2009.08.09
・・・ ・・
小十郎がこの秘された館に傅役として就いてより半年。
子供の適応能力とはすごいもので、初めて会った時の、およそ子供とは思えない能面のような様はどこへ行ったかという程、梵天丸の表情が豊かになってきていた。
もともとの性格がそうであったのだろう、興味を持つとどうにも止まらず、キラキラと瞳を輝かせてのめり込んでしまう。それがために吸収もすばらしく早く、次を次をと貪欲に求めてくる。
正直ここまでのものとは思わなかった。
初対面の時のどんよりと凝った瞳に、自分の子供の頃の姿を重ね合わせてしまっていたのかもしれない。
自分がして欲しかったこと、求めていたこと、無意識にそれらを与え、心に生じた何かを埋め合わせていたようにも思える。
子供と対していながらその実、子供の頃の自分に対していたのだ。
梵天丸の能力はすさまじく、与えれば与える程、その上を求め果てがなく、時に小十郎自身も舌を巻く程であった。
だからこそ悔やまれる。
なぜに異形なのか。と。
既に見慣れた身なれば、たかが瞳が人と違うというだけでなんであろうと、そうも思えてくるのだ。
別にかまわないではないか。全く気にならぬ。
異形? 外を問題にするよりも内の方はどうなのだ。
わが子を害そうとする親の方がよほど…。
(その親に命じられてこの場にいるのは自分だ)
於東の方の命であるとは言え、赦されることなのだろうか。
いや、それは今更。
命じられれば、伊達の家に仇なすものに躊躇なくその刃を向ける家に育てられた。
そして今もその名残を引きずって、ここに居る。
(…異形なのは俺の方だ)
子供の傅役として武門学業を教え、人としての道を説き。
同じ自分がその子供を「無かったことにする」命を全うするために策を練り実行に移しているのだ。
最近は生意気にも、我侭まで言えるほどに甘えてくるようになってきたというのに…。
若君は重い病に罹って伏せっているという風聞を流した。
後は数少ない侍女どもを「里に返す」だけ。
異国の言葉に興味があると取り寄せた書物。
朝日も昇りきらないうちから一番に自分の寝所に飛び込んできて開口一番
「はろう、こじゅうろ!。はーわーゆ?」
・・・・・・一体今何時だと思っていなさる! という言葉は心の中で、
「・・・・・・・おはようございます」
「ノー小十郎。そういう時は違うぞ。ふあいんせんきうって言うんだぞ ふあいんせんきうだ、言ってみろ」
ああまったく以って面倒な。と思っているのに何故か口元が緩む自分がいる。
全てが終わればこの屋敷もろともに炎の中に沈めてしまおう。
病に伏せていた子供が、何かの拍子に火を起こしたという筋書きで。
親の愛情すら知らず、自分に懐ききっているこの子供を裏切るのか。
それが仕事だ。
これからも同じようなことは続く。
この仕事ばかりが汚いわけじゃない。
「なんだ? 小十郎」
気がつけば梵天丸を凝視してしまっていたようだ。
先ほどから書を読んでいた子供が訝しげに小十郎を見上げている。
「すみません。ちょっと考え事で」
もう事は動き始めている。
この期に及んで何を迷うか。
いや、いっそのこと二人で逃げ。
「……」
不思議な色の瞳がまっすぐ小十郎を見つめる
「…梵天丸さまこそ、どうかなさいましたか?
そんなに見つめられますと照れまするが」
「いや、折角こんな形をしているだろう。 だからそれなりに役にでも立てばよいのに。と思ってな」
そう言って自分の瞳を指差す。
「役に…ですか?」
「そう。
社の神ならば、人の悩みを聞きそれを叶えるというではないか。
梵天丸は神ではないが、せめて小十郎の悩み位なんとかできれば良いのにと思うのだ」
そう言って下から見上げる瞳にギクリとするが面には出せない。
「そう、ですね…」
それだけ言うのに精一杯で、つい、と幼い主人から瞳をそらしてしまった。
逸らされた小十郎の瞳を追って揺れた黄金の瞳は、ふるりとその表情を変える。
「・・・・・・・」
何事かを言いかけて開きかけた唇だが、結局言葉をのせることもなく、そのまま手元の書物に再び視線を戻したのだった。
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