平成24年1月
<読書会>
【山本周五郎と「よじょう」】
<読書会、補足>以下、浅丘記
山本周五郎(本名:清水三十六 しみず さとむ )
質屋の徒弟奉公で、下町の暮らし振りや 人を見る目や、したたかな商人を知ったようだ。
樅の木は残ったなどの、歴史小説のほか、武家もの、町人ものなど、多数の作品を書く。その描く世界は、合理的な、実利的な世界で、非合理的な人情世界では決してない。
作品 よじょう
題名の予譲は、中国春秋時代の士で、知遇を受けた主君の仇討ちに命をかけた人物。
顔を変え、喉を潰し、変装して、敵を狙う。
ストーリー
隈本城下、
小心者で、ろくでなしの岩太は、仕事もなく、毎日ぶらぶら、遊んでいて、ばくちをしては、文なしになり、旅館の女、
おきたに無心する。なかば、やけっぱちのようになっている。
岩太の父は、士分の包丁人である。
そのころ、宮本武蔵という武芸者が、隈本にいた。岩太の父は、名人武芸者といえども、不意を襲えば、避けられまい、といって、
ある日不意に切りかかる。が、武蔵に一刀で、切り殺される。
一方、岩太は、仕事もなく、金もなく、ばくちに負けて、世を拗ねて、やけくそで、橋の下で乞食のような暮らしをし始める。
父の仇討ちのことなど眼中にない。
が、世間は、誤解する。岩太が、乞食に身をやつし、武蔵の下城時、橋を渡るときを狙って、父の仇討ちをするに違いない、
と、勝手に思いこむのである。
ろくでなしの岩太は、次第に、英雄視され尊敬の目で見られ始める。世間は、岩太を、中国の故事のよじょうになぞらえて、いままでの、
ろくでなしに代わり、期待して、尊敬の眼で見るのである。いつ、武蔵に斬りかかるのかと。
武蔵は、仇討ちの噂を知って、毎日、下城で橋をわたるとき、供を遠ざけて、しばし立ち止まり、岩太が切りかってくるのを待ち受ける。
小心の岩太は、毎日、びくびくして暮らしているが、そのうち、武蔵は来なくなった。病気で死ぬのである。
ろくでなしの岩太は、世間から尊敬され評判となり、おきたと、(よじょう)という小料理屋を開く、結構繁盛する。
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