「文学横浜の会」

 上村浬慧の旅行記「アムステルダムの異邦人」


2001年4月28日


EWindmill Village ( 風車村 ) … Bye Ams !

 アムス最後の朝なのに降ったりやんだりの雨…。 朝食の時間にちょっと陽が射しただけであとはみぞれ混じりの本格的な雨模様…。 中庭の小便小僧も雨に濡れて寒そうで、泣いているみたい。

 夕方までフランクフルトに着かなければならないし、これでは遠出は無理。 荷物をまとめながら、重苦しい雲に覆われた空を恨めしく見上げる。

 仕事がすんでリラックス気分なのか、のんびりとベッドに寝転んでいたハズが、 9時を回ったころになってパソコンに向かい出した。 だが、このホテルは古い建物のせいかインターネットが繋がらない。 なにかに憑かれたようにフロントにTEL。

地下に専用のサーヴィスルームがあるというのを聞き出しパソコンを抱えて出ていった。 戻ってくる気配はまるでない。 荷物の整理もすんで、やることもなくなったわたしはベッドにひっくり返って 現地のガイドパンフレットを眺める。

 ホテルのフロントや旅行案内所、駅の改札口などに置いてあるそれらのパンフレットは 主にツァーのガイドなのだが、薄っぺらで無料。 観光地の簡単な地図が載っている。 ガイドもたいてい4カ国語…英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語…で書かれている。 日本語はないが、中学程度の英語力で充分に理解できる。

重い日本語のガイドブックを買いこんで持っていくこともない気さえする。 過去何度かの海外旅行で、現地のこういったパンフレットがなにかと散策の視野を広げてくれた。 安心のために、一冊ぐらいは日本語で書かれたガイドブックを持って行った方がいいかもしれないが、 現地で手に入るこういったものを利用するのは、ほんとにお薦め!

 ホラ! やっぱりあるじゃない! 中央駅から電車で15分のところにwindmill village。

 Canalはみた。その美しさを肌で感じた。 水と人とのかかわりに、ひとことでは言えないほどの感銘を受けた。 でも、オランダの象徴ともいえるwindmill(風車)は遠くから眺めただけで、まだ近くで見てはいない。 見たがりやの蟲が頭をもたげ、知りたがりやの蟲が疼く。 載っている風車の絵がぐいぐいと誘惑してくるようだ。

 行こう。荷物はフロントに預かってもらえばいい。彼が行かないと言ったらひとりでも行こう。 そう決心するとなんだかうきうきしてきた。 折りたたみ傘、パスポート、財布、クレジットカードを確認。 出かける支度に夢中になっているところへハズが戻ってきた。 やはりネットは繋がらなかったとくさっている。 それには耳も貸さず、一気にwindmill villageを訪ねる計画を話す。 ひとりでも行くと力んで話す。インターネットが繋がらなかった彼は疲れきった顔をしている。

「フランクフルトで余裕があった方がいい。ソーセージも買いたいし…」

「ソーセージなんて、日本でも買えるわよ」

どうしても行きたいかと言うのには答えず、黙ってコートを着る。

行き方は分かっているのかと重ねて訊ねるのに、 パンフレットのwindmill villageのページを開いて渡す。 じっと見ていたハズがわたしの方に向き直った。時間に余裕がないのは充分わかっている。 だからこそ、4、5時間しかないアムスでの時を大事にしたかった。 パンフレットを奪い取るようにしてバックにしまう。

「わたし、行ってみる。あなたはここで休んでて。時間までには必ず戻るから…」 ハズはゆっくりした動きでコートを羽織った。

 アムス中央駅からアルクマール行の列車に乗って15分、 Koog Zaandijk(コーフザーンディグ)駅で下車。ここでも検札のない駅からの地下道を出る。 Zaanse Schansという表示に従ってまっすぐ歩く。 まだらの秋色に染まったマロニエの大きな葉が、霧のように細かく流れる雨の中で揺れていた。

シーズンオフのせいか、それともこんな天気のせいなのか誰にも会わない。 通りに面した店も、開けてはいるのに森閑として人の気配はしない。 まるで絵本の村に入りこんだ錯覚さえしてくる。 傘なんて役に立たない雨で、コートを着ていてもからだが冷たくなってくる。 それでも、もうすぐwindmill…風車をみることができると、 かじかむ指を擦りながらひとりでに足が速くなる。 ハズは震えながら少し後ろをとぼとぼとついて来るだけ。

 突き当りを左折…と、ここまではガイドブック通り。 ところが、どこでどう間違ったのか、歩けどあるけど徒歩10分で着くはずの windmill villageには着かない。通りに面して庭園が広がってみえる閑静な家並みが続くだけ。 なんとなく水辺が近い感じがするのに、 パンフレットに載っていた目印の大きな風車はどこにも見当たらない。人影さえない。

