TRASH 紙版 web issue 2010

TRASH

VH1 Storytellers

…運命の速記録…

7月に発売されたVH1 Storytellersを見ることが出来たのは、仕事を一段落させた夏の夕方だった。理解不能なジョークの機微を愉しみながら、それでも、その物腰柔らかい語りの中に、彼を追走してここまできた…我等の時代の重みを感じたのだった。
このTRASHは、彼のジョークの間に潜む、時代の苛烈
…そこに、小さな付箋を添付する試みである。

凡例
ボウイの語り部分は色を替えて印字しました。
VH1 の音楽シリーズ番組、「Storytellers」は、パフォーマーが、その曲について語りながら小さなライブを行うもの。
TRASHでは、ボウイが曲間に語った言葉を挙げているが、ニュアンスや意味合いを損なわないように、簡略化しており、詳細は、発売されているDVDに求められたい。日本版の発売は現在未定ながら、DVDでは、日本語の字幕を選択でき、曲間の語りはすべて字幕で見ることが出来る。
また、各国語での字幕が付いており、ご自身で英語字幕のニュアンスを確認されることを特に推奨したい。

…Title… 楽曲タイトル
ライブで歌われた楽曲のタイトル。これは、ライブでのセットリストの順番ではなく、DVDの収録順。
このタイトルの楽曲と楽曲の間に語りの部分がある。
およそ、DVDの各Chapterは、「語りの部分」から始まっているので留意されたい。

tag 付箋 情報・解説 
語っている人物や、作品などを資料的に記入。trashの個人的な興味の範疇を越えているものについては反映できていない可能性が有ります。お気づきの諸氏はご教示下さい。
情報ソースは、主にウィキペディアと、アーティスト公式サイト等を照らして、読者が詳しい情報を得るためのキーワードとして、簡略に付しました。

また、情報に付加した解説は、あくまで、trashの個人的な見解であることを付け加えておきます。

 

TRASH 2009 Summer " VH1 Storytellers "
20世紀の最後にDavid Bowieが語った…運命の速記録…

…Life On MARS?…
親友のボランに初めて会った時、60年代、まだ、二人とも無名で夢だけが大きかった。
僕らには偶然同じマネージャーが付いてて、僕らが会った時は、2人でマネージャーのオフィスの壁をペンキ塗りしてた。
マークはモッズキング。「(ペンキを塗るポーズでマークの声色)お前の靴ひでえ」
「(自分=ボウイ)君は背が低い」……

 

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◆このときのマネージャーはケン・ピットか? 67年から70年までボウイのマネージメントを務めている。
著書に初期のボウイを描いた「David Bowie The Pitt Report」がある。
◆The Pitt Reportはボウイの人気が爆発的に高まった1983年に出版され85年には再版されている。
「The Pitt Report」OmnibusPress ISBN-10: 071190619X ・ISBN-13: 978-0711906198
◆マーク・ボラン【Marc Bolan】(1947〜1977)英ロンドン生まれ
ミュージシャン、グラムロックバンドT.Rex のリードボーカル、ギタリスト、作詞・作曲家
1970年代グラムロックの雄として名を馳せる。交通事故で死亡。
マーク・ボランについての情報は下記にアクセスすると詳しい。
 マーク・ボランファンサイト・ソリッドカンパニー

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The Pitt Report

 

まだ、無名の頃、ライブハウスで、シンク(洗面台)をトイレに使えと言われ拒否したんだ。
彼らは僕に言った「我慢しろシャーリー・バッシーもそこでしたんだ」

…Rebel Rebel…

 

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◆シャーリー・バッシー:007シリーズで最も多くテーマ曲を歌っている歌手。(『ゴールドフィンガー』『ダイヤモンドは永遠に』『ムーンレイカー』等)

 

「hours…」からの可愛い曲だ。
この曲のタイトルはアーサ・キットの自伝から採った。
14歳のころ読んでいたのはアーサ・キットの自伝とD・H・ロレンスだ。なんてね…でも嘘とは言えない…。
ある日書店でその本(アーサ・キットの自伝)を偶然手に取って、その表紙の彼女は木陰に立ち後ろには草原。とてもセクシーで、タイトルは「Thursday’s Child (木曜日の子供)」
14のその頃からずっと忘れられなかった…何故だろうね。この曲を作った時、急に思い出したんだ。

…この曲は…アーサ・キットについての歌ではないんだ。

…Thursday’s Child…

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◆アーサ・キット【Eartha Kitt】(1927~2008.12.26)(このライブ収録時には存命中)米国の歌手・女優1968年ホワイトハウスの昼食会でベトナム反戦の声明を出し、米国内での仕事を失う。
日本ではエキゾチックなナンバーウシュクダラ(USKA DARA)のヒットで知られている。kit
◆D.H.ロレンス【David Hervert Richards Lawrence 】(1885.9.11~1930.3.2)「チャタレイ婦人の恋人」で知られる文豪。大胆な性の描写で、発禁処分を受けたこともある。

dh

 

