思 ひ 出

T 大雪山山行報告
 会社を辞めて2日後、ザックをかついで上野を夜行の急行で出た。青函連銘船に乗り継ぎ、つい北海道に入る。
 十勝岳温泉の登山口から登りはじめて、富良野岳をピストンして上ホロカメトックのテント場にどり着いたのは、7月17日。北海道はとてつなく広く、上野を出てからすでにもう4日日にもなっていた。
 ここのテント場は雪渓のすぐ脇にあって水はうまくて豊富だし、僕の好きなエゾノツガサクラの ピンクの花もアオノツガザクラの黄色の花もいっぱい咲いている。そして、何よりここには僕以外はひとっこ一人いない。深呼吸した。そして、北海道まで来て良かったと心から思った。だけど夜の寒さはつらかった。夏だからと、シュラフなしでシュラフカバーだけで来たのでとても寒く、あまりの寒さに朝方ウトウトしただけで夜が明けた。
朝もやの中でテントを片付けていると、モンぺ姿の腰の曲がったオバアさんがまるで駅弁売りの格好で平らな箱を抱えて雪渓を下りてきた。
「思い出はいらんかな−、思い出はいらんかな、 思い出はいらんかな−、…………」
何でこんな所で、何でこんなオバアさんが、何で思い出なんかを売っているんだろうと思って聞いみた。
「何の思い出なの?」
「山の思い出さ」
オパアさんのやさしそうな眼がシワクチヤになってニコリと笑った。
「いくらなの?」
「“松”が千円、“竹”が百円、“梅”が十円さ」
ポケットの中を探したら丁度百円玉が出てきた。
「それじゃあ、百円のをちょうだい。」
そう言ってお金を渡し、“竹”の思い出を一枚もらった。
オパアさんは、
「ありがとう」
と言うと、突然ピョーンと後ろ宙返りをして、大きなシッポをポロッとだした。オバアさんはキタキツネになって、風のよぅにハイ マツの中へ走り去った。キツネに化けるとはなんて器用なオバアさんだ。
この日は、一日雨で、十勝岳を適えて、美映富士避難小屋。
その次の日も、一日雨で、オプタテシケを越えて、金ケ原に幕営。
その次の日も、一日雨で、トムラウシを越えて、別岳避難小屋。
その次の日も、一日雨で、高根ケ原を適えて、黒石石室。
その次の日も、一日雨で、北鎮岳を鹿えて、愛山温泉へ下山した。
その次の日になって、やっと天気になった。
 終ってみれば大雪山は雨の思い出ばかりとなってしまった訳で、こんなことなら、千円の“松”にしておけばよかったと思う。でも、十円の“梅” だったらどうなってたんだろうと考えたら、涙が出る程ホッとした。
 ザックの中の“竹”の百円の思い出は枯れ葉になっていた。



U 韓国(からくに)岳山行報告

 韓国岳を昨日登って今日も登った。2月の寒さの中を、バカな話だ。昨日は頂上でスケッチをしてて、そのスケッチに夢中になってしまって、カメラをそこに忘れてきてしまったのだ。今日は、そのカメラを拾う為だけに山に登る。バカな話だ。自分のアホらしさがいやになる。
 確かにこの山は好きだ。手軽に登れるし、頂上からは透かに高千穂の峰も煙を吐く新燃岳も見えるし、真近には大浪池が満々と水をたたえている。我を忘れるほど素晴らしいパノラマが広がっている。頂上の標高が1700mピツタリというのも気持がいい。まして昨日は霧氷の花が一面にきらめいていた。九州などという遠い所になければ毎週来てもいい。
 ところがどうだ。今日はガスで何も見えないし、とうとう雨まで降りだしてきた。バスと列車の時刻を気にしながら、ただ走るように登山道をかけ 登るだけだ。こんな時に限ってころんで、ひざにスリ傷をつくる。やっと着いた頂上には誰もいなかった。ただただカメラを捜した。……何処にもなかった。徒労に終った。パカな話だ。改めて自分のアホらしさがいやになる。
 カメラも思い出を焼き付けたフィルムもまとめて全部なくなってしまった訳だ。
 仕方ないから、頂上でおしっこをして下山する。すると、カラスが僕の頭の上を一回りして、アホーと鳴いた。
 カメラはあきらめて東京に帰った。
 桜の咲く頃になって、知らない女の人から小包が届いた。何かな、と思って荷をほどくと、驚いたことにあのカメラが出てきた。フィルムもそのままだった。手紙が添えてあった。
「九州の山であなたの思い出を拾いました。お返しします。」
 女性の文字だった。うれしかった。会ってお礼をしょうと思った。なんてったって、かわいらしい女性の文字だから。
 それ以来、僕の目尻は思わずニタニタしてしまう。どこでその女の人と会おうかと考えてニタリ、何を話そうかと考えてニタリ、食前食後にニタリ、鏡を見てニタリ。
 すこししてカメラの中に入ったままのフィルムのプリントが出来てきた。そして、驚いた。一番最後のコマには、頂上でおしっこしている僕の姿と、その頭上のカラスの奴が写っているのだ。
 …………………見られてしまった………………
 はずかしいので、今はその女の人に会おうかどうしようか迷っている。なにしろ僕は、はずかしがりやなのだ。


