「文学横浜の会」
新植林を読む
2014年6月3日
「新植林52号」
「巻頭言」
仕事以外でも、ある分野で能力のある人のことが書いてあるが、実際、そう言う人はいますよね。
才能を評価するという事は単純ではないんですね。
随筆<「岡倉天心」断想> 野本一平
作者の芸大受験体験に絡めて、岡倉天心についての「断想」。
天心の著作は全て英文で書かれており「英語の力がズバ抜けていたことは、多くの英語、英文学者が、一様に称揚し、
否定したものを、いまだ読んだ事がない」と言う。
作者がこの随筆で引用した一文を含めて、天心の著作物を再度見直す必要があると気づかされた。
随筆「砂漠のブランコ(一)」 ケリー・晴代
「巻頭言」で「故ケリー・晴代さん」と書かれていることから、遺稿なのだろう。
夏休みを利用した「子供を連れての日本への帰郷」から話は始まり、5年前、アメリカ人の夫の博士課程への進学によって、
家族揃ってのアメリカ、ニューメキシコへの引っ越しとなる。
創作「オルガとその妹」 シマダ・マサコ
小説、とあるがまるでドキュメンタリーのあらすじを読んでいるようだ。
時代は19世紀の初頭、まさに動乱の時代。実際にここに書いてあるような人たちも多くいたんだろう、と想像する。
もうそんな時代には戻ってほしくはないが、ウクライナ情勢等を目にすると、何とも複雑な気分になる。
エッセイ「おじゃまでしょうが(ズンバ)」 中條喜美子
ズンバと言う言葉を初めて知った。踊りとかダンスとは無縁の生活をしている関係で、そう言う趣味を持っている方が羨ましい。
確かに、年を重ねて一線から退けば、運動をかねてダンスは楽しいでしょうね。読者に伝わってきます。
短歌「母の顔せる」 中條喜美子
前号では娘の結婚、そして「孫」ですか。初孫なんでしょうね。作者の心の内が手に取るようです。
小説「でけそこない(その十一)」 入江健二
二郎が13歳(小学6年)から16歳(中学3年)頃の話。
アメリカ人のクエーカー教徒の影響を受けて、クエーカーになっていた二郎のお父さんは、
フルブライト奨学金を受けて、アメリカ・ベンドピル郊外のクエーカー系の大学に留学する。
お父さんに勉強で認められたいと思っていた二郎だが、中学生になっても成績は上がらなかった。
が、クラスに勉強の出来る土屋さんという女生徒に憧れるようになり、成績も大躍進したが、長くは続かなかった。
ノンフィクション「カントリーの友達(一話)」 柳田煕彦
ジムの再婚相手、カントリーガールだと言う新妻カーラの話。
ノンフィクションと言うからこう言う女性がいるんですね。面白いと言うか、もし自分の女房だとしたら、面食らうでしょうね。
でもそんな女が自分の女房になる筈もなく、杞憂ですが。
兎に角、面白かった。
随筆「在米半世紀の回想録(その十五)」 井川齋
修士課程1年目から終了まで。
作者の努力と情熱で徐々に英語力も向上して、成績もよくなった。
修士の終了とともに三つの大学の博士課程への編入が許可されたが、私はオレゴン大学・政治学部の博士課程への編入を決める。
作者がどんな人物か判らないままに連載を読んできましたが、この回になると作者の進んでいる方向が見えてくる。
アメリカにおける修士から博士課程への仕組みも、評価の仕方も日本とは違うのが判ります。
作者の初志が達成されるのかが、読んでいる方の興味だ。
ノンフィクション「ある国際結婚(その十一)」 清水克子
夫が新しい店をさがしてきた。大きなガスオーブンがついているが、それが後々保健所とでの問題の種になる。
夫はマーケットの社長をしたりして、私は店の仕事などですれ違いの生活をしていたが、
それが夫の世話をみようとする女性が現れる一因でもあった。
小説「インディアン サマー(十四)」 杉田廣海
嫌疑を受けながら指紋照合結果の待っている日々、小池智子から電話があった。
治安の悪い処にいる私に、智子が会いにくることになる。
その日、予定通り小池智子と合流はしたが、それぞれの車で移動している最中、小池の車が黒人の運転する対向車と衝突した。
日頃、韓国人と黒人は反目しあっているから、間違えられれば大変なことになる。
韓国人ではないと思わせるように叫び、どうやら韓国人ではないと感じてくれたのだろうか。
文芸誌 in USA 新植林 <金田>
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