夏坂 健さんが、2000年1月19日午前6時32分、心不全のため東京の病院で亡くなられました。65歳。葬儀・告別式は故人の遺志により密葬。
 3月にファンの会などによるお別れ会が予定されているそうです。

私は今、悲しみで言葉もありません。以前、過度の仕事により心筋梗塞で倒れ、生死をさまよったことがあったとは氏の著書で知っていましたが、まだ65歳、エイジシュートに向かってこれからというのに・・・・・・ご冥福をお祈りするのみです。合掌

ROYAL MUSSELBURCH GOLF CLUBの夏坂 健氏
「GOLF TODAY」2000 1-20 NO.206より


朝日新聞(夕刊) 2000年4月3日 惜別より

3月25日お別れ会

 「するゴルフ」と「見るゴルフ」しかなかった日本のゴルフ界に「読むゴルフ」を持ち込んだ。世界中のゴルフ場を訪ねた体験と膨大な資料を基に、原稿を書き続けた。

 通信社の特派員、雑誌編集長を経て文筆活動に入り、料理に関する本を書いていた。1982年心筋こうそくで倒れ、電気ショックで蘇生する経験を機に、「趣味と実益の一致こそ究極の人生」とゴルフジャーナリズムの世界へ入っていく。

 「大英図書館に行くと、ゴルフ関係の索引が五メートルもあって、えらい世界に踏み込んだと思いましたよ」 ほこりよけの手袋、マスク、小型コピー機、ルーペを持って英国各地の図書館を回った。漫画家の黒鉄ヒロシさんは「資料のもとをたどるといつも夏坂さんに行き着く。この人は何者だ、という方でした」。

 ペンネーム「夏坂健」は「夏は書けん」から取ったと言いながら、「ゴルファーを笑え!」「ゴルフへの恋文」など十年あまりで三十冊近くを著した。

 「百年は書ける資料を集めた。早く死ぬわけにはいかない」「墓はいらない。著作が墓だから」。いつも死を意識して執筆した。98年暮れ、二度目の心臓手術の際の検査で肺にがんが見つかった。一時はハンディ2だったゴルフに支障がないよう、三本取るろっ骨を二本に減らした。

 死の前日ぐらいから、何かすてきなことを考えている表情になったという。ベッドの上で「ヘロー・ヘロー」とつぶやいた。同じ組の友達に「こんにちわ」(HELLO)とあいさつしたのか、「君、君」(FELLOW)と呼びかけたのか。あるいは「追い風だな」(FOLLOW)と風を読んだのか。

 そのとき夏坂さんは、一番愛したスコットランドの1番ティーグラウンドに立っていた。氏を知る人はみんなそう思っている。  (運動部・石川雅彦)

「ゴルフは礼儀正しい、アマチュアのスポーツ」が口癖で、接待ゴルフ、かけゴルフ、プロ礼賛ゴルフを嫌った=96年、千葉県内のゴルフ場で/遺族提供

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