「文学横浜の会」
新植林を読む
2011年5月8日
「新植林46号」
随筆「感謝祭の集い」
「感謝祭の集い」では、感謝祭での七面鳥料理は日本における正月のお節料理の位置づけなのかな、と思いました。
創作「二階の人」 シマダ・マサコ
「マイク(夫)を媒介に、マイクに支えられ、マイクの庇護の土台の上に作られた世界」で生活していた裕子だが、
ある日その頼みのマイクが帰って来ない。不安に駆られる裕子だが、連絡の取りようが何もない。真夜中、ポリスが来てドアを叩く。・・・。
エッセイ「おじゃまでしょうが(忘れ得ぬ授業)」 中條喜美子
中学生の授業を思い出して書いている。誰しも何かしらの後悔、或いは感動、もしかしたら負の印象が残った授業はあるものだ。
作者には後悔の残った幸せな「忘れ得ぬ授業」だったのだと思う。
短歌「砂から海へ」 中條喜美子
今回は「砂」と「海」をテーマとした10首から3首。
随筆「老木を尋ねる旅」他、四編 柳田煕彦
「老木を尋ねる旅」「タンポポ」「刺される痛み」「人の食べない食べ物」「みみずの効用」の五編。
タンポポ、等食べられる植物や食べられない植物を知った。また蜂に刺された時は重曹、みみずには解熱効果があるとも知った。
随想「想い出は歌と共に」 花見雅鳳
想い出の歌を聞けば、その人の年齢がだいたい推定されるが、筆者の「思い出の歌」は軍歌であり、中でも「予科練」だと言う。
普段は鬼先生だが「君達が何十年かして、・・・。どこかで先生にバッタリ出合ったとする」の件には思わず笑ってしまった。
随筆「八十年を振り返る」 キッツ幸子
八十路に入った作者の子供の頃、戦前戦中だと思うが、その頃の事を書いている。昔はみんな貧しかったんだよね。
戦争には触れていないが、子供だからそんな足音は聞こえなかったんだろうな。
随筆「在米半世紀の回想録(その九) 井川齋
脚注がついて米国事情に疎い者には分かりやすくなって、有り難い。
LACCへの在学期間が終わり、英語力の不足問題を抱えながら、それでも学問追及の意欲を持って、筆者は「ステート」LASCへ進学する。
当時の米国大学事情が書かれているが、日本とはだいぶ違うようだ。当時から車社会の米国で、
バスを乗り継いでアルバイトを続けながらの通学。そうした中で「木津裕子」と出逢い恋愛を体験する。
一緒に住んでいたトムが日本に留学することになり、
同じアルバイトをしていたウェインのいるアパートに空部屋があると言われてルームメイトになる、と言う処で終わっている。
随筆「ふと考えてみた」 和山太郎
小学校での授業補佐で体験した米国社会における自由の権利について書いている。
「エホバの証人」の信者がその教理の一つ「偶像礼拝を避ける」があり、
国旗敬礼や国歌斉唱などは偶像礼拝とみなして、しなくてもそれを認めている。
ノンフィクション「ある国際結婚(五)」 清水克子
韓国で結婚した後、泊まった「李さん家族」や「彼の友人や家族」の事に触れて、日本との文化の違いを知ると共に交友が広がる。
そうした中で筆者の弟が内緒で韓国に渡って「私と彼との結婚を止めてくれるよう」と掛け合った事実を聞かされる。
私小説「インディアン サマー(八)」 杉田廣海
初仕事の日、数人の刑事が来ていていた。沖縄美人の彼女(好美)は刑事が引き上げて、やっと食事に出てくる。
刑事の来訪目的を聞けずにいたが、ベビーシッターのテレサから、赤ん坊の誘拐事件だと知らされる。
しかも犯人の中に以前好美が連れてきた男友達の黒人がいたと。
文芸誌 in USA 新植林 <金田>
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