60年代スティーブ・マリオットと親しくしていた。彼は背は低いがアイデアの大きな男だった。
ある日彼からバンドを組むアイデアを提案された。
バンドの名前は「ダヴィデとゴリアテ」ボウイが小さいほうのダヴィデだと言われた。
(スティーブの方が小さかったのに!)その頃僕はマディ・ウォーターズのような音楽性のマニッシュ・ボーイズというバンドを組んでいた。
その後、スティーブ・マリオットは「大きなアンプと大きなドラムセットを使ったThe Whoのような」バンドを結成するといってきた。バンド名は慎ましく「スモールフェイセス」皆も知る偉大なバンドになった。

 

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◆スティーヴン・ピーター・マリオット【Stephen Peter Marriott】(1947 - 1991)英・ロックミュージシャン「スモールフェイセス」 「ハンブルパイ」 などに加入。
◆マディ・ウォーターズ【Muddy Waters】(1915 - 1983)は、米国のブルース・シンガー、ギタリスト。シカゴにおいてエレキ・ギターを使ったバンド・スタイルのブルースを展開し、シカゴ・ブルースの形成に大きな足跡を残したことから、「シカゴ・ブルースの父」と称される。
◆マニッシュ・ボーイズ【The Manish Boys】ボウイが組んだ初期バンドの一つ(キング・ビーズ【Davie Jones and the King Bees】とロウワーサード【Davy Jones and the Lower Third】の間にあたる)パーロフォンから1965年3月にシングル“アイ・ピティ・ザ・フール”をリリース。話題となることはなく、間もなく解散した。

 

その頃書いた曲で最初にレコーディングしたオリジナル曲
美しいナルシスムの曲で「Can’t Help Thinking About Me」
ただ、みんなはどう思うか知らないけれど、最低の個所があるんだ。

歌いたくないけど…

「My girl calls my name, hi, dave
Drop in, see around, come back
If you're this way again」

どう?最低でしょ?

…Can’t Help Thinking About Me…

イッギー・ポップと僕はとてもワルだったので改心するためベルリンに行った
それともトラベルチャンネル(有名な旅行CMチャンネル)を見ていたのか?

ある夜いろいろワルさをして、翌朝一緒にコーヒーを飲みながら前夜のことを報告し合った。
そこで、イッギーにすごい話を聞いたんだ。
彼はパンククラブに行った。ベルリンの壁が出来て何周年かだったんだ。悲劇の壁さ。
そのクラブで、アニバーサリーのイベントがあった。店の中にレプリカの「壁」があった。夜12時に50人のパンクスが壁に上って、殴ったりちぎったり(壊し始めた)
バンバンと、だが。イッギーが心動かされたのは、壁が全て壊されたあと、店の隅に何人かの男女が立ちつくして、皆、涙を流していたことだ。
とても…心を揺さぶられる話だった。それがベルリンでのその時の大きな思い出になっている。

その時期にイッギーと一緒に書いた曲、侵略と搾取を歌った歌です。

…China Girl…

 

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◆ベルリンの壁【Berliner Mauer】
1961年東ドイツが建設した東ベルリンを含む東ドイツと、西ベルリンを隔てる壁。
第二次世界大戦後ドイツの首都ベルリンは米・英・仏・ソ連によって、周辺とは別に分割占領され、ソ連が占領した東ベルリンの中に「飛び地」として存在した。
労働人員が流出することを防ぐため、東側は、1961年8月13日突然東西ベルリンの間の境界に鉄条網で「壁」を作り、その後コンクリートの壁を建設した。
壁は東側から2重に作られ東から西へ逃亡するものを徹底的に取り締まっていた。
イッギーとボウイがベルリンに拠点を置いて「LOW」を作ったのは1976年。ベルリンの壁が作られたのは1961年なので、この時はちょうど15周年になる。
壁が完全に完成したのは1975年と言われている。
東ドイツ民主化の過程で、1989年11月9日「自由旅行」が認められ、壁は意味を喪失。翌10日未明、市民によって破壊された。

記憶は運命の速記録だと言われています。
70年代のことで、よく思い出すことがあります。
青年国際党のアビー・ホフマンが、僕に言いました。
「明日は約束されない」「なぜならば」「もし、一粒の砂を誰かが動かせば、それで地球はもう以前と同じではない」

