「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2006年5月20日[掲載]


〔 風の便り 〕ー残年記ー

<101>

 5月の大型連休も終わって、横浜もいくらか静かになった。連休中は遠い故郷へ帰らない人の波でごった返した。 開港記念のパレードなんかがあったから余計である。

 連休というのも、サービス業には有り難迷惑なもので、家庭もちの従業員は休みたがるし、 なるたけ休ませてやろうと思うと、人手が足りなくなる。そんなことで、連休は長い間休んだことがなかった。

 ところが今や隠居の身。メンバーになっているホテルチェーンで、連休中は抽選申し込みだった。 それが4月29日(土)軽井沢が当選の連絡をもらった。ただではないし、料金も普通通り払うのだが、 行かないと損をするような気がして出かけることにした。

 新緑の軽井沢も悪くないなと思ったが、根が貧乏性。途中下車して行けるところを考えた。 時刻表の地図を見ていて、気が付いたのが、上州富岡にある『富岡製糸場』だ。 以前、横浜郷土研究会で見学会の候補に上がったこともある。高崎で下車して、上信電鉄に乗り換えて行けばなんの造作もない。 ものの40分ぐらい。駅から歩いて10分。インターネットで調べるとそう出ていた。

 上州富岡の駅で降りると、簡素な駅前には、『富岡製糸場を世界遺産に』という幟がはためいていた。
 『富岡製糸場』といっても知らない方がいると思うので、もらった「富岡製糸場のしおり」から引用させて頂くと、
「安政6年(1859)横浜開港により、生糸は欧米各国へ輸出されるようになりました。 しかし活況を呈するうちに、製品の粗雑さが目立つようになった。そこで政府は輸出振興のため、 尾高惇忠を創立責任者に、フランス人ポール・ブリューナを首長に迎えて、この富岡の地に官営の製糸場を作った。 そし明治5年(1872)10月4日に操業が開始された」

 富岡は養蚕の盛んな地域で、優れた原料繭が出来たことと、製糸に必要な良質な水の確保と燃料の石炭が近くで取れたこと。 また理想的な広さの土地が得られたことに加えて、この新しい計画に町民が誘致に賛成したからと設立の経過を書いている。

 木骨レンガ造りの特色ある建造物は、横浜のレンガ倉庫に似ている。 横浜と縁が深いのは、官営から民営に移って、三井が10年、 その後横浜の原三渓が明治35年(1902)から昭和14年(1939)まで経営に参画していたことである。
 最終的には片倉工業が後を引き継ぎ、生糸の生産をしていたが、昭和62年(1987)3月操業を停止し、 外部の見学を公開している。

 フランス人ブリューナが窓ガラスまで輸入して、それがそのままに残っていた。 現在のようなまっ平でない、でこぼこのある板ガラス。なんとなく郷愁を感じた。残念ながら内部は公開されていない。 当時としては世界最新鋭の機械もビニールの覆いがかぶさったままであった。レンガ積みもフランス式なのだそうだ。

 駅へ戻って高崎へ。連絡が悪く、軽井沢についのが四時を過ぎていた。 連休の始まりのせいか人の姿もなく、まだ風が冷たい。落葉松林も芽吹かず冬景色だった。

◆ 4月の19日にヨドバシカメラに立ち寄って、ワープロリボンを買った。 前回買った時は、2919円だったのが、今回は4640円。間違いではないかと思った。 品物が変わっている訳ではない。同じパッケージである。

 横浜駅前の三越跡地に入ったせいで家賃も高いせいかと、ひがんでみた。それにしても酷すぎるので質問した。そしたら、
「メーカーの方で、ワープロリボンの需要が少なくなり値上げをして来た。 本当はやめたいらしいが、やめられては困るので仕方なく言い分を聞いた」

 付け加えて、原油の高騰をあげていた。値上げが去年の10月からという。原油の高騰のせいにするのは早すぎる。

◆ アメリカのメジャーリーグを見ていると、向こうの監督はうまいことを言うなと感心する。マリナーズの監督が言ったのは、
「イチローのヒットと税金はなくならない」
 また、相手のホワイトソックスの監督はこうおっしゃった。
「人生には確かなことがある。人はみんな死ぬということと、イチローがヒットを打ち続けるということさ」

 元大リーガーで現在野球の解説者をやっている長谷川滋利さんが話していたが、アメリカのマスコミは、 イチローに接する態度は、我々とは全然違う。一段と尊敬の念をもっている。それだけイチローは偉大な選手なんだ。 嬉しいことではないか。

◆ 身体の具合でタクシーに乗る機会が増えた。我が家は丘の途中にあるから、散歩で下るのはいいが、 買い物でもして坂を上がるのはきつくなった。そこで近いがタクシーを拾うことにした。 いつの頃からか、相模鉄道の星川駅前にタクシーが待機しているようになった。有難いので散歩のルートを星川駅に変えた。

 駅前といっても客は少ないとみえ、運ちゃんは外へ出て雑談をしていた。
「近くて悪いんだが……」
と言うと、「どうぞどうぞ」

 愛想が良かった。それからは利用することが多くなった。随分タクシーの運ちゃんの資質もあがったな。 サービス業なんだからそうでなけりゃ。
「いつも近くて気が引けているんだけど、長く待っていると思うとね」
「そんなことはありませんよ。回数多く走ればいいんですから、乗って下さい気にしないで……」
 ところがいつもと違うタクシー会社の車が駅前に停っていた。
「近いんだが、反対の峰岡上」

