2009.08.12







 

 



 

 

   ・・・・・ ・

 

目覚めは突然だった。

 

重くて悲しい、嫌な夢の余韻に胸が痛く、鼻頭がツンとする。

そしてふと、唐突にこれは夢だ、と思った。

 

ガバッと身を起こすと、あまりの勢いに貧血を起こして目頭を押さえる。

 

「戻ったか」

 

声の方

懐かしいような泣きたいような気分でそちらを振り向く。

光にまだ慣れていない瞳には、逆光となった主の姿が黒く映った。

 

「なかなか目が覚めないから、少し、心配した」

お前重いから動かせないし。

 

そういうここは一体、とついた手が土を掴む。

 

立ち上る煙と煤の臭い。

 

土と思って掴んだそれを瞳の前に持ってくれば、何かの燃え滓か黒く指に残った。

 

 

「一体これは」

混乱する記憶。

あちこち焼け焦げた着物に意外なほどの冷気が涼しい。

 

…雨?

 

髪を伝って流れる雫に天を仰いだ途端、ぐにゃりと視界が歪み、目の前に半身を起こし空を見上げる男の姿が見えた。

奇妙なことにもう片方は天を見上げている。

 

「!?」

 

理解が追いつかず、猛烈な吐き気がこみ上げてきた。

目をつぶると、地面に手をついてえづく男の姿が見える。

ひとしきり咳き込んで口元をぬぐえば、まったく同じ動作をする男の姿が…。

 

「これ…は…」

自分?

 

「やっぱり色が変わったんだな…。お前の瞳の色、好きだったのに」

そんな男のことにはかまわず、自分の傍らに降りたつ主の瞳は、黄金(きん)を幾分暗くした伽羅(きゃら)の瞳。

そしてその右は、血の涙が流れたかのような筋をいくつも残し、硬く閉じられていた。
瞼と頬にざっくりと裂かれた2つの深い傷が痛々しい。

瞼の下に秘されているはずの存在が感じられない空虚なへこみは眼窩のくぼみのみを如実に顕している。

 

「一体どう!」

 

立ち上がりかけて強烈なめまいに襲われた。

ちっ、と舌を打ち膝をつく。。

 

「お前が死ぬなんて許せなかった。だけどもう、どうにもできなくて…何も分からなくなったと思ったらこうなっていた」

 

嘘を言っているようでもないが、全てを語っているわけでもない、不思議な直感が走る。

 

「聞くなよ? 理解を超えるものを言葉にはできないだろう?」

そう言って苦笑いをする主。自分も同じ表情で応えていることに少しして気がついた。

 

それにしても…。

 

ゆっくりと周囲を見回すが、屋敷跡といえるのだろうか。

黒く焦げた柱を残すばかりのそれに加え、周囲の杉林には何か大きな力で根こそぎにされたような、この場合まさに自分達がいる場所を中心に、外に向かって木々が薙ぎ倒されているかのような惨状だ。

まるで何かが爆発して炸裂した跡のようだが、それにしてもその中心にいる自分達が無事なのは得心がいかない。

 

そして、、先ほどの悪夢が夢ではなかったことに今更ながらに気がついて、それでは自分は…という疑問が頭をもたげてくる。

どう考えても致命傷だったはずだ。肝を貫かれては生きてはいけない。

そしてそれは、目の前の小さな主にも言えることだ、心の臓を貫かれ、命の灯が尽きるところをこの目で見たのだから。

思い出すだけで、胸をつかまれるような息苦しさに襲われる。

 

ギリと唇をかみ締める小十郎を複雑な、なんとも言えない表情で眺めている梵天丸が、ふと、その(おもて)に流れる赤い筋を見つけ、指を伸ばした。

 

「すまない。これは俺だ」

「え?」

「俺がつけた、だからもう消えない。」

 

すまない。

そういう主の視線を自分の瞳でたどれば、目の前の男の左の頬に大きな傷跡が走っているのが見てとれた。

ふと自分の指でそれをなぞる。

 

「つっ」

 

頬の大分深いところの肉まで持っていかれたようだ。引き攣った痛みを伴って唇を歪めると、ますます痛みが増してくる。

 

いやしかし、今はそんなことはどうでも良い。

目の前の主が本当にこの世のものなのか、ちゃんと存在をしているのか、それだけが気になる。

考える間もあらばこそ、主人の血まみれの服を引き剥がして押し倒し、その胸を開いていた。

 

あの時「ここ」に刃が突き通されていた。

 

その場所はまったく何事もなかったかのように白くすべやかな肌を晒している。

 

「ない…」

 

まったくもってやわらかいままの人の肌だ。

自分はと腹をはだけさせるが、やはり何もない。

 

全く意識にない頬の傷と、主人の右の瞳の欠損。

そして、二人ともの瞳の変化…。

 

そんな小十郎の右の手をとり、自らの左胸にといざなう。

 

「死人じゃないだろう? ちゃんと生きてる。俺もお前も」
そして小十郎の胸にも梵天丸の右があてがわれる。

 

トクン、トクン、という規則正しい音が指を通じて伝わってくる。

暖かいぬくもりも…。

今は、これで十分…。

そう、二人とも生きているのだから。

 

 

「行くぞ小十郎」

「はい」

 

小十郎の手につかまるとゆっくり起き上がる。

二人して血と煤に塗れた壮絶な姿ではあったが、これ以上無い位晴れ晴れとした気分に、自然に笑みがこぼれた。

 

異形の瞳は今はない。

黄金(きん)黒鳶(くろ)の色に侵蝕されてその色を変え、黒鳶(くろ)の瞳は黄金(きん)に紛れて不思議な茶へと変化してしまった。

瞳の色が変わったことで縦長の光彩すらすっかり目立たない。

もっとも小十郎のそれも梵天丸のものにならってしまったのだが…。

 

独眼になってしまったとは言え、これでもう表向きはなんら問題はない。

異形とは言い切れないのだから。




よぉく見なければ。

 

 

「小十郎」

「は」

 

差し伸べられた主君の右手をうやうやしく押し頂き跪くと、その白い甲に唇を寄せる。

 

「片倉小十郎景綱。これより、常に梵天丸様のお側を離れず御身をお護りし、あなた様の右目として永久(とわ)なる忠誠をお誓い申し上げる。よろしいか」

「許すぞ、小十郎!」

 

晴れやかに笑う。





そしてここから、双竜の物語は始まる。













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