「仕事の出張者が現地に到着しなくても…誰も悲しまない」これは、デビッド・マメット(が言ったことだ)…

…Seven…

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◆アビー・ホフマン【Abbott "Abbie" Hoffman】(1936〜1989)米マサチューセッツ生まれ 政治運動家
青年国際党の共同創立者 1968年イリノイ州シカゴの民主党大会でベトナム反戦デモを行い、逮捕起訴された「シカゴ・セブン」の一人。著書に「Steal This Book(この本を盗め)」等がある。
◆デビッド・マメット【David Mamet 】(1947~)米国の劇作家、脚本家、映画監督
脚本作品:郵便配達は二度ベルを鳴らす
戯曲脚本作品:アメリカン・バッファロー(1996年映画化)
監督作品:ザ・プロフェッショナル(原題HEIST)(2001)等がある。

「ドライブ・イン・サタディ」は、モット・ザ・フープルのヒットシングルのフォローアップのために用意した。そのあと、モットは、自分たちで曲を書くことにして、これを僕に返してきた。
僕は腹立ちまぎれに、眉を剃り落とした。(観客席に笑い声が起きる)
冗談だと思うでしょ? でも本当なんだ。酔ってたんでね。

…Drive In Saturday…

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◆MOTT THE HOOPLE:解散状態のとき、ボウイから楽曲を提供され、CBSに移籍、ボウイとミック・ロンソンのプロデュースでアルバム【ALL THE YOUNG DUDES (1972)】 を発表する。
ボウイの言うヒットシングルの楽曲がこのALL THE YOUNG DUDESであり、そのB面には、「One Of The Boys」が収録された。電話の呼び出し音から始まる有名な曲である。
のちに2006年BBCTVの人気カルト刑事ドラマ「LIFE ON MARS(邦題・時空刑事1973)」のサウンドトラックに収録された。
CD(2007/2/19)SONY BMG ASIN:B000MMN7EM
続編のASHES TO ASHESとのカップリングサントラASIN: B001F0PQPS

1975年と76年…74年も少し、それに77年の最初の数週間…
これらは僕の人生で最も暗い日々だった、あまりにも暗い日々過ぎて詳しく思い出す事も出来ないし、とても苦痛でもある。
その頃常に考えていたのは
「死者は生きている人間の問題に興味があるか」とか「リモコンなしでテレビのチャンネルは変えられるか」…
だから、次の曲は悲しみに満ちている、救いを求めていたのです。

…Word On A Wing…

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悪い時代はそのままに…映像記録として今では、youtubeなどで誰もが見ることが出来る。1974年、NBCのDick Cavett Show(【YOUNG AMERICANS SPECIAL EDITION・ Virgin /ASIN: B000MM0L4Q】 に収録されている)では痩躯でヤングアメリカンからの曲を歌うボウイを見ることが出来、DINAH SHOREの番組の記録も残っている。有名なブートレグ映像1976年のバンクーバーリハーサルではアルコールを手にし、酩酊のように見える映像もある。
また、1976年には大麻所持でN.Y.のローチェスターのモンローカウンティ刑務所に9時間収監されるという事件もあった。

クロノロジーとしては以下の時期に該当する。
1974年:活動拠点をN.Y.に移す.
04月 アルバム“DIAMOND DOGS”発表.
ジョージ・オーウェル1984にインスパイアされた.全米ツアー.
10月 ライブアルバム“DAVID LIVE”発表.
1975年: 03月 アルバム“YOUNG AMERICANS ”発表.
ジョン・レノンとの共作「FAME」が初の全米チャート・1.
この年ニコラス・ローグ監督の「地球に落ちてきた男」に主演.

1976年:01月 アルバム“STATION TO STATION”発表.ヨーロッパ回帰の傾向.
友人イギー・ポップと共に西ベルリンに拠点をおく.
1977年:01月 ベルリンで録音された ブライアン・イーノとの共作“LOW ”発表.
04月 プロモーション来日.

1977年の4月(1977年の最初の数週間を脱した後)にプロモーション来日したボウイを間近に見たファンは、「存在自体が本当に希薄に思えるほどの痩身だった」と言っている。
この最悪の時期に、現在でも名作と呼ばれるアルバムを精力的に発表していたことに驚きを禁じ得ない。「若い」ということのエネルギーの物凄さ、そして、70年代という時代の巨大なうねりを思い起こさずにはいられない。

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(1975年は、ボブ・ディランがロンソンも参加しているRolling Thunder Revue Tourを開始した年である。)

VH1 Storytellers :1999年8月23日、N.Y.マンハッタン・センターでのライブから8曲をピックアップ、約45分に編集。VH1でオンエアされた。
オリジナル盤発売日: 2009/7/14
ディスク枚数: 2
レーベル: Virgin
ASIN: B002984APW

収録曲目はNIBさんのblog
YOUNG PERSONS' GUIDE TO DAVID BOWIE  
7月18日付に詳しいのでそちらを参照されたい

2010 01 08 from trash … to you

trash 紙版2009夏版より編集
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