「文学横浜の会」

 上村浬慧の旅行記「アムステルダムの異邦人」


2001年1月27日


B「レンブラントの家、蚤の市 … そして Rainbow」

 His Wife として出席しなければならないMainのDinner Partyは今夜。アルカマールのバーゲンヴィレッジには、アムス中央駅から、約30分ほどのシティーレイル(都市、都市に止まりながら走る列車)に乗って、夕方まで着けばいい。時間は充分にある。

 レンブラントの家に行ってみることにした。

 オランダの画家といったら、まずゴッホ。そして、レンブラントにフェルメール。中でもわたしが一番好きなのはレンブラント。 彼の描いた "光" と "影" は、なぜかわたしを魅了してやまない。彼の絵は日本にもたびたび来ているし、何度か観たこともある。アムスでしか観れないもの…それは彼が愛してやまなかった "家" と "工房" 。

 肖像画の時代が終わり、彼の栄光が去って、家は人手に渡っていた。死後、彼の妻がそれを買い戻し、住んでいた当時のままに使用していたエッチング(銅版画)用機械を配置した。壁、インテリアなども復元。併設された博物館と共に「レンブラントの家」として一般公開しているのだ。知る人ぞ知るっていうところなのだろうが、アムスに行ったら是非とも訪ねたいところだった。

 ホテルを出て、アムス中央駅近くのダムラック広場から、運河沿いに東へむかって歩く。海抜下の街アムスは至るところに運河があるせいか、空気が乾燥することもなく、外に出ているときはすこぶる気持がいい。ただ道路のあちこちにゴミが舞っているのが少し気になった。まるで連休明けの渋谷や横浜の飲食街とおなじ。そうじなんかされていないみたいだ。オランダには経済を豊かにする産業がないのだそうだ。就職難は世界有数だという。公共施設の清掃スタッフを雇う経済的負担を最小限に押さえ、国民一人ひとりにそういったことに対する自覚を促す政策をとっているということか。あるいは、国民性が、そんなことには拘らず、おっとりしているということなのだろうか。そんなことをちらちら思いながら歩く。

 とにかく、アムスは運河沿いに歩いてさえいれば、何がしか興味をそそられるものに出会える。妙に傾斜したゴシック時代の建物や、マヘレの跳ね橋。この跳ね橋は、現在でも、歩きながらにしてその開閉を見ることができる。勿論、タイミングによっては、少しの間、運河のほとりにたたずまなければならないかも知れないが…。運河沿いの並木はいうまでもなく、どの運河にも、ゆったり流れる水の上にはカモさんがいて、とても気持がなごむ。

写真(leanded building) リンク削除 (Magerebrug) リンク削除

 ダムラックから20分くらい歩いて行くと、妙な賑わいを感じた。蚤の市だった。覗いてみたい誘惑はあったけれど、とにかく、レンブラントの家を先に訪ねたかった。蚤の市を斜め越しに見ながら大きく回る。

 「レンブラントの家」は蚤の市を回り込んだところにあった。通りに面してはいるが、うっかりすると見逃してしまう目立たない家だった。家の面した広い通りには、近代的な道路標識があり、自転車や車が行き交ってはいるが、建物は昔のまんま、道路以外の街並みは中世のままなのだ。近代建築は郊外に行かなきゃお目にかかれない。タイムスリップしたような街並みの中に、レンブラントの家もとけこんでいた。上の方には三角形の切妻。そして茶褐色の扉。感激! 中に入る前からドキドキした。一緒だったハズは、わたしの興奮ぶりに処置なしという感じで、ただただあきれていた。無理もないやね。ディナーまでの空き時間を、不承ぶしょう付き合ってくれたんだから。

写真(Rembrandt's House) リンク削除

 中に入ると、どかーァんと「夜警」のキャンバスが目に飛び込んできた。やはり、光と影が胸をどきんと打たせる。この絵は、本当は夜警ではなく、光の効果を最大限に生かした昼間の絵だったのだそうだ。実際に、彼の家で目にすると納得!