 25分ほども歩いたろうか、やっと村の地図が掲示してあるバス停を見つけた。 ここはどの辺りだろうと地図をみつめてため息。もう戻ろうとハズが言う。 ううんと首を振る。ここまで来て諦めるなんて、そんなことは出来ないじゃない。 パンフレットと掲示板の地図を見比べていると、通りの角から、 年のころは70半ばにみえる白髪混じりの老婦人が歩いてきた。 バス停に立っているわたしたちに微笑む。

 ワア助かったぁ。 彼女の微笑みに目いっぱいの笑顔を返しながら、わたしは彼女に駆け寄って行った。

How minutes to here?    地図のwindmill villageを指差して訊ねる。通じなくたっていい。 身振り手振りでなんとかなる気がしていた。 ここまで来て、なにもしないで諦めるなんて、そんなのは絶対にいや…!  すると、なんと 流暢な英語が返ってきた。

May be about 20 minutes. But you'll never go back here.

彼女は地図上のバイパスを指差す。 そうか、バイパスの三叉路で右へ行かなきゃならないのに真っ直ぐに来てしまったのだと気がついた。 ということは、今いる家並みの向こう側にwindmill villageがあるということ。 両肩を上げてくすっと笑ったら、彼女も首をすくめて笑った。

Have a nice time!

背の低い彼女がわたしを見上げて、わたしの両腕をぽんぽんと叩いた。

 それにしても、かなりのお年の方なのに英語が流暢。 ここアムスへ来てから、イタリア人と間違えられた時以外は言葉で困ったことはない。 大抵の人が英語を流暢に話せるのだ。 これはいったいどういうことなんだろう。 オランダ語はドイツ語と英語をミックスしたような言葉で純粋な英語とは微妙に違うのに、 若者からお年寄りまで英語が話せる。

そういえばホテルでTVをつけた時、子ども番組に英語が多かったなと思い出した。 ということは、かなり小さいころから、押し付けではなしに、 楽しみながらバイリンガルを身につけていくということか。 英語が話せないからどうというわけではないだろうが、英語が世界共通語である以上、 自国語以外に英語を話せるにこしたことはない。 楽々英語が話せるこの国の人たちが本当にうらやましいと思った。

 日本のバイリンガル教育は、遅れているか、間違っているかなのだろう。 てにおはさえ満足に使えない若者が増えていると嘆く大学の指導者のため息を何度も聞いている。 日本語の美しさが失われつつある日本で、バイリンガル教育が果たして可能なのかとも思うが、 自国語を大切にしつつ、遊びの中に外国語をふんだんに取り入れていくこと、 それがバイリンガル獲得への近道である気がした。 自国語の美しさを理解できてこそ、外国語を理解できるのではないだろうかなどと 真面目くさって考えてしまった。

 ともあれ、素敵なおばあちゃまに心からお礼をして、 わたしたちは、windmill villageにむかって、歩いてきた道をもどった。

 おばあちゃまの教えてくれた通りに歩いて行くと、程なく大きな河に辿りついた。 ちょうど跳ね橋が上がっていて、信号が紅く光っていた。 信号の手前、斜めになった橋の上でバイクに乗った人をみた。 日本ではみたこともない光景で、なんだかぞくっとした。

ここはオランダ、今わたしは水の都オランダにいるんだって実感! 上がった跳ね橋の間を、大きな貨物船が通って行った。 見とれているうちに跳ね橋は下り、地上の道路と同じになった橋の上を、 エンジン音も高くバイクは走り去っていった。

写真(bike on the bridge) リンク削除 (bridge) リンク削除  

 橋を渡ると、そこは別世界、まるでファランドールの絵本の村。 小雨模様の霧の中から三角屋根の木造りの小さな家がポツンポツンと浮かび上がって見える。 広がる牧草地には牛や羊が群れ。さらさらと微かな音で村を縫うように流れる小川。 それらを大きく囲んで本流の河がゆったりと流れている。 河岸に、数基の風車が間隔をおいて並んでいた。絵葉書やガイドブックなんか目じゃない。

 そぼ降る雨の中、みはるかす平野に緑溢れ、風車と三角屋根の木造りの家、 そしてゆったりと動く牛や羊たち。 うっすらたちこめる霧は風の流れを描いているような錯覚を起こさせてくる。 息を呑んで、しばしボーっとたたずんでしまった。

