「文学横浜の会」
文横だより
<5月号>平成23年5月17日
3月11日午後2時45分を境に、その立ち位置によっては命を掛けた事態となり、或いは苦難を強いられた事態に陥り、
或いは自然の凄まじさに改めて茫然自失に陥った方も多かろう。
「人は誰もが平等である」とは今や誰もが信じていない事だが、生きると言う事についてさえ、平等ではなかった。
助かった者は運が良かったとは言うものの、どうしてそんな運命に晒されなければいけないのか。
その土地に居た者たちが何か悪い事でもしたと言うのか。自然に対して何かいけない事をしたとでも言うのか。
自然からの罰を受けなければいけないとしたら、自然の流れに逆らい日没後にも煌々と明かりを照らして蠢く都会の中で、
季節に背いて強制的に作られた植生物を貪る都会の中で、
そして自然を意のままに破壊し征服しようとする西洋文明にこそではないか。
我々の祖先は自然の中に溶け込み、自然と融和し、自然と共に生き来てきた。
それなのに自然からの故なき手痛い試練を受けたのは今回が初めてではない。
それだからこそ、我々の祖先はより自然を敬って生きてきたのではないか。
震災直後、日本中が深い沈黙の中に追いやられ、加えて原発事故と言う遣り切れぬ思いでいたが、
震災から2ヶ月経って、もう落ち込んでばかりはいられない。
3月13日に予定していた「文学横浜」41号の合評会が震災の影響で5月15日に仕切り直しとなり、
文学横浜の活動も通常に戻る事となりました。
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◆「文学横浜」41号・合評会:
<創作8編、エッセー2編>
合評会は作品毎に主に作者の意図(或いは書きたかった事)は何か、それは成功したかを中心に意見を述べ合った。
元より作者の意図とは別次元の作もあるのだが、どう読まれたかは作者の関心事だろう。
活字にしたからにはどう読まれようと作者は関与できないが、意図以上に深読みされると作者には複雑だ。
初めて自分の作について真摯な意見を聴く作者には、時には地獄のような一時になる。
最近そうした事はなくなったが、作者と喧嘩腰になって意見を戦わせる場面もあったが、多くは好みの違い、見解の相違、
意地の張り合いだったように思う。言われた方は、それだけ読んでくれたと思えば、何を言われても腹は立つまい。
素人の作品を真剣に読んでくれる方はそんなにいないのだから。
作品毎に意見を出し合った後、秋林氏からコメントを頂いた。
小学館で編集者として出版に携わっていた方で、プロとしてのコメントは作者にも参考になったと思う。
◆合評会出席者:
◆その他
◆次回
以上(金田)
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