「文学横浜の会」
文横だより
<12月号>2015年12月12日 更新
ISのテロには怒りをかんじるが、
攻撃機からの空爆で、
力による抑えつけは一時的な解決にはなっても
宗教は人間の悩み苦しみを救うものなのに、
憎しみの連鎖はただただ虚しい。
★
文横だより2015年12月号を送ります。
◆出席者(敬称略)
*久留島さんは今回初めて来られた方です。
◆読書会
担当(篠田)
オノレ・ド・バルザック 『知られざる傑作』
・バルザック作品を選んだ経緯
フランスの文豪バルザック(1799-1850)には、個人的に、なぜか折々に出合い、感動を与えられてきた。最初が子供の時に読んだ児童向け世界文学全集に所収されていた『みみずく(ふくろう)党』(1829)である。その時にはあまり感動は無かった。しかし高校一年の時に読んだ『谷間の百合』(1835)にはとても感動を覚えた。筆者の(西洋の名作文学によく登場する)公爵(伯爵)夫人好きが決定付けられた作品だったように思う。その勢いで、すぐさま『ウージェニー・グランデ』(1833)も読み、そちらも凄く良かった。蛇足だが、ドストエフスキー(1821-1881)は22歳の時に『ウージェニー・グランデ』の翻訳をしている。
その後はしばらく空いて十数年後に次の出合いを迎えた。それは、ジャック・リヴェット監督のフランス映画『美しき諍い女』(1992公開)であり、その原作こそが今回のテーマに選んだ『知られざる傑作』である。当時、監督がヌーヴェルヴァーグの一人であり作品がカンヌ映画祭グランプリ受賞という、触れ込みが良かった上、美術に関連した題材だったので関心を持ったのである。後で原作がかなり脚色されていることが分かったが、モデルと画家との対峙やその緊迫感が偏執的なまでに長尺に描かれていて、画家が傑作(謎)を生み出す過程とその心理状況が見事に表現された作品であった。
さらに十数年後の2008年、同じくジャック・リヴェット監督、バルザック原作の映画『ランジェ公爵夫人』(原作は1834)に出合うことになる。岩波ホールで鑑賞し、非常に感銘を受け、すぐに原作の本を入手して読んだ記憶が未だに新しい。
ついでながら、2003年にNHKBS2で放送されたフランスのドラマ『バルザック 情熱の生涯』(1999仏テレビ)を録画してあって今回鑑賞した。フランスを代表する俳優ジェラール・ドパルデュー、ジャンヌ・モロー等が出演した豪華巨編であった。そしてバルザックの生涯が、いかに生み出した作品群との結び付きが深いかを知らされた。
ことほどさようにバルザックは、個人的に折々感銘を与えられてきた上、一般的に言っても、映画にテレビにと、スポットを浴び続けてきた文豪であることが分かる。
・『知られざる傑作』について
バルザックの短編小説『知られざる傑作』(1831)は、社会史を描く壮大な構想の試み『人間喜劇』の膨大な作品群の中ではほんの一部分に過ぎないのであるが、そこで彼なりの芸術論が試みられているのは明らかである。結果的に、後に革新的絵画の先駆者となるセザンヌ(1839-1906)やピカソ(1881-1973)等の偉大な芸術家たちに大きな影響を与えることとなった。その為に今も読み継がれる古典となっている。
一方、それゆえに取っ付きにくく難解であるかのように色メガネで見られてしまう恐れが無いとも言えない。実際、今回の読書会参加者の感想でも、難しくて「二度読んだ」と述べる方が幾人もいた。筆者自身も過去と合わせ三度も読んでいて、確かに解り易いとは言えない。
その点、『知られざる傑作』の芸術論を解く上において、見逃してはならないのが時代背景である。特に美術史を重ね合わせて考察することは不可欠であると思う。それに加えて、バルザックが時に深刻な根源的テーマを扱う哲学的作家であると同時に天才的と言ってよい娯楽性を併せ持つ多作で大衆的な作家でもあることも念頭に置くべきである。そうすればシンプルで理解し易い内容にも思えてくるのである。
『知られざる傑作』の原形が発表されたのは1831年で、その修正が1837年。印象派が1860年代〜1880年代なので、まだその前夜のことであり、ちょうどロマン主義の巨匠ドラクロワ(1798-1863)が活躍した時代と重なっている。ドラクロワは、劇的画面を得意にして制作し、輝くばかりの光と色彩の表現に優れ、新しい様式の先駆者として後に来る印象派の画家たちに大きな影響を与えた。しかしながら、抽象等の現代絵画の登場はもっとその後なのである。つまりバルザックは、ようやく古典的な絵画の時代を打破しつつあるドラクロワの時代の環境の中で、一足飛びに現代絵画に通ずるような、とても斬新な絵画芸術論を試みていたことが分かるのである。このことこそがバルザックの物凄さと言ってよい。
従って、バルザックが作中で架空の老画家フレンホーフェルを通して具現させた10年がかりの傑作が「無数のへんてこな線があり、混沌とした色と調子の画面の中で、その端に一本のムキだしの足がある」という明らかに抽象性を持つ絵画であったことは、現代においては何も珍しくはないのだけれども、当時としては途轍もない革新的なものであったことが明確になってくるのである。
そして特筆すべきは、作中のプーサン(1594-1665)とポルビュス(1577-1622)の二人の実在の画家の登場である。バルザックは、わざわざ二人が活躍した時代である200年も前の大昔を舞台に設定することによって「傑作」絵画が抽象的で突飛である度合を一層誇張させているのである。また、フレンホーフェルがポルビュスの絵に僅かに手を加えるだけで生き生きとした作品に変えてしまうほど古典絵画の技量自体は十分備えている前提になっていること、さらに、フレンホーフェルがラストで絵を理解されずに単純に絶望してみんな焼きすてて死んでしまうこと等、随所に極端な描写が見られるのは、やや大味なくらい物語を大袈裟にして面白くさせるというバルザック特有の娯楽性の表出だと思われるのである。そこを難しく捉え過ぎると袋小路に入ってしまう。
こうして皮肉にも、老画家の「傑作」絵画を筆頭に、物語を斬新かつ大胆に展開させたことが、結果としてセザンヌやピカソ等多くの芸術家の心を強く打つことに繋がったものと思われるのである。
その一事をもってしても、『知られざる傑作』は傑作であると言う外にないであろう。
以上 篠田泰蔵 記
◆次回の予定; 担当は佐藤ルさん。
AMAZON,「日本の古本屋」、書店又は図書館等で…。
◆その他
(2)47号はまだ初校を取りまとた段階です。
(3)47号の後記も併せて募集しています。
(金田)
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