 小さな部屋を順々に回る。各部屋に、お馴染みの肖像画が飾られている。彼はたくさんの自画像を描いたことは知ってるよね。彼の生きていた時代は、肖像画の全盛期だったことを否応なく思わされた。

 工房は二つあって、小さな機械がおさめられた工房と、大きな機械が収められた工房。

ローラーのようなものを中心においたその機械は、近世の大型の印刷器械にもみえた。この機械で銅版をのばし、細工を施したのだろうか。各部屋には創作過程が分かるようにエッチングが展示されていた。しかも、どちらの部屋も、外からの光りを充分に受け入れられる設計になっていた。機械のそばには、傍机とくつろげる椅子。そして大きな窓。さんさんと射しこむ光りを受けて、彼はその光りをエッチングに載せたのだろうか…。それとも光りに顔を向けて、エッチングの構図を想ったのだろうか…。大きなガラス越しのやわらかな日差しに、わたしもしばし温もってしまった。

 彼のprivate roomでは彼のベッドをみた。とても小さい。驚いた。彼は体の大きいオランダ人だったはずだ。スキポール空港やホテルのトイレ、そしてホテルのベッドのことを思い出した。彼のベッドは、壁の一角に押し付けるように配置されていて、まるで、脚を折って横になっていたのではないかと思うほど小さなベッドだった。夫婦の営みなんかとても出来そうもない…なんて不謹慎なことを想って、思わず辺りに目を走らせちゃった。但し装飾は豪華。まるで、貴族のベッドのように、支柱には彫り物が施され、ベッドを覆うカーテンもゴーシャス。

 彼はこの家をこよなく愛し、20年近くも住んでいたという。判るなあ…。どの部屋も光りに溢れていて気持がいい。彼は日照時間の少ない北欧の地で、こよなく光りをもとめたのだろう。それが彼のポリシーだったのかもしれない。光りが隅々にまで感じられた。

 ある広間では、彼の収集癖を垣間見ることもできた。そこに陳列された彼の収集品の中に、"steel helmet"というのがあったんだけど、なんのことか分かるかな。ふふ…。
…かぶと… Japanese Helmet つまり、日本の兜のことだったの。そればかりじゃない。

いろんな所のいろんな貝。大きいものから小っちゃなものまで。それに、家のちょうつがいや、本に挟む栞りみたいなもんまであった。この収集品は、彼のいろんな絵の中に、ちょろんと描かれているみたい。ここの陳列品を見て、彼の絵を観たら、きっとみつかる。どこに描かれてるかなって探したりしたら、ちょっと面白いかも…。  

 大満足をした「レンブラントの家」を後にして、隣接のmini restaurant で軽い食事。
もう言うことなしって感じのわたしは、草臥れ果てたハズ君を尻目に、さっき横目にしてきた蚤の市に向かって、スキップ混じりでいざ出陣。そこで娘へのお土産を買うつもりだった。アムスの至る所にflea market があるって話はしたよね。これから行くmarket もそのひとつ。オランダ最大規模の蚤の市で、別名、泥棒市って言うんだって。

 それは、「レンブラントの家」を回ったところからワーテルロー広場へと、通りいっぱいに広がっていた。ところせましと並んでいるテント沿いの3本の通路は、人が流れる川のよう。真ん中の通路には、主に衣料品や装飾品、そして山積みになった生地。袖の部分が取り外しできる厚手の上着や、太ももの周囲にぐるりと太いジッパーの付いているジーンズのパンツがやたらに多い。朝夕と昼との気温の差が大きい上に日照時間が少ないということもあって、そういった日常着が売れるものらしい。どういった着方をするかは説明しなくても想像できるだろう。そう、お陽さまが出てきたら、ジッパーから袖なりパンツの裾の部分なりを外して肌を出し、できるだけ素肌に太陽の恩恵を受けるのだという。生地を買う客は、たいてい太い反物を丸ごと抱えていく。それほど安いということなのだろう。

 外側に向いたテントの一方は、カラフルな色をした野菜や果物や飴。そして缶詰、瓶詰めに至るまでの食料品。もう一方には、オモチャ。オモチャといっても子供向けだけじゃない。大人向けのレトロゲームや最新型のカメラ、ステレオ、テレビなんかが無造作に並んでいる。季節を感じさせる陶器の人形やマリオネットもね。

写真(Flea Market) リンク削除

その中にロココ人形がぞろっと並んでいるお店があった。一体3万円から10万円くらいにみえるものが、ペアで5000円。信じられない。どんなルートでこのmarket に並べられたんだろうって思ってしまう。泥棒市って名の通り、盗品があるってのも、まんざら嘘ではないのかもしれない。その上、こんだけの品物、雨が降ったらどうすんだろう。アムスは、雪が降っても、雨は少ないのかしら…なんて訳のわからないことを考えながら、人…人…人…の中を行く。身動き取れなくなることしばしの真ん中の通りを必死に泳いで、娘のお土産を漁った。いぶし銀で、渋い造りの土台に鮮やかなグリーンの葉が光ってるのをみつけた。惹きつけられて買い求めたのは、それがトップに付いたシルバーチェーンのペンダント。どうみたって5000円はくだらないだろうと思えるのに、なんと、日本円でたったの380円。オランダの物価は日本の半値に近いということを差し引いても、やっぱり安い。

