「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2006年9月30日[掲載]


〔 風の便り 〕ー残年記ー

<104>

 秋晴れのさわやかさもあまりないまま9月も終った。

 ずっと気になっていたことを漸く果たした。 それは遠藤周作さんの処女出版『フランスの大学生』を長崎の外海にある『遠藤周作文学館』に郵送したことだ。

 文学館が長崎の外海に出来たと聞いた時、行って届けようと思っていた。 インターネットで場所を調べ、長崎空港でレンタカーを借りて、なんてスケジュールを立てたのに、 1年たち、2年たつうちに透析が始まった。

 遠藤周作さんの没後、出版された随筆集に、『フランスの大学生』の本が手元に一冊しかないので、お譲り下さい。 とあった。それはだいぶ前に『文芸春秋』の消息欄に記載されたものらしい。

 あの本は早川書房に新入社してきた宮田昇さん(のちの翻訳出版物エージェント会社社長)が持ち込んだもので、 『三田文学』に連載されていたものだ。 戦後間もなく、海外のニュースに飢えていた時期で、高田博厚さんの『巴里通信』などが広く読まれていたから、 新人の著作を取り上げたのだった。

 宮田さんが入社間もなかったので、本造りが私に回ってきた。 その頃の早川は貧乏経営の最中だったので、造本に金は掛けられないよと念を押された。 そんなことは百も承知だし、内容からしてフランス表紙にした。真ん中の窓に、ヨーロッパ風の絵を入れることにして、 その絵を友人の渡辺優さんに頼んだ。題字は会社の西沢揚太郎さん選んでもらった。瀟洒な本の出来上がりに満足していた。

 ある日、遠藤周作さんから電話があった。
「あのう宮田君からなにも言ってこないけど、僕の本どうなっていますか?」
「ああ、今丁度校正が出たところで、拝見しているところです。明日にでも、宮田君がそちらに届けると思います」
「そうですか、で、読まれました?」
「はい、大変読みやすく、面白いと思います」
「そうですか、そうですか、有難う」

 電話の向こうで喜んでいる様子が伝わってきた。私が小説を書くようになって心掛けた読みやすくは、 この時の遠藤周作さん原稿を目にしてからだ。

『遠藤周作文学館』との縁はもう一つある。それは設備設計を、知人の知久昭夫さんが手掛けているという。 縁の深い施設なのに行けなくなって残念である。

◆ 政権交代を標榜しながら、なぜ民主党は対立候補をたてないまま、党首をきめたのだろうか。 自民党がもし安部さんが絶対優勢だからと対立候補なしに党首を決めたら、民主党はどう騒ぐのだろう。 民主党はなぜ政策論争をしなかったのか。寄り合い所帯だから、ばらばらの印象を与えたくない配慮なのか。

 政権交代には人材が乏しいことを露呈したようなものだ。

◆ 相変わらずの殺伐な報道に嫌気がさす。まったくどうなっているのだろう。親が子を殺すかと思えば、子が親を殺す。 むしゃくしゃしたからと放火する。そんなことで巻き添えをくって死ぬのはやりきれない。 なんでこんな世の中になったのか。嘆くばかりでどうしたらいいのか分からない。

 それと事件のあるたびに、テレビ局のアナウンスサーが、現場からの中継ですと事件の起きた警察の前とか、 立ち入り禁止のラインの前できんきん声で言う。あれは不必要と当事者は気が付かないのだろうか。

「こちらは××警察署の前です。後ろの建物の3階で犯人は取り調べを受けております」
 三階に部屋は一つしかない訳ではない。言っている方も三階のどこか分からないまま、アナウンスしている。 人手があまっているのかなぁ。

◆ 酔っ払い運転で事故が多発している。理由はどうであれ、人を殺してしまえば、殺人罪だ。 しかし交通事故の刑法は微罪でしかない。ようやく刑法の改正に手がつけられるらしいが、それでも最高刑でも20年という。 まだ施行された訳でないので、なんとも言えないが、一瞬のうちに子供を失った親の気持ちを考えると、 やりきれない思いがする。轢き逃げされた人の話が新聞に出ていたが、以前事故を起こした犯人は4年の刑で出所したそうだ。 殺された人は4年で生きて返ってはくれない。

 これだけ騒いでいる時に、朝日新聞の地方記者が酒気帯びで警察に逮捕されたそうだ。 陣頭にたって社会問題と糾明する立場の人間がこの始末では困る。 公務員の轢き逃げ事件の記事を書いていたというのだからお粗末。 他紙で取り上げられたからでもなかろうが、免職の記事を載せていたが、あまり大きくは取り上げてなかった。

 飲んだら乗るなの合い言葉は、だいぶ前に作られたような記憶がある。いつの間にか死文化してしまったらしい。 酒飲みは必ずといっていいほど、これくらいの酒では酔っ払うはずはないと過信している。 轢き逃げは殺人罪と覚悟して、厳罰に処されるものだとそれそれが自覚するしかない。酒を飲んだら運転するな。

◆23階からの眺め◆

 透析をやっている方の手が4時間もじっとしているせいか、終わり近くになると痛みが走る。 何回か前にこのことは書いたが、指だけでも動かすとそれが緩和されることが分かった。 そこで起き抜けの血行をよくする朝のラジオ体操をやりだしたら、透析中も手の痛みは消えた。

 身体を動かすことが如何に大切かを教えられた。8月末からどうも腸の調子がよくない。 トイレに立つのが1日6、7回。まともな食事が出来ない。お粥を作ってもらってしのいでいる。 栄養補給のためカミさんが野菜や果物をミキサーにかけて毎日飲んでいたが、一向に良くならない。 ドクターからいろいろと薬をもらうが、思うような結果が出ない。一番困ったのは、透析中に便意を催すことだ。 一時血管に入っているチューブを止め、トイレに慌てて行くことになる。 毎回こんなことを繰り返す訳にもいかないから、下痢止めの頓服を飲み、事なきを得ている。 だが、透析室に入る前に必ずトイレに行くことにした。毎回それを繰り返していたら習慣になって、行かないと落ち着かない。

 9月の末になっていくらか良くはなったが、まだ本調子ではない。なんでこんなことが起きたのか、原因不明。 ドクターも、
「腸がただれているから時間をかけて直すしかない」
とお手上げの体たらく。夏中冷たい水を飲み過ぎたせいだろうか。 カミさんは、週刊誌で見たらしく、「過敏性腸症候群」というストレスからくる腸の疾患が流行っているという。
「ストレス? 何にもしないで、ごろごろしていてストレスなんか出るはずはないだろう」
「分かんないわよ。透析へ行くのが嫌だなと思っているのが、ストレスになっているのじゃないかしら」
 返す言葉もない。

 肝臓の異常は3ケ月たった今も特別の事態はおきていない。ただ毎週の血液検査の肝臓の数値は異常に高い。 覚悟の上だから仕方ない。腸の具合と関係ないと思うが……。

 ずうっとお粥に近い柔らかな食事をして、栄養になるものを取らずにいたせいか、輸血をする羽目になった。

 テレビで「過敏性腸症候群」のことをやっていた。栄養補給のための食物繊維や酸をとるのはいけない。 お粥に梅干しはつきもの。毎回食べていた。折角のジュースもいけないとは知らなかった。

 次から次へといろいろと起こるものだ。

◆ こんな病気の話は読む方も倦きることでしょう。書く方も気力にかけてきた。暫く休むことにします。 このまま終りにしたくない気持ちもあるが、果たしてどうなるか。

 休刊ということにさせて頂きます。長い間お付き合い頂き有難うございました。

06/9.30

 城井友治


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