「文学横浜の会」

 新植林を読む


2022年 秋期号


「新植林69号」



「巻頭言」

 異常気象による自然災害についてふれ、「昨今、どこで何が起こるか分からない。」と言っている。
これは全世界何処でも、という印象ですね。

随筆「六羽のヒナ」                  斎藤 剛

 排水溝に落ちた「ワイルドターキーのヒナ達」の水道局職員による救出劇を書いている。
 人間とはこうした心もあるのに、色々な原因から国家間で戦争をし、殺し合いもする、なんとも…。

随筆「母の生い立ち(二)」              クラーク・ようこ

 「涌谷の美枝子ちゃん」
 叔母の「美枝子ちゃん」の娘、緑ちゃんの結婚式に出席したことから母の母にまつわる親戚関係を思う話。

 「母の恋人」
 母から聞いた「吉野」と言う青年の話。読む方としては何時、どんな時に聞いたのかなと?

 「父の「首切り」」
 教職員組合の書記長だった父親の「生一本」の性格についてふれ、母は苦労したが、私と弟は「父の生き様」の影響を受けたとある。

小説「名前のない馬」                 中野隆一郎

 学生運動の活動家と事を起こしたぼく(ケンタロー)は大学を1年休学してアメリカへ行く。

 横浜から客船に乗り込み船中でウイルソン夫婦(ビルとバーバラ)とその娘ローラ(高校生)と知り合う。 ウイルソン家族からぼくはニックネーム「ケニー」と呼ばれる仲となる。
ぼくはローラに心ひかれるが、何事もなくハワイを経由してサンフランシスコに到着する。

小説「昨日の公園(二)」               若林道枝

 前号の続きだが、よく解らない部分があった。

エッセイ「おじゃまでしょうが(グアテマラへの旅)」  中條喜美子

 毎回達者な文章で作者の体験談を読ませてくれる。今回は題名通り息子家族とのグアテマラへの旅行記。
読んで、英語でさえ満足に話せない自分は身内に多言語を解する者がいるといいな、と思う。

フィクション「シニア楽園 (四)」          柳田煕彦

 板井(りゅうちゃん)が下駄で山小屋を出て、急な坂道で頭を打って意識不明になった。
りゅうちゃんがいない事に気づいて大騒ぎになり、探し回ったが見つからない。
五日目にはあきらめムードになったが、やっとみつかり、命は取りとめたが頭の傷は重症で、病院に運ばれた。

随筆「アメリカ俳句を求めて」             嶋 幸佑

 移民によって続けられている俳句活動の歴史を述べている。
アメリカで創る俳句とは、と自問しているようにも感じた。
常石芝青の言葉
「現在まで我々の作品はアメリカを知らぬ日本の先生方の選に依存しているのであるが、 我々の間で作った俳句の価値判断は我々の間でするという積極的態度にでる時が来ているのではないかと思う」
を引用しているが、それだけアメリカ俳句が歴史を重ね、充実した証拠だろう。

ノンフィクション「私見・環境と人間(十二)」     清水克子

 アメリカでの生活の車のトラブルについて書いている。
日本でもそうだが、広いアメリカでは出先でのトラブルは命に係わる事もある。 街中でなら兎も角、もしも携帯も使えない場所でトラブルが起きたら、と思うと大変だ。

小説「インディアン サマー(三十一)」        杉田廣海

 先妻と別れてテルさんと同棲している耳鼻科医の瀬川さんとの交友関係書いている。
短所長所を持ち合わせた瀬川さんだが文芸活動に多額の援助をしてくれるとある。

文芸誌 in USA 新植林
第69号・2022年 秋期
e-mail:shinshokurin@aol.com
homepage: http://www.shinshokurin.com
定価:7ドル+TAX


<金田>


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