 しかし、そんなものを見つけるには、人いきれにもメゲズ歩かないと駄目です。大抵のテントに、似たものが似た値段で並んでいるし、中には、これで売り物になるの、っていいたくなるようなものまであるのです。わたしにしても、ハズの冷たい視線に背を向けて、辛抱強く、ざあーっと、ひととおり歩いてから、お目当てのテントに戻ったんだもの。

 後日談なんだけど、娘は、そのペンダントを、結構、気に入って喜んでくれた。ところがある日、それをつけて出かけた娘が、なにやら興奮したようすで帰ってきた。
「お前、そんな趣味あんの」
と、先輩に言われたのだという。彼の話によると、トップの葉っぱは、どうもマリファナの葉らしい。…むしろ、その葉を知ってる彼のほうが危ないかもしれないのにね…

そんなことどうでもいい。色も形も気に入ってるから。と、娘は、今でも満足そうにそのペンダントをつけてはいますが…

 とにかくアムスは運河で区切られている街だから、ドラッキーで危なげな街と、豊かな水に映る、中世の建築に目を奪われる幻想的な街とが、運河に沿ってはっきり分かれている。古い教会の真後ろがドラッグ街だったりする。そこでは、メイン通りにある喫茶店で、普通にマリファナみたいなドラッグ入りのお茶がいろいろメニューに載っている。当然、簡単にオーダーできる。もちろん、体に危険のない程度にブレンドしたものが出されるんだろうけどね。

 えっ、わたし? ううん、そんな…、とてもとても、ドラッグなんてやっぱ怖いもの。

 心は勿論、お腹もいっぱい。娘へのお土産も買ったし、レンブラント広場を通ってLeidseplein(ライツェ広場)、Museumplein(ミュージアム広場)へと歩いてみることにした。運河沿いにはトラム(路面電車)が走っていて、乗れば7ッ目ぐらいなんだけど、そう遠くもないみたいだし、エトランゼ気取りで歩きたい気分だった。

 歩いてよかった。ダムラック広場から「レンブラントの家」までの道はゴミが舞っていたけれど、「レンブラントの家」からLeidsepleinへ向かう道は絵画の中に入りこんだみたいだった。長い運河沿いには所々にplein(広場) があって、それぞれに寛ぐ人たちをみた。

写真(Rembrandt's stature) リンク削除 (Plein) リンク削除

 どの運河にも水鳥が泳ぎ、運河越しに、絵葉書のようなゴシック調の建物がみえる。空は青いが、雲は低い。オランダ絵画にみる独特の空だ。河岸の大きな木の根元では、コーラスをしたり楽器を奏でたりしている人たちをたくさんみかけた。かなり高齢の人から、若者はむろん、少年少女まで。コートを着なければ外出できないほど寒い季節なのに、彼らはいかにも楽しそうだった。年令的な隔たりなどまるで感じさせず、太陽の恩恵を受け得るわずかな時を満喫しているようにみえた。彼らの声をBGMに聞きながら、きょうは平日なのに…と思うのも忘れていた。

写真(Canal's scene) リンク削除 (Magerebrug Holland's sky) リンク削除  

 Museumplein …ここには、アムステルダム国立博物館、ゴッホ美術館、私立美術館、コンセルトへボー など軒並み。猫の美術館まである。オランダの芸術の集合したところ。みんな行って見たいけれど、そうもいかない。行きたい欲望を、建物を外側から眺めるだけで我慢して、ゴッホ美術館だけを見学することにした。

 受付で… ハズとわたしとの会話が聞こえたのか、受付のある若者が声をかけてきた。

「ニホンカラオイデニナッタノデスカ」

「まあ、日本語がお上手ね。どこで覚えたの」

「ハイ、ワタクシハココデニホンゴヲオボエマシタ。ハナシテイルノヲキイテオボエマシタ」

 きちんとした日本語だった。笑顔も最高。コートや手荷物は受付に預けなければいけないことや、館内の撮影は出来ないことなどを英語で説明し、

「デハ、マタアトデ」

とにっこり、預り証のチケットを差し出した。ここを訪れる日本人が多いということなのだろう。それにしても、聞こえてくる会話で、その国の言葉を覚えてしまうとは。彼の耳はなんと素晴らしいのだろう。彼の才能ともいえる能力に感激しているわたしに、ハズは、この国の就職難を感じるね。手に入れた職を失わないために、みな必死なんだ。などと、味気ないことを言う。どうして、素直に感激できないかなァ、との思いを閉じ込めて館内へ向かった。

