「文学横浜の会」

 上村浬慧の旅行記「アムステルダムの異邦人」


2001年3月24日


D飾り窓 (Red Light District)そして 16才のDinner

 (前編)

  10月末のアムスは、朝7時になっても月が煌煌と照っている。 日本では朝陽が眩しく射して、出勤する人の靴音や学校へ行く子どもたちの元気な声が響き、一日の始まりを感じる頃だ。 緯度の違いなのだろう。辺りはまだ薄暗く、通りも森閑としている。

 運河沿いのホテルは111室もある十七世紀の古い建物。 迷路のようにめぐる段差の多い通路の所々に、縦長の大きなガラス窓から青白い月光が当って、 磨きぬかれた床が無気味に思えるほどの反射光を放っている。

 さまざまな時代に建てられた街の教会からは、くらがりの中に、違った鐘の音が15分ごとに時を告げて響き始める。 なんとも心が落ち着く音色だ。鐘の音をからだ中で感じようと運河に面した窓を開ける。 すると、早朝にひっそりと働く人の気配がした。 ホテルの、使用済みの汚れたタオルやシーツなどを回収して、新しいものを納める業者のようだ。 街中はまだ眠りの中にあるというのに、そんな中で、彼らは働いている。 運河に面したホテルでは日本のように広い道路に向いている裏口がない。 だから、こんな早朝に裏方の仕事をするということなのだろう。

写真(Rembrandt Hotel) リンク削除

 セーヌ河畔沿いやギリシャなどによくみられる、地上と地下にまたがるG階がこのホテルにもある。 そこが食堂。滞在中、毎朝ここでコンチネンタルスタイル (用意されたものの中から好きなものをセルフサーヴィスで選びとるバイキング形式)の朝食をとった。

 毎回違ったパンを選び、コーヒーを何杯かお代わりした。 ベーコンや生ハム、ボイルしたポテトやビーンズ、毎朝違う季節の果物、どれもみな美味しかったが、 なかでもスクランブルエッグが最高だった。油っぽくも水っぽくもなく、程よい塩加減。 これは欠かさず頂いた。果物は持ちかえって、散策の時コートのポケットに入れて出かけることもあった。

 朝食タイムの7時45分ころになってやっと空が白み始める。 肩ぐらいの位置から天井まで届く透明のガラス越しに、徐々に朝陽が射し込んでくる。 肌をさすような冷たい空気もそれにつれて暖かくなる。 ちょうど眼の高さにある運河沿いの道には、少しずつ行き交う人の足だけがみえてくる。 家にいたら味わえないのんびりした朝のひととき。アムスに滞在している間、 日中どんなに天候が荒れてもこの時間だけは必ず朝陽が射した。 毎朝、柔らかな陽射しとチャペルの鐘の洗礼を受けた後、わたしのアムスでの一日は始まった。

 この日もハズを送りだし、DAMRAK(ダムラック)広場の旅行社で「Candle light and Wine Cruise」を予約。 これはハズにおねだりして参加することにしたNight Cruise。チケットの予約をすませ、 のんびりと広場のあたりを歩いてみることにした。

 広場はその名の通り、アムステルダム市が建設された川の中のダム、という意味らしい。 アムスの心臓部とでもいおうか、王宮や慰霊塔をはじめホールや娯楽施設などが集中している。 ほとんどの公的な行事もここで開かれるそうだ。アムス中央駅からは歩いて5分ほど。 大きな観覧車やジェットコースター、射的やスロットマシーンなどの遊具が目につく。 早朝の時間帯を除けば、広場は親子連れや若者たちでもみくちゃにされるほど賑わっている。 日本と違って不快なスピーカー音のない街も、ここだけは音楽がガンガン鳴っている。 群衆の声と混じり合ってうるさい位だ。

写真(DAM・Royal Place) リンク削除

 広場に向かう通りのところどころに妙な像が立っていた。 小さい子が近づくと、カッと、頭や手を動かすパントマイム像。泣き出す子もいる。 寒空に薄いコスチューム一枚の生きた人間の像は、台の上でじーっと同じポーズで立っている。 彼らの芸の訓練なのだろう。Museum Pleinの界隈といい、この辺りといい、 アムスはパリに劣らない芸術の都なのだと思わされる。

写真(mimed statue) リンク削除

 広場に面した通りは土産物やお菓子を売る店がびっしりと並んでいた。民芸品や絵葉書の値段を比べながら歩く。 通りの外れに行くほど安くなるようだ。娘が黒いマフラーを買ってきて…と言ったのを思い出し、それも値踏みする。 同じものが中央部と外れとでは日本円1000円に対して300円ほども違う。勿論、わたしは外れに近いお店で買った。

 お菓子やさんはとても楽しい。ちょっと昔、そう、 わたしが子どもの頃まで町のあちこちにあった1銭屋を思い出させるような店内。 ドロッペと呼ばれる、リコリス(甘草)入りの、直径2cm位、コインの形をしたドロップが、 床から天井までつづく50cm四方のガラス張りのショウケースに入って店を飾っている。 ケース毎に分けて入れられている違った色のドロッペは訪れる客の目を奪う。 ドロッペを売っているほとんどの店は若い娘たちの行列。人気のほどが窺われる。 もともとドロッペは黒い色らしいのだが、若者のニーズに合わせて着色したものが造られるようになったらしい。 現在ではそりゃあもうカラフル。

