「文学横浜の会」

 新植林を読む


2018年11月11日


「新植林61号」



新植林61号

「巻頭言」
 サンフランシスコ市と大阪市で結ばれていた姉妹都市提携の解消について述べている。 原因は韓国系住人による、それも人数にまさる政治的圧力による、公有地に設置された慰安婦像等にある。
他国におれば、猶更、誤った事実による祖国への偏見誹謗に反感を持つのは頷ける。

小説「福島ラプソディ(四)」            中野隆一郎

 「ラブソディ序曲(狂詩曲のための序曲)」の副題で書かれている。 登場する人物が信弘、ノブヒロ、宏、ヒロシと紛らわしく、学者と呼ばれている人物がいて、 「学者と呼ばれている井村宏も」との記述もあり、読んでいて???  複雑な構造なのかな? ホームレス村を背景に、他に住職なる人物もいて、なにやら計画しているのだろうか?

短歌「朝日歌壇の入選歌」              中條喜美子

 朝日新聞の「朝日歌壇」に、1998年から投稿され、今迄に77作の入選作があり、それを順次紹介しています。、 今回は六回目で2010年から2013年の13首の入選歌。何れも秀作です。 

エッセイ「おじゃまでしょうが(忘れられない思い出)」中條喜美子

 作者の70余年にわたる人生を振り返って、「心にしみて嬉しかったことなど山ほどある」と書きだしている。 これを読んだだけで、作者は何事にも前向きなんだな、と勝手に想像します。
そうした山ほどある嬉しかった事の中から52年前の事と、31年前の事を思いだして書いている。 二つとも他人からの思いがけない優しさ、それを受け止められる自分があってこその嬉しさでしょう。

随筆「砂漠のブランコ(十)」            ケリー・晴代

 副題「<冬>ミドルスクール説明会」と「継続式(コンティニュエーション)」
 日本と米国における、日本で言えば小学校から中学校への卒業・入学についての違いについて書かれている。

 生徒の文化的背景は、30にも及ぶ、つまり日系、韓国系、中国系等の国や、或いは宗教であり、社会科の授業に参加して、 自分の知っている文化について話してほしいと言われた、とあるのが如何にも米国。 そう言う授業をしても、今のトランプ現象を見て、文化的背景の異なる人同士が分かり合えるのは難しいのでしょう。

日本では小学校でも卒業式ですが、継続式と言うのは、確かに一貫していると思う。 日本も小中は義務教育ですから、小学校は卒業より、中学への継続式の方が実態に合っていると思う。
それにしてもJJちゃんの受賞、素晴らしい。

随筆「ホヤの花」                  太田清登

 ホヤの花と野良猫・キャミーについて書かれている。 鉢植えとあるからそんなに大きくはないと思う。実際に見たことはないが、写真を見て、花だけ見ればなんとなく桜に似ている。

ノンフィクション「私見・環境と人間(四)」     清水克子

 この稿では、作者の家庭教師体験を踏まえて「幾ら勉強を無理強いして学校での成績が良くても、 最終的な実力とは個人の能力だ」と言っているのだろう。だから学生時代は、せめて身体を鍛える事が大事だ、 と言っているようにも読みました。

ノンフィクション「八十才 ホームレス その二」   柳田煕彦

 前作に続きで、日本でのホームレス生活を、興味深く綴っていますが、ノンフィクションと言う表題がどうも気になります。 何れにしても多摩川、六郷橋辺りの河川敷に生活するホームレスの人々との交友は人間味溢れ、 とても80歳を過ぎた方とは思えません。

小説「ミンクのコート」               シマダ・マサコ

 お姉ちゃんの一生を著した作品でしょうか。書き手の視点、と言うか書き手とお姉ちゃんの接点が最後まで判然としませんが、 「自己を抑え我慢をし続けて生きてきた一生に、一度でも、枷を外してミンクのコートを買った」のではないか、 とありますから、お姉ちゃんの一生を見ていたのでしょう。

随筆「在米半世紀の回想録(第二十三稿)」      井川齋

 70年前後の頃と思われます。この頃になると作者の進む道がなんとなく見えてくる。

 副題「フレミング教授ユージーン来訪」
 フレミング教授から「如何なる政治学を追及してきたのか」と質問される。色々応えてみたが、 私は何か具体的な博士論文の題目を早急に定める(見つける)ことしか考えていなかった。 フレミング教授には色々と示唆に富んだ話を伺ったが、これが直接会う最後となった。

 副題「ジーグラー・セミナーにおける課題」
 フレミング教授の質問は、私自身が何度も自問自答してきたものでもあった。 私はジーグラー教授のセミナーで「自分がポリ・サイで目指す研究分野とその理由」という小論文を書く アサイメントを与えられていた。 フレミング教授と再会して、私は少なくとも次へ向かうステップを踏み出すことができた。

 副題「日本行きを思いつく」
 私は日本における市民運動「ベ平連(ベトナムへ平和を! 連合会)」の活動内容を観察しようと決め、日本行の準備にかかる。 AAJSの日本向けチャーター機に便乗することになり、日本での面接先の目途をつける。
日本行が迫るに及んで、12年ぶりの日本行に、米国市民になっていた私は二重国籍問題に突き当たり、 結局、日本国籍を失うことになる。このあたり淡々と書いているが、心境はどうだったのだろう、と想像します。

小説「インディアン サマー(二十三)」       杉田廣海

 どうにかデポジションが始まったが、日本語を充分理解できないお粗末な通訳に苛立つ。 ポリス・ブルタリティという言葉で警察の度を越した暴力的行為が度々メディアを騒がせ、 それが原因の暴動や恨みによる事件も頻発している。
私は通訳なしで、私が告発したシェリフ4人と、法廷の席に座った。


文芸誌 in USA 新植林
第61号・2018年 秋期
e-mail:shinshokurin@aol.com
homepage: http://www.shinshokurin.com
定価:7ドル+TAX


<金田>


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