「文学横浜の会」

 新植林を読む


2020年 1月13日


「新植林63号」



「巻頭言」

 古稀を過ぎてからの体力の衰えを言い、おしめの話になり、赤ん坊用より老人用のおしめが増えたのではと…。 日本には百歳を超えた人が7万人いて、その88%以上が女性であり、その男女差に笑うしかないと言う。

小説「福島ラプソディ(六)」            中野隆一郎

 副題「アダージョ(壊れた和音 その1)村上健二の場合」とある。
 大学のテニス・サークルにいた村上健二とその妻・由美のそれぞれの視点で、由美の癌闘病生活を丁寧に書いてある。 二人の間に不穏な予感として「青い車」が由美の視点で登場して終わっている。
ただ、これが全体にどう繋がっているのかはよく判らない。

エッセイ「おじゃまでしょうが(ミーハー)」   中條喜美子

 作者の仕事を通して接触した、所謂、有名人達の事が書かれている。
ファンには羨ましく、だからミーハーと言われるのでしょうが、 世界的スターと出会える仕事に出会えたのもアメリカならではの事。

ノンフィクション「八十才 ホームレス(四)」  柳田煕彦

 日本に戻りホームレスの現場に戻ると、泊りさんによって舟の備品等が売られたりしてガタガタにされていた。 東京オリンピックも近づいて、ホームレスが整理されるかも知れないと危惧する。
様々事情のあるホームレスの人たちと暮らしながら、 作者はアメリカでの生活を思い出し、トーマスはどうしているかと胸騒ぎを覚える。

小説「河向こうの人びと」            シマダ・マサコ

 戦後の混乱期の日本が背景。主人公の姉妹は疎開先から学校に戻るために母親と離れ東京に戻る。 姉妹の父親は空襲で亡くなっていて、姉妹は屋根のない建物に落ち着く。
そこは必死で生きる底辺の人達の棲家だった。 小説と言うより、戦後の混乱期、必死に生きる人達を書いているように思える。

随筆「地図を見る」               太田清登

 地図を見るのがすきとあり、日本の地図をみて昔旅をした北海道を思い出したり、 戦後、子供の頃一時暮らしていた東京港区での事を懐かしく思い出している。

ノンフィクション「私見・環境と人間(六)」   清水克子

 私は何かあると、神頼みにしていた。 高校生の時に親元を離れて一人暮らしを始め、卓球部に入ったりしたが、 精神的な問題から近くにあった教会に通うようになった。
親の反対を押し切って、カトリックの洗礼を受けたのは大学1年の時で、 私は信じる事に安心感を覚えると、ある。

随筆「アメリカを生きるための俳句」       嶋幸佑

 創立97年の「橘吟社」の場合、との副題がついている。
作者には「何故アメリカに来てまで俳句を作るのか」 「アメリカで作る俳句は、どれだけ生き残る価値があるものとなり得るだろうか」
という問題意識があったと言う。
これは日本の俳人たちの、何故俳句を詠むのか、に繋がるのではないか。

1922年創刊の「橘吟社」の活動を紐解き、「日本での評価」「アメリカ俳句」「ニグロ俳句」 「暮しにおける詩情」の観点から詠まれた句を紹介している。

「私が日本人としてこの地に生きたことを、私自身に証し、そのことに私自身が納得するために、 私はこうしたアメリカ俳句をじっくり読んでいきたいと思います。」
と終えている。、

随筆「在米半世紀の回想録(第二十四稿)」    井川齋

「十二年ぶりの日本」
 1970年7月末、私は12年ぶりに日本の土を踏んだ。母や末妹の死に際して頑なに自己を貫いてきいたが、 日本の国籍を離脱した作者は、他の姉妹に会わなければいけないのか、と複雑な思いをいだく。

「私の渡米背景」
 神社の神主家のたった一人の息子である作者が全てを捨ててアメリカに渡る経緯についての心情、 アメリカに行くに当たっての資金や、行ってからの金銭関係等、丁寧に書かれている。 作者の故郷を想う心は複雑だ。

小説「インディアン サマー(二十四)」       杉田廣海

 やっと裁判たどり着き、シェリフ」の暴力、自分の正当性は認められたが、和解を受け入れることになる。
裁判には勝ったが、私には勝ったという実感はない。

文芸誌 in USA 新植林
第63号・2019年 秋期
e-mail:shinshokurin@aol.com
homepage: http://www.shinshokurin.com
定価:7ドル+TAX


<金田>


[「文学横浜の会」]

禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000-2004 文学横浜