写真(scene of village) リンク削除 (scene of village) リンク削除

 この村は、古くからのオランダ田園集落保存のため、 17〜18世紀頃のザーンランド地方の三角屋根木造伝統家屋を、 ここZaanse Schansに移設しwindmill villageと命名したのだという。 時計博物館、ベーカリー博物館、チーズ工場などが広い敷地に点在している。 近代建築の住宅地帯と一本の河を隔てて、 霧の中から現れたこのファンタスティックな田園風景の中で、今も実際に酪農生活が営まれている。

写真(animals) リンク削除

 13世紀から17世紀にかけてのNetherlands、10,000基にも及んでいた風車も、 現在では、約950基が残っているだけだという。この村に6基ある風車のうち4基は、 現在も、豆やチーズ、小魚や粉などの加工のために稼動しているのだそうだ。 日本の近世に多くみられた水車とは違って、近くで見るとほんとうに大きい。 ドン・キホーテが怪物と思いこんだというのもうなずける。

写真(windmill) リンク削除

 放牧されている牛や羊には耳や尻に赤、青、黄色、あるいは紫といったペンキがつけられている。 これは、誰が飼育しているかを区別するため。 違った色をつけられた彼らは、入り混じって、のんびりと草を食んでいた。 小川で水を飲んでいた牛が、顔をあげ、首を傾げてじっと見つめてきた。 警戒するようすもなく、その顔のなんとやさしかったこと…。 今も思い出すと優しい気持になってくる。

写真(scene of village) リンク削除

 ここでの時間も少ないわたしたちは、博物館などを見学することは出来なかったが、 喧騒のアムス中心部とはまるで違う田園風景から、くつろぎのエキスをたっぷり受けたあと、 オランダ最後のひとときを、この村にあるたったひとつのレストランで過ごすことにした。  

 村の入口に近い小川沿いのレストラン【ドウ・ホーブ・オップ・ズワルテ・ワルヴィス】村の 景観に溶け込む素朴な入り口を入ると、中は以外に広々としていた。 外観に反して床には厚手の絨毯が敷かれ、広いスペースにゆったりと食卓が配置されている。 ビジネスマンらしい2,3人のグループは難しい顔をしてしきりに何か話しながら食事している。 白髪の男と、中年の男、そして若い男女の4人連れは楽しそうに何度も乾杯を繰り返していた。 きっと何かのお祝いをしているのだろう。

端っこの席には、秘書風の女性と上役らしい男性、 そして、二人とはちょっと違った感じの男性が静かに食事をしている。 みんなきちんとした服装。高級レストランの風情だ。 きっと、大切な商談や、何かの記念日に利用するレストランなのだろう。高価そう…と、ハズをみる。

「オランダ最後の食事…か。ゆったりしたところでよかったね。 あなたはほんとに強引なんだから…。ほんとは嫌だったんだけど来てよかったよ。 時間の許す限り、風車を眺めながら食べようか」

まるでわたしの心配を何もかも承知のようにハズが言った。 大きな窓からは村の景観が一望できる。 霧の流れる合間に風車や動物たち、村の景観が現れては消える。

 アムスに来てからというもの、注文する食事の量の多さに驚きっぱなしだった。 それでも、昼食なのだから少しは量も少ないだろうとフルコースをオーダー。 しかし、やはり多かった。出されてくる料理は、 ロブスター・ムール貝・ビーフ・マトン・ビーンズ・ポテト…それらをハーブと炊き合わせたり、 ピクルスにしたり、どれも美味しいものばかりで、残すのはほんとうに惜しかったが、 フルコースを最後まで美味しく頂きたかったから、 途中のmenuは半分だけでナイフとフォークを置いた。 デザートは濃い目のコーヒーと、アイスクリームの上にマロンとチョコチップが乗ったもの。 これも甘さ控えめで絶品。みんなとても美味しくて贅沢な食事だった。

 Have a nice day! See you again!

の言葉に送られてわたしたちはwindmill villageをあとにした。 自然の中でのワインと美食で、冷え切った体もすっかり温まり、わたしは満足していた。 ほんとうに満足していた。

 日の沈みかけたスキポール空港を飛び立った飛行機の窓からアムスの街を見つめ、 ここで過ごした数日のことを思う。さよならアムス! いつかまた… 

写真(bye Ams!@) リンク削除 (bye Ams!A) リンク削除 (bye Ams!B) リンク削除

 アムスで昼過ぎまで過ごしたせいでフランクフルトの乗り換え時間は1時間しかなかった。 空港内の免税店でワインとソーセージだけを買い、日本へ向けての出発ロビーへ。

帰りの空路は天候の異常もなく、パソコンに収めた画像をみながら、 満足感と気怠さの中で5日間のことを思い返しているうちに、無事、東京時間午後2時、成田に着いた。

 また現実の生活が始まる。

<完>

(Lie)

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