 館内はベースに白を感じさせる装丁で、ゆったりした通路は、見学者への思いやりが感じられた。ところがである。行く先々の至る所で、絵画展示場所に絵はなく、張り紙がしてある。日本への貸出だった。そういえば、上野の西洋美術館でゴッホ美術展があるってきいたな。妙な気がした。でも、貸し出されているものは、教科書や美術書に代表的な作品として載っているものばかり。館内に展示されていたのは、デッサンや、彼の心の痛みの軌跡を訴えて来るもの。空っぽの壁で揺れている張り紙と、その下に淋しげに残されている題字から、そこにあるはずの絵を想像し、4階まで展示の続く、ゴッホの遺した作品を観た。黒澤明監督による「夢」の、ゴッホの絵をテーマにした映像を思い出し、ゴッホとゴーギャンとの交流を描いたハリウッドのシネマを思い出しながら…。

 Thank You. と荷物を受け取るチケットを差し出すと、

「ドウイタシマシテ。マタキテクダサイ」

と、また、さっきの若者が笑顔を向けてきた。ありがとう。と日本語でもういちど言うと、

「ワタクシハ、ニホンヘイッテミタイデス。ニホンハウツクシイクニダトキキマシタカラ」

という。日本は美しいからという彼の言葉に、胸を張って、そうだと言えない気もしたが、

「ええ、日本には、美しいところが、まだたくさん残っています。きっと来て下さいね」とだけ答えた。彼は、わたしたちが館の外に出るまで、ずーっと手を振ってくれた。

 ゴッホ美術館を出ると、小雨が降っていた。国立博物館前の公園で、大きな木の下のベンチに腰を下ろし、ちょっと雨宿り。見上げると、実をたわわに付けたマロニエが小刻みに揺れていた。

写真(orse Chestnut) リンク削除

ゴッホ美術館の名入りの細長い包みを抱えた人が数人、足早に目の前を通って行く。傘をさすほどでもないがトラムに乗ることにして、トラムストップに向う。歩き始めた途端、低い雲を裂いて陽が射してきた。博物館の横には大きな虹が出ている。

写真(Rainbow) リンク削除

持っていたデジカメでパチリ、パチリ。思いっきりおのぼりさんをしちゃった。だって、すごーく綺麗な虹だったんだもの。でも、こんな天候の急変なんて当たり前のことなのか、みんな、ごく普通の顔をしている。自転車の人も、歩いている人も…。

写真(Tram and bycycles) リンク削除

 トラムに乗ったまではよかったんだけど、どうやって切符を買うのか分からない。トラムストップにも券売機はなかったし、混んでいる車両には車掌さんもこない。そういえば、切符は、運転手さんか、旅行社で買うって、ガイドブックに書いてあったなと思いだした。3つ目の駅で降りる。運転手さんのところに行こうとしているうちに、トラムは出てしまった。無賃乗車しちゃったってわけ。しゃあないか。これってハプニングだもんね。

 Leidseplein…ここは、日本でいったら、銀座とか渋谷、池袋ってとこかな。高級品を扱うお店から小さな専門店まで、運河を背にした通りの両側にびっしり並んでいる。通りにはあちこちにBlick(ブロック)が積んである。…アムスでは、ほとんどの繁華街の通りにはブロックが敷き詰められてるから、これは補修用のもの。… 

写真(Brick) リンク削除

行き交う人もいろいろで、スカしたカップルもいれば、作業着の人たちも歩いている。この通りでわたしの気を惹いたのは、フルーツの専門店。そりゃァカラフルで、ハズが急かせなきゃ、店先に並んだフルーツを、みーんな買って食べちゃいたかった。

写真(Leidseplein-Fruites Shop) リンク削除

シティーレイルの時間が迫っていたから仕方ない。カメラに収めるだけで我慢。明日は絶対に食べるぞってお腹ん中で思いながらね。  

 この次は Bergen Village の話。

(Lie)

アムステルダムの異邦人( 戻る

[「文学横浜の会」]

ご感想・ご意見など、E-mailはこちらへ。
禁、無断転載。著作権はすべて作者のものです。
(C) Copyright 2000 文学横浜