V 忘(わすれ)が岳山行報告

 新穂高温泉から入り、蒲田川の星谷を独りで遡行する。頂上に着いたのはもう7時になっていた。山項はひとりだけ。急いでテントを張ってから、 大きな一枚岩の上でゴロリとあおむけになる。山 の星空は最高だ。夜空一面のきらめきは恐ろしい程でその荘厳さに押しつぷされそうだ。はっきり見えるWの形はカシオペアだし、天秤座は何処に いるのか星の多さで分からない。白鳥座のブラックホールは見えないけど、アンドロメダは遥か彼方に渦のように見えてるし、憧れの蟹星雲パルサー星までもが見えるような気がする。天の川の流れはミルクを流したかのように笠ケ岳の向うまで とうとうと続いてる。いつのまにやら月は三俣蓮華をオレンジ色に照らしだし、今宵は十六夜お月様。星空は魔法使いのように魔術を使って僕をトロンとさせる。すると藪から棒に流れ星。
 今度の単独行は星に忘れることを祈るため。この山では流れ星が尾を引く間に、何かを心の中で叫べば、そのことをきれいに忘れることができる。何を忘れたのかさえも分からなくなる。だから僕はここへ来た。
 突然、赤い光が双六岳をかすめて、長い光の帯を残して天を駆ける。僕はつらい思い出を心の中で叫んだ。そして、次の流れ星には悲しい出来事を叫ぶ。さらに次の流れ星には……。そうして星が流れるたびに、重荷だったことが心の中からするすると消えていく。それが消えたという記憶すらも消えていく。心が少しづつ軽くなり、何故か乙女座のスピカの白い輝きが援やかに心にしみてくる。
 コバルトブルーの星屑が焼岳の上で一瞬きらめき長い尾を引いた。思い切って、憶えているのがつらい人の名前を心の中で叫んでみた……。消えない。次の流れ星には祈るように叫んだ。でも消えない。そして大きな声で叫んだ。狂ったように叫んだ。消えない。消えない。その人の名前だけが残った。
 だから、東京から持ってきた模型のプロペラ飛行機の翼にその人の名前を書き、その人との思い出を乗せ、プロペラのゴムを祈るように巻いてから解き放ったんだ。僕の指からするりと離れて、飛行機は飛び続け、槍の穂先で左に大きく旋回し穂高の横の浮浪雲を飛び抜けて、ハレー彗星を目指してく。海へび座を追い越したと思ったら、プロペラが北斗七星にひっかかって、星空がまるでカーテンのようにビリピリと音をたて、ストップモーションで破れ落ちた。星空は大きなかぎざきになってしまった。そして驚いた。ア!星空の破れ目の向うに広がっているのはまぶしいばかりの青い空。そして気がついた。ア!心も青空になっている。
 次の日に槍ヶ岳に登って空をよく見たら、青空の縫い目を昨日の浮浪雲たちが一所懸命隠してた。
W そして、テントの中で………

 テントにもぐり込んで、ガソリンコンロのフォエブスに火をつけるとホッとする。青白い炎の円形の列は見とれる ほどきれいだし、普段だとうるさくしか聞こえない、シーシーという燃えるときの音でさえ、心を安らかにしてくれる。たった一人のテントだから たいした料理は作れないけど、それなりに満腹に なって、ドリップでコーヒーをいれれば気分は最高。ローソクの灯りで5万分の1の地図を眺めながら、どのコースを行こうか、なんて考える。こんな瞬間がたまらなく好きだ。
 一息ついたら、カセットテープで、サンサーンスの『白鳥』を聴く。今日のお相手はカザルスとティボー。ちいさなラジカセだから音は悪いけど、テントの中で聴けば、それでも最高の音質に聞こえてくる。
 そして、チェロを聴くと、ウイスキーが飲みたくなる。なにしろ、チェロにはオンザロックが似合う……。テントで飲むオンザロックは驚く程うまい。それに、氷が無くなれば、テントを出た所に冷蔵庫があるから便利だ。
 六畳間にテントを張って、その中で、メシを作つて、ウイスキーを飲んで、こんな思い出を書いている僕の性格は、やっぱり、暗いのだろうか。


THANKS さだまさし & 東君平


  by   ちりも積もりて



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