 ためしに買ったのだが、漢方薬のような味のするドロッペは、Foreign friends には好評だったが、 Japanese friends には不評だった。

 お土産やさんの並んだ通りを一本外すと、今度は飲食店がズラーっと並んだ通りになる。 

元来window shopping があまり好きではないわたし、少し草臥れてきたしランチを取ることにした。 間口は狭いが落ち着いた感じのお店が目についたのでその店へ入る。 オランダはbeans(豆)とpotatoes(じゃがいも)の産地。Sausage とのset menu を注文した。 ほどなくred wine を持ったwaitressが来た。白いブラウスに黒いベストとタイトスカート。 清楚な感じのする彼女は、brown hair を pony tail にしていた。

「Wait a moment please.  I'll give you the good bean's foods soon」とにっこり。 彼女の笑顔が気に入ったわたしは、ワインを味わいながら彼女の動きを追う。客のひとりひとりに対する応対が温かい。 さりげない会話…客が笑う。回りが和やかになる。ハズはきっとまた言うんだろうな。 「手に入れた仕事を失わないために懸命なだけさ。その意味では、日本はまだ豊かだと言えるのかもしれないね。 人にこびる必要がない分、日本人はサーヴィス精神が少ないんじゃないかな」ってね。  

 ランチを取っている途中で、なにやら外が騒がしくなった。 なにかなと思っていると、通りを歩いていた人たちが次々と店内に入ってくる。 雹(ひょう)が降ってきたのだ。直径2〜3cmほどの氷がころころ撥ねて通りに転がっているのがみえた。 店内は入ってきた人たちで隙間もないくらいだ。なのに店の人は文句ひとつ言わない。 一緒に外の様子をみて顔を見合わせているだけ。入ってきた人たちの中のひとりが、 まだ雹の降っている通りに出て行こうとしたら、店の人が止めるのね。Don't go out. Wait! って。 日本だったらどうだろうって、また思う。きっと、≪食事をしているお客さまにご迷惑になります≫という建前論で、 店に入ってきた人たちを体よく追い払うんだろうな。

 この頃の日本人、なんかおかしいよね。自己中心だけが蔓延(はびこ)って、 人としての温かさをどんどんなくしてる気がする。そう感じてるのはわたしだけなのかな。

 日本で対人関係に感じる息苦しさがこのアムスにはない。ここへ来てからもう四日、下町でも、高級店街でも、 そして田舎でも、なにかしら心和む情景に出会えた。

 あとでこの雹の話をしたら、ハズはこう説明してくれた。

「それは旅行者が目にする、極、表面的なかたよった現状なんだよ。 国を富ませる産業がないこの国では生活の糧を得ることはとても大変なんだ。 仮に職を得たとしてもいつ解雇されるか分からない。 だから彼らは、どんなにつまらない仕事でも解雇されないために一生懸命に働く。経営者だとて同じ。 今回あなたの出会ったハプニングのような場合でも、通りから入ってくる人を拒んだら、 その店は評判をおとして成り立っていかなくなる。だから人にこびるような態度を取るのさ」…と。 こびるだなんて…違う、なんか違う。

 確かに、街にはすりや置き引き、浮浪者風のひとたちもいる。 しかし、わたしには、互いを思いやりながら気持よく過ごしていこうという意識を持っている人たちが大半のように思えた。 彼らが人に対して温かいのは、国の貧しさとは関係ない気がする。アムスの人たちは、 国の経済成長に伴って家庭の在り方や教育内容をなおざりにしてきた日本人とは少し違うんじゃないかな。 ここアムスの人は、ハズがいう通り国が貧しいにしても、人としての大切なものを忘れていないのだと思えた。

 15分ほどで雹もやみ、店に逃げ込んできた人たちは口々にお礼を言って通りへ戻っていった。 ハプニングの中でランチをすませたわたしも店を出た。通りには明るい陽射しが戻って、きらきらしている。 ハズが戻ってくるまでにはまだたっぷり時間があるし、Cruiseの出る中央広場へ行ってみようとゆっくり歩き始めた。 ダムラックから中央広場まではのんびり歩いても5分程度だった。 アムス中央駅の真ん前の広い道路に面して船着場がある。そこに立って辺りを見回すと、 なんと道路を挟んだ船着場の向かいにSEX MUSEUM の看板。東京駅のモデルになったアムス中央駅からは目と鼻の先、 歩いて3分ほどもない。

写真(Amsterdam Central Station) リンク削除

 日本では見ることのできない歌麿の枕絵・春画があると話にきいたことはあるが、 そのSEX MUSEUMがこんなメインストリートに堂々とあるなんて思いもしなかった。 みていると老若男女が結構入って行く。ちょっと覗いてみたかったが、 Japaneseの羞恥心が頭をもたげてひとりで入る勇気はない。

 気を取りなおしてお昼のcanal cruiseに乗ることにした。15分毎に出ている一時間のショートプログラム。

写真(canal cruise) リンク削除

 ドッグや倉庫、旧西インド会社の本社ビルがまだ残っているThe Old Harbour( 港湾)、北教会、西教会、 Anne Frankの家、16,17世紀の建物が並ぶ運河(ここに傾斜した建物もあった)。 そして、運河沿いにテラス・カフェのあるライツェ広場のfrontをみながら、 マヘレのはね橋をくぐってレンブラントの家のあるワーテルロー広場へ。 アムスに来てから訪ねた要所要所を運河の上から満喫した。 建物と自然の調和した美しさは、遅い秋、金色と緑に彩られて光り、例えようのないくつろいだ気分にさせてくれた。

写真(bridge tunnel) リンク削除 写真(Magere brug) リンク削除

(Lie)

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