「文学横浜の会」

 新植林を読む


2015年 12月13日


「新植林55号」



「巻頭言」
前回に続いて「店を閉める腹を決めた」にまつわる保健所とのトラブル。 対役所関係では、日本でもトラブルを聞く事もある。多民族国家のアメリカで、 表向きは人種差別はないと言っても、役所の担当者によっては尚更…、ですかねぇ。

随筆「柳宗悦の軌跡」   野本一平

副題として「その思想家としての側面」とあり、青年時代にキリスト教を学びひかれながら、 何故、浄土教=他力道に移行したかを柳宗悦の交友関係と著作から考察している。 名前は知っていたが、本稿を読み柳宗悦その人に興味を持った。毎回教えられる。

短歌「桜の旅」               中條喜美子

 作者が中国に旅し、日本へ里帰りした際に詠んだのでしょうか。十首の中から三首、
「まだ固き 桜木の下 眺むれば 松本城は 黒々と立つ」
「ポケットに どんぐり拾いし 頃もあり 旧友(とも)と語りぬ」
「仄暗き 奈良の宿より 足早に 駅舎に向かう 傘一つ見ゆ」

エッセイ「おじゃまでしょうが(孫と私)」   中條喜美子

 娘の子、つまり作者にとっての孫とのふれあいとでも言うのだろう。 「老いて行く身にとっては、カンフル剤のような存在だ」とあるが、ありふれた言葉で言えば孫は色々な意味で可愛いのでしょうね。

小説「ふるさと(二)」         シマダ・マサコ

 1960年代、彼(裕子の夫)は大学を出てサンフランシスコにある大手の法律事務所に勤めるが、 数年で辞めてしまう。個人事務所を開いたが、「皮のジャンパーを売っていた」女の人に誘われ、シアトルで衣類を扱う店を出すが、 結局、子供のベビーシッターをした女の子と店をする事になる。
店はうまくいって、個人事務所は閉じる。店は繁盛して、その後3店舗になるが、時代の流れで売れなくなり店は閉める。
ある朝、夫は「パリに行こう」と言う。

小説「でけそこない(その十八〜その二十)」    入江健二
副題「それでも夢があった」

「その十八 天国の庭で」「その十九 九回二死、逆転満塁ホームラン」「その二十 つかの間の青春」サブタイトルで、 作者の浪人時代から、大学入学直後頃の事が書かれている。

 1959年、二郎の予備校での成績は相変わらず良くなかった。そんな中、京都大学志望の山下賢一と親しくなる。

 成績は伸びないので、理数系をあきらめようかと父さんに言うと、 東都教育大学英文科教授の父さんから縁故(入学)をほのめかされたりしたが、反感を覚えたこともあった。 60年2月になって成績が突然向上し、志望校の東都大学の理系に合格できた。

 1960年頃、日本は日米安保で揺れていた。中学時代のあこがれの同級生、土屋良子さんも同じ大学に入学し、 付き合いを求めたが、婉曲に断られた。田村くん(火星ちゃん)と十日間の九州旅行に出掛ける。 帰途、母さんの実家に立ち寄り一泊し、イトコのタカちゃんと会う。

ノンフィクション「カントリーの友達」(後編)  柳田煕彦

 前回の「トーマス」の続編。二十歳も年の離れたカントリー・ガール(カーラ)を嫁にしたジムが中心の話。 もっと子供がほしいカーラと、もう子供は沢山だと思っているジムとの関係が面白く描かれている。 田舎の風景、動物との付き合いなど、日本の昔はどうかと思うが、今の日本では考えられないです。 航空会社に40年勤めていながら飛行機をつかったのはたったの3回だと言うジムも、私が退職した後、会社を退職した。 なんの娯楽も持たないカントリーボーイのジムは、ベッドの上で一人亡くなったと言う。

随筆「砂漠のブランコ(四)」      ケリー・晴代

 「<秋>休み時間」「スージーとの出会い」の副題で書かれている。
 主に、英語を良く判らないJJがクラス内での奮闘の様子が親の目で描かれている。 カウンセラーのスージーに出会い、JJも心を開き始めたのに、ある日から全然学校に来なくなる。 他の時給の高い学校に移ってしまったのだ。

随筆「在米半世紀の回想録(その十八稿)」   井川齋
  オレゴン大学・大学院在籍時代(二)

 筆者の進む道もほぼ定まり、  「はじめに」「春季、オレゴン・ポリサイでの初学期」「索漠たる「間借り」生活」「カルチャー・ショック(ギャップ)」 「カレン・メイとの交友関係」」「「上の空」的な状況‐自動車事故で目が覚める」 のサブタイトルで大学院での生活がスタートする。

何もかも初体験の専門分野の学習が始まり、学習内容内容なども書かれている。
ユージーン時代で最も親しくなったフレッド・ターブラッシュとも出会った。

裕子は私がカレン・レイとの付き合っているのを面白く思っていないようだが、カレンが学業を中断して故郷へ帰るまで続いた。 後々、妻・裕子と離婚に至る遠因が一人暮らしが続いたこの時期にあったと作者は述懐している。

時は68年、ベトナム戦争が激化した時期で、米国内は喧騒の中にあった。

68年・69年度の住処としてオレゴン大学所有の既婚者用のハウジングに8月からの入居と決まったが、 裕子がユージーンについてからの1ヶ月をどうするかの問題が残る。 私の憂鬱は裕子に依存した生活が続く事だった。

まだまだ作者の苦難は続きますね。

随筆「家に来るハミングバード」        太田清登

 二つある「ハミングバード フィーダー」に来る小鳥たちの事を書いている。 来ない小鳥の心配するなんて、優雅な生活ですね。
ニュース等で目にする多民族国家で揺れるアメリカの別の一面である事には違いない。

ノンフィクション「イーハトープ・その二」   清水克子

 宮沢賢治の故郷で、賢治と高村光太郎が親交があった等、興味を持って読んだ。
四階建ての秀清館、木造でしょうから、今残っていればそれこそ貴重な建造物だったでしょう。 日本は今、地方衰退、消滅町村等との言葉が飛び交っていますが、地方こそまだまだ捨てたものではない、と思います。

小説「インディアン サマー(十七)」     杉田廣海

 銃砲店は白人ばかりで熱気に満ちていた。 カリフォルニアにはあらゆる人種が住んでいる。白人対黒人、黒人対韓国人の対立がある。 白人の殺人者に対して罰金刑の判決もあり、マイノリティはそうした法体系にも怒っている。
 ベリーと相談して私は銃・ベレッタ92、等を購入する。
 戻ると弁護士事務所から来月5月6日にコート・ピアリングがあるとの知らせが届いていた。

文芸誌 in USA 新植林
第55号・2015年 秋期
e-mail:shinshokurin@aol.com
homepage: http://www.shinshokurin.com
定価:7ドル+TAX


<金田>


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