セピア色の絵コンテ


作  上村浬慧

 【その1】


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朝靄

 家中はしんとして、まだ夢の続きをみている。しらみかけた大気を切って、清んだ小鳥の声が響き始めた。そっと部屋を抜け出した憧子は、一目散に川原への道を駆けた。肌を刺す空気が頬に当たり冷たく緊張してくる。ひっそりと人影のない通りに、駆け抜ける憧子の足音だけが余韻を残していく。立て込んだ通りが切れると、薄墨色の山並みをかすかに臨ませ、靄に包まれた川原が憧子を迎えてくれる。 

 夜明け前の川原は、昼間見る景色とは何もかもが違って見えた。紗をかけたような大気の中で、合歓の葉もアカシヤの葉もまだ深い眠りの中にあった。川辺りの砂路が、ズックの底から火照った体をひんやりと沈めてくれる。憧子はこの感じがたまらなく好きだった。言葉などいらないホッとする温かさだった。川は水音を忍ばせ、表面の小さな波の動きだけが流れているのを気付かせてくれる。波の小さな隙間から湧き出す半透明の靄が、ゆったりと辺りにたち込め、対岸を隠している。靄を通してぼんやり浮かんで見えるのは、夜を惜しむかに、まだしぼみ切らない昨夜開いた月見草。ほのかに青臭さを残していた。

*

 もうすぐ夏休みが終わる。また学校が始まる。学校へ行くのはいや。授業は嫌いじゃないけど。…先生はわたしのことを特別な目で見たりはなさらないし、授業中は席が決まっているから、お友達もわたしをひとりぼっちにはしない。知らないことも沢山教えて頂ける。だけど授業じゃない時には、お友達みんながわたしのことを不思議そうに見る。わたしが話すと、みんな、まるで言葉が分からないみたいに黙り込んでしまう。わたしがみんなと同じことをすると、遠巻きにして笑う。遊びましょうと言うと、わたしを見ながら後ずさりして行ってしまう。もういや! 胸が苦しくなってくる。だけどこんなこと母さまには言えない。母さまはわたしがみんなと仲良しだと信じてらっしゃる。わたし学校じゃひとりぼっちなのに。憧子は、体の中にある淋しさと哀しさとを、思いっきり吐き出した。

*

 小さい頃、ひとりでよく遊びに来た川原、夏休みに入ってからは明け方に来るようになった。朝靄のたち込めた川原に立っていると、嫌なことがみんな消えていく。淡くもやっとした合歓の花が、かすかに甘い香りで憧子を包む。しっかり葉を閉じているアカシヤは、朝になるまでもう少し一緒に眠りましょうと誘いかけてくれる。冷たく白い靄の中に隠れていると、憧子は楽に息をすることが出来た。新学期への不安を忘れることが出来た。誰にも言えない涙の訳が、みんな朝靄の中に吸い込まれていくようだった。

*

 朝日が昇ったら、母さまの憧子に戻りましょう。わたしが哀しい顔をすると、母さまも淋しそうになさるから。わたし母さまの淋しいお顔を見るのは嫌だもの。学校は楽しいわ。お友達がたくさん出来たのよって、出来るだけ楽しそうに話しましょう。母さまが嬉しそうになさるから。

 父さまはシベリアから戻られてすぐ、肺のお病気でサナトリウムに入られた。父さまが帰って来られるまで、母さまに心配をかけてはいけないのよ! 頑張りましょう…。

 憧子は朝靄に霞んで見える向こう岸に向かって、大きな声で叫んでみた。

「おとうさァん! おかあさァん! …みんな、そう呼んでいるものね。」

「ねえ、あそぼ! いっしょにあそぼ! …こんな言い方でいいのかしら。」

 憧子の声が朝靄を切って流れ、揺らぐ靄が憧子の体を撫でていった。靄の切れ目から、帯状の朝日が、無数の光の粒を輪舞させ、憧子に向かって射してきた。

*

 銀色に射す朝の光は、冷たかった大気をみるみる温め、憧子をすっぽりと包み込んだ。流れ出した靄が、憧子の心に小さな勇気を約束して、憧子の不安を浄化させながら光りに溶けていった。

(続く)

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[「文学横浜」30号に掲載中]

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