 そう言ったが、返事はなかった。道順を言っても、うんともすうでもない。
「その先の丁字路のところで停めて下さい」
「どうせ660円なんだから、くねくね走ることはねぇ。真っ直ぐ走ったって同じじゃねぇか」
「いつもHタクシーは、この道を来てくれるよ」
「それならHタクシーに乗るんだな」

 腹が立った。昔の雲助タクシーと言われた時代のままの姿。もう乗るもんか、 余り聞いたことのない名前のタクシー会社の看板を睨んだ。

 一台一台の車が会社を背負っているのを忘れている。  信頼を築き上げるのには時間がかかるが、壊すのは一瞬である。

◆ 横浜市の発表によると、分別収集によってゴミの量が85パーセントになったそうである。 目標の30パーセント減に達するだろうと言っている。

 分別を始めてみると、家庭生活の中でプラスチックが占めている役割がいかに多いか改めて驚かされている。
 統計にこの量が入っているのだろうか。過去にデータはない筈。

◆ 5月13日(土)鎌倉の光明寺に行った。13日、14日の2日間、 「鎌倉アカデミア創立六十周年記念市民と語る」という催しが、 鎌倉市立中央図書館を中心に市民団体が参加して立ち上げてくれた。有難いことである。

 例によってイサ坊(樋口輝剛)が途中だからと車でよってくれる。タケさん(宮武昭夫)は体調すぐれず不参加とのこと。 鎌倉在住のユーさん(渡辺優)に、鎌倉に行くんだから会いたいと電話をしたら、 イッちゃん(若林一郎)の紙芝居を見に光明寺に行くと言う。
 イッちゃんとは、中等演劇連盟時代からの仲間。こちらも60年近くの付き合いになる。 私は鎌倉アカデミアでイッちゃんと同級生となって、中等演劇連盟に入れてもらった。

 ユーさんはアカデミアとは関係ないが、シンパみたいなものだ。個人的にも50年来の友人で、 家族ぐるみの付き合いが続いている。
 小雨模様の寒空だった。市民のボランティアの人たちが、一生懸命手助けして下さっているのには感謝の極み。 受付で記名し、展示会場を見ていると、ばったり青江舜二郎先生の奥さんに声をかけられた。 拡大された写真の中に、懐かしい故人のヒデさん(加藤秀秋)やカンちゃん(中野寛次)の姿があった。 廣澤栄さん、増見利清さん、南川直さんと世話になった演劇科の先輩。いずれも写真の中でしか会えなくなった。

 廃校の危機に、資金集めに奔走していた頃の青江先生の日記があった。先生との様々な日々が思い浮かぶ。 野尻湖の山荘で、生田のご自宅で遊んだのが昨日のことのように瞼をよぎる。 感慨にふけっているところに、図書館の平田さんが、法要が始まっているからと本堂へ促される。 そこへユーさんがご夫人のエイコさん(角野栄子)同道で見える。

 あとで聞いて驚いたが、ユーさんがガリ版を切った台本が展示されていたとか。誰に頼まれたか分からない。 ユーさんはデザイナーだったから、強引におっつけられたのだろう。
 法要が終わると、委員長の加藤茂雄さんの挨拶。飾りっ気のない人柄の謝辞だった。

続いて、イッちゃんのスライド紙芝居。これは早稲田大学で実証ずみのものだが、 会場の人の中には、紙芝居のイメージが違っていたのか、びっくりした顔、顔。
 初演の時の演出を踏襲したと、カンちゃん、エイちゃん(斎藤英司)の紹介。 流暢さは相変わらずで見事なものだ。もしアカデミアが存続していたら、 イッちゃんは演劇科のいい教授になっていたに違いない。

 5月には珍しい寒さに身体がふるえる。残念だったが途中で失礼した。

◆透析あれこれ◆

 私の通っているのが、月、水、金の3日だから、土、日の2日は透析は休みのことは前にも書いた。 2日休んでいると、食事のコントロールがおろそかになって、どうしても体重が増えてしまう。 一日の休みだと、増加の限度が3パーセント。二日だと5パーセントが許容範囲なのだそうだ。 私のドライウェイトが70.5キロだから、ざっと数えても3.5 キロは増えても許されるということだ。

 私はそんなに体重が増えたことはない。それでも旅なんかした時には、2キロぐらい増えてしまう。 隣のベッドの患者は、先生に叱られている。
「こんなに増えてどうするんですか。すこしは節制して下さい」
 健康な人の体重が増えるのは、太ったということになるが、腎臓病患者の体重が増加するのは、 水分の排泄が出来なくて、むくんでいることだ。

 月曜日は除水を多くして、血圧が下がり倒れる人がいる。ロッカールームで昏倒した患者がいた。 目の前だったから驚いた。話に聞いてはいたが、何時、自分にそれが来るかも知れないと不安になる。 このところ透析をすると血流が悪くなるのか、手の甲が痛くなる。看護師さんが、
「針先に痛みを感じませんか?」
 と聞きにくるが、針先が神経に触っている訳ではない。 透析が終わると痛みはなくなるので、血流がどこかで詰まるのかも知れない。

06/5.18

 城井友治


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