「文学横浜の会」

 上村浬慧の旅行記「アムステルダムの異邦人」


2001年1月


A「アンネの 隠れ家」

 アムステルダムって、運河の街ってきいてたけど、確かに、中央駅に向かって、 放射線状に流れる運河と、それに交差して、また別の運河が流れてる。まさに運河だらけ。 運河の間に街があるって感じかな。しかも運河の一つひとつに名前がついてるの。 絵葉書でおなじみの、カイゼル運河、プリンセン運河、ヘーレン運河。とても全部は覚えられない。

絵葉書(Amsterdam<運河の街>) リンク削除

 運河には、Houseboats(水上生活者が住んでるボートのこと)が現在2500もあって、自由に移動できないのと、 2年毎にドックで点検を受けるってこと以外、何の規制もないんだって。 ただし、税金は、地上生活者よりも高いって話。われら凡人たちの素朴な質問に、 彼らはこう答えるの。"Yes, the toilets flush into the canals."             それって垂れ流し・・!? キャアアって感じだよね。

写真(Houseboat) リンク削除

 そればかりじゃないの。水上ホテル、水上レストラン、水上アパートが軒並み。 こっちの方はね、勿論、canal boatに乗って運河沿いに目的の場所に行くって訳。 だから運河にも信号機や標識があるの。ほんとだよ。跳ね橋は、地上で言ったら踏み切りと同じかな。

 運河沿いには、ずうーっと並木が続いてる。おなじみのプラタナスやイチョウ、それにマロニエやオーク。 これはほんとに綺麗ですてきだった。オランダはチューリップで有名だよね。世界一の生花市場があるんだって。 それを見にいくツアーがあるって、聞いたことあるでしょ。 生花市場がどれだけ素晴らしいかは、実際に行ってみなかったから分からないけど、 運河の並木はほんとに感動ものだった。秋のヨーロッパは値千金って言われるけど、 アムスの秋を目にすると成る程って頷ける。朝ホテルを出る時はまだ緑だった葉っぱが、 夕方戻ってくるころには、真っ黄いろになっている。信じられないだろうけど、これほんとうのこと。 実際、目にしたわたしだって、あれは本当だったのかなって、まだ思ってるんだもの。 もしかしたら、オランダの気候は、それだけ朝夕の寒暖の差が大きいってことかな。 ただね、日本だったら、紅葉っていったら、まず、かえで科のもみじの紅い色を想うよね。 アムスの紅葉はほとんどが黄色。歴史を感じさせるゴシック調の建物と、緑から黄色に色づいてく並木。 絵葉書か、絵の中にでも入りこんだみたいで、とても Fantastic な気分になれるよ。

 ホテルを出て、運河沿いの並木道を西へ5分ほど歩くと西教会。

写真(Western Church) リンク削除

その筋向いに、アンネの住んでいたアパートメントがあるの。 アムステルダム中央駅からは、歩いて15分くらいかな。

写真(Anne's Statue) リンク削除

 ここに、アンネがナチスに囚われるまで住んでたSecret Annex (アンネの隠れ家)があるって知ってた?  アンネのことは知ってるよね。未来を夢みていた15才の少女が、ひとりの男の狂気によって、 すべてを奪われてしまったんだもの。『アンネの日記』は有名だしね。 わたしは、子どものころから、もう5、6回は読んでるかな。

 ここは、毎日訪れる人の行列で、見学までの待ち時間は30分。

 ほんとのところ、大戦の無残な傷あとを、物見遊山気分で無理やり暴くみたいな…そんな風にならないかなって、 どこかで躊躇ってた。それでも結局は行ってしまったんだけど、行ってよかったって思う。30分なんてすぐだよ。 アムスに行ったら、絶対に訪ねて欲しいところだって言いたい。実際に訪ねてみてから言うんだもの、これ本心です。

 パンフレットは各国語のものが用意されてるし、ガイド用のオーディオも各国語のものがある。 受付に頼めば貸してくれる。別にそれがなくても、各部屋にはアンネの日記からのガイドテープが流されている。 ただし英語だけどね。でもこれはとても分かりやすいから、中学程度の英語力で充分理解できる。 ガイドに頼るよりも、実際に目でみる方が何かを感じ取れると思うよ。百聞は一見にしかずって言うじゃない。  

 皮に焼印を押したジューダのマークをみた時は、正直言ってショックだった。 10cm2もない小さいものなんだけど、あまりの生々しさにゾクっとした。 狂気の恐ろしさを訴えてくるようで、息をつくのが苦しくなったくらい。

