「文学横浜の会」

 新植林を読む


2017年11月16日


「新植林59号」



「巻頭言」  長い間、放置されていた釣りボートを安く譲り受け、再び使用できるように修理している経緯を書いている。 修理や物作りは楽しいものです。

小説「福島ラプソディ(二)             中野隆一郎

 「序奏曲 パート4、小川大輔の場合」

 前回はサラリーマンの小林信吾、ホームレス生活をしているヒロシ、主婦らしい平井節子の三人が登場した。

 今回は小川大輔が登場するが、小川大輔と小林信吾の上下関係が判りづらかったが、信吾が小川大輔の上司(課長)なのだろう。 入社当初はつっぱっていた小川大輔だが、提出する企画書は好評だ。 小川大輔の「熊本物産展」企画書が出て、これからどうなるのだろう。

登場人物が多く、これからついていけるのか不安?

短歌                     中條喜美子

 朝日新聞の「朝日歌壇」に、筆者は1998年から投稿され、今迄に77作の入選作があり、それを順次紹介しています。、 今回は四回目で2005年の作品からの9首の入選歌。何れも秀作です。

エッセイ「おじゃまでしょうが(私の庭)」   中條喜美子

 私も家の近くに小さな畑で趣味の園芸をしておりますが、書かれている内容は、規模といい種類といい、 比べようもなく大きいです。それだけ自然に富んだ土地なのだと推察できます。
羨ましい限りですが、作中にあるように雑草との闘いは何処も同じ。年を重ねると、それも一苦労です。 真夏はもう戦う気力も失せて、雑草の伸びるに任せています。

随筆「朝の散歩」           太田清登

 入院手術をしてから運動不足を自覚して、毎朝の散歩が日課になり、 その散歩の様子を書いている。

小説「ナポレオンのポスター」」    シマダ・マサコ

 一連の裕子シリーズとして読みました。 裕子も年を取り、息子夫婦の家に泊まる。 小さい頃から息子が手放さなかった「ナポレオンのポスター」がないのに気付き、息子との過日を思い出す。 息子の母親と妻の自分、或いは裕子の夫を介在した義母との確執を重ね合わせて思う。 結局、ポスターは息子の部屋に掛けてあったのだが…。

随筆「在米半世紀の回想録(第二十一稿)」      井川齋
   オレゴン大学・大学院在籍時代(六)

 前回の(第二十一稿)の続編

「ミッチェル教授の講座に怖気る」のサブタイトルで、
経済学の基礎を学んでいなかった私はアサイメントのペーパーを提出したが、 ミッチェル教授の辛辣なコメントを受け「鬱の状態」になる程のショックを受ける。

「憂鬱な日々 1969年7月」のサブタイトで、
夏季休暇に入り、私は新たに借りた借家で、必要に迫られて大工仕事に神経を集中させる。 結果的にそれは鬱的精神状態になっていた私を身体的にも「タイム・オフ」的な効果を齎せた。

「自己体験を通してのオレゴン・ポリ・サイでの「師弟関係」考察」のサブタイトルで、
オレゴン大学で師事していたアガー教授の突然の転出によって師事する教授を失い、そしてミッチェル教授の講座を体験し、 改めて私は博士論文作成上の「指導教授」の不在に気づく。

「日本語の文献に馴染むことの重要性に気づく」のサブタイトルで、
69年の7月、借家の裏庭に作ったハンモックの上で、私は日本にいた中高校生の時に英語を勉強しなかったことを思い出す。 渡米してから英語を懸命に勉強したが、大学院ピログラムで学ぶ上での語学力、 特に政治科学の分野を学ぶ上ではまだ語学力が足りないのではと思う。
そんな中で渡米する船中で読み、その後も継続して読むようになった「中央公論」や「世界」と言った日本の雑誌を思い出し、 私の学ぼうとしている専門分野の日本の関連学会の資料に注目する。 日英両語で専門書を読むことが将来的にもプラスになる、と考え始めた。

「小坂たま伯母、ユージーンへ来る」のサブタイトルで、
当時68才だった英語もろくに話せない小坂たま伯母が一人再婚先のカナダから訪ねてきた事が、伯母の生きざまと共に、 愛情をこめて書かれている。

随筆「砂漠のブランコ(八)」            ケリー・晴代

 サブタイトル「二度目の新学期」

 この稿ではJJがクラスで自分の居場所をみつけ、友達もが家に来るようになり、やっと第一段階をクリアーした、 と書かれている。
家庭内における二か国語をどう使い分けるか、或いは異文化交流など、 これから他国に行く方には大いに参考になるのでは、と思います。それに子供の年齢も大いに関係がありそうです。

ノンフィクション「部屋の中で鳴く虫、他二編」     柳田煕彦

 今回は、米国での体験を通した話のようです。何れも面白く興味深い内容でした。

「部屋の中で鳴く虫」  ひとり住まいの中では「こおろぎ」の鳴く声も、何故かほっとするひと時もあるのでしょう。

「蠅取蜘蛛」  獲物を捕るまでじっとして動かない蠅取蜘蛛を、ある日、万年筆でいたずらしてから、 蠅取蜘蛛がいなくなってしまったことから、子供の頃の「おとなしい子」の事を思い出す。

「遺灰」  酒が好きで、飲むと性格の変わる後輩の話。彼の女房は気が強く彼より大きい。 酒嫌いの女房との夫婦仲は良くなく、けんかは絶えないが、どうしてそんな女と一緒になったのか、面白い内容だ。
その後輩が亡くなり、遺灰を散布する場所を案内する。

ノンフィクション「私見・環境と人間(二)」     清水克子

 カトリックの女子校教師に採用された経緯に始まり、そこでの交友関係が書かれている。
「この学園も二年で退職することになるのである」で終わっている。

小説「インディアン サマー(二十一)」        杉田廣海

 前号に続き、「ロドニーキング事件に端を発した暴動」場面から始まる。

ロドニーキング事件はポリスの過剰取り締まりがきっかけだった。 ポリスの取り締まりは強圧的で出鱈目なのだ。 現に誤認して私の家に押し入って、私に障害を負わせた事件で、私はポリスを告訴している。
暴動の不穏な雰囲気の収まらぬ中、私は自分が告訴した事件について、パサデナでのデポジションに出かけるため、 服装を整え通りに車を出す。


文芸誌 in USA 新植林
第59号・2017年 秋期
e-mail:shinshokurin@aol.com
homepage: http://www.shinshokurin.com
定価:7ドル+TAX

<金田>


[「文学横浜の会」]

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000-2004 文学横浜