くDAVID BOWIEの歌からの影響であると思っています。
trashの新しい日記です2002年7月28日(日) 晴れ
旧secretBOXは近日中にログ保存の形に変更します。
非常に不定期な更新となりますが
そして、あまりに私的なボウイさんについての書き付けになりますが
どうぞよろしく。
この日記は更新直後は日記ウエブの更新サイトとして
日記ウエブにアップされるので
もし、ボウイさんに興味のない人、御覧になるかも知れませんね。
この日記のスタイルは更新がとても簡単なので楽です。