 隠れ家は、アンネのお父さんの、オットー・フランクが経営していた店の、裏の家の部分。 そこを、外見には人が住んでいないように見せかけてたらしいのね。 1階は、表の家と続いてる倉庫、そして、裏の家の2,3,4階と屋根裏が、隠れ家として使われていたらしい。 もうそのころは、オットー・フランクのお店も現地の従業員の手に委ねられていた。勿論だよね。 彼らが、最後までアンネの一家を匿おうとした心は、当時のナチスの体制を思うと、尊い行為だなんて、 簡単なひとことでは言えない気がする。

写真(Otto Frank's Shop) リンク削除

 階段は梯子のように狭くて、アンネたちは、そこに3世帯・8人が、毎日、顔を付き合せて暮らしてた。 窓のカーテンはひきっぱなし。階下に人がいるときには音を出せない。外の空気だって自由に吸えやしない。 トイレだって、バスだって、緊迫した当時を付きつけてくる。 実際には住居…アパートメント…といえるかどうか。 さぞかし、大人同士のいざこざの中で、アンネは翻弄されたんだろうな、と思った。

 だけどね、救われた気がしたのは,息を潜める生活の中でも、 アンネは少女らしい暮らしもしていたんだって思えたこと。アンネの部屋…縦長で、 3畳もないくらいの小さなスペースの壁に、スターの写真スクラップや、 アンネの書いた人形の絵なんかが貼りつけられてた。ベッドにはテディーベアが置かれててね。 当時のままなんだって。哀しかったけど、どこかでホッとした。それが正直な感想。

 アンネがペーターとデートしたっていう屋根裏は、想像してたより広くて、そう、ログハウスみたいだった。 空に向けた窓が結構大きかった。 ここから、毎日空を見て、教会の鐘の音を聞いてたのかな。鳥になれたらいいって空想してたのかな。って、 アンネの思いがいやって言うほど納得できた。

写真(Secret Anne (Back Part)) リンク削除

不条理に襲われた恐怖の中での生活、責任、義務、約束ごと。それを無視するように起きてくるもめごと。 それでもくじけず、あの最期の日まで夢を持ち続け、恋をしたアンネ。 些細なことでうじゃうじゃ言ってる自分が、ものすごくちっぽけに見えること請け合い。文句言いやさんには必見!

 最近、ヒットラーの血をひく子孫のことがよく話題になるよね。 ヒットラーの温かい人間性についてもいろいろ言われる。 でも、彼がどんなに温かな面を持っていたとしても、そして、それはかれの唯一の過ちだったとしても、 あの恐ろしいまでの狂気ゆえに、それらは反故にされても仕方がないだろう。そう思ったのは事実。

 狭い通路や部屋には、当時の記録写真がたくさん貼られ、残されたものが展示されてた。 それと対照的なアンネの笑顔を前にして、人として、犯してはならない罪とは…って考えさせられた。 無論、ヒットラーの …彼の子孫には、なにひとつ罪はないのだけれど…。

絵葉書 (Anne's Room) リンク削除 (Anne's diary) リンク削除 (Anne's favorites) リンク削除

 アンネの隠れ家を出ると、運河沿いの並木の彩りが、があァんと目に飛び込んできた。 息詰まって切なくなる隠れ家と、小鳥の声に溢れている通りとの落差はあまりにも大きい。 

 そのままホテルには戻りたくなくて、西教会を回りこんで、少し歩いてみたの。 そしたらアンネの家の近くにフリーマーケットがあって、とても賑わっていた。 フリーマーケットって自由な青空市場っていう意味ではありません。 フリーはフリーでも、flea---つまり、蚤っていう意味。古物を売る青空市場ってわけ。 新品には蚤はつかないもんね。訊いたら、蚤の市は、毎日開かれていて、毎日、人がいっぱいで賑わってるんだって。 アムステルダムの街中、あちこちに蚤の市があるって話。 食料品や衣料品から趣味の趣向品まで、いろんなものが並べられてる。 リサイクルものは勿論だけど、新品もごちゃ混ぜ。テントをはった露店に目一杯に並んでる。 生活に必要なものを、みんなそこで買いこむんだって。とおりで大きな袋を抱えた人が沢山いました。 もみくちゃになるの覚悟なら、じっくり眺めると、結構、掘り出しものがみつかるかもしれない。 わたしは、市場のはずれで、ぷくぷく太った洋ナシを1個買って、かじりながらホテルまで帰ったんだ。 完熟してて、そりゃあもう美味しかったな。

 さあて、オランダの画家といったらレンブラント。そしてゴッホ。

 この次は、二人の住んでた家を訪ねた話をするね。

(Lie)

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