「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2004年7月18日[掲載]


〔 風の便り 〕ー残年記ー

<84>

 6月23日(水)検査入院。いきなりCT、翌日はMRI。その間に耳鼻科、眼科と検査が始った。

 耳鼻科は鼻血が止まらない。眼科は糖尿病からくる眼底出血の有無。

 健康な人は、人間ドックで悪いところがないかとチェックするのだろうが、病気だらけの身体だから、さしづめポンコツ車を修理工場にいれて再生出来るか調べるようなもの。車だったら、
「こりゃ直しようがないですな。新しいのと入れ替えたらどうでしょう」
 そう言われるに決まっている。

 問題は糖尿病から来ている。腎機能の数値が高くなりつつある。このままではいずれ人工透析をするようになる。5月の中頃の膀胱癌の定期診断の時に言われた。すぐ腎臓内科に回されて、診断を受けたら入院加療となった。ほぼ一週間から十日ぐらいだからと、先生はカレンダーを見ている。

「ちょっと、あの……すみません。5月の末は用事があって……」
「だって別に仕事はしていないんだろう」
「はい、でも……」
 5月がいけないのならと6月のカレンダーを横目で……。
「6月か、一日か二日」
「三日まで旅行が決まっています」
「七日からの週はどう?」
「一週間だけですみますか?」
「検査の結果次第だね」
「13日の週もまずいんです」
「それなら、いつがいいのよ」

 先生もさすがにあきれている。次の21日の週を断ると、7月になってしまう。これはまずい。こっちから入院の日を言わないと、入院を拒否していると思われてしまう。

「23日からはどうでしょう」
「6月の23日ね。ひと月も先の話だ。その間に悪くなっても知らんよ」
 先生は突っ放すように言った。

 25日もお手伝いしている仕事がある。これは事情を話して替わって貰うしかない。 一日から三日まで、前号に書いた『熊野三山』の旅に出て、13日から2日間『戸隠』。『かたくり会』の定期旅。私だけは自由行動にして貰って、森林浴にひたりながら名物の蕎麦に舌鼓を打った。夕食に出たのが、旅館の親爺さんが山で採ったという山菜の数々。料理もよく美味しく食べて満足した。前に来た時、こんな料理が出ただろうか? 仲間に尋ねたが、誰も記憶がないと言う。ありきたりの献立だったに違いない。時期的には、この日あたりが山菜料理を出す限界のようだ。私の食事療法にぴったりなので、また来たいと訊いたら、来年の新芽時でないと、という返事だった。

 16日、17日は新潟県の燕三条の岩室温泉。劇作仲間の故石崎一正の記念のコーナーのある綿々亭『綿屋』。遠い縁つづきであったが、色々な経緯があって、彼は岩室を避けていた。亡くなる一年前ぐらいに往き来をするようになった。その当主の名物社長石崎栄松さんが亡くなって、一周忌が過ぎたことを知ったのはごく最近のことだ。

 生前石崎一正の面倒をずうっと見てきた小幡欣治、有高扶桑両君を誘って、『綿屋』を訪問した。跡を継いだ息子の健さんが大変な歓待をしてくれた。腕によりをかけた料理の数々に、食事制限をあっさり解除して、日本海の海の幸をこころゆくまで堪能した。

 こんな始末だったから、血液検査でどんな結果が出るか心配だった。悪くなって入院したんだ、「こりゃひどい」と叱られたら謝るしかないと腹を決めた。

 ところが不思議なことに、初日の採血の結果は、ヘモクロビンA1Cが正常値に近い、6・0いう数字だった。ひと月まえの7・0から下がっている。

「このひと月、よく節制したね。やれば出来るんだ」

 私はキョトンとしていた。悪い数字が出ることを覚悟していたからだ。間違いではないのか。名前も確認したし、シールを貼ってあったのも見た。採り違いはない。すると旅行以外の時のカミさんの食事のコントロールが功を奏したのか。

 ベッドに横たわりながら、あれこれと考えたが思い当たるものはない。先生は治療の仕甲斐があるとおもったのだろう。飲み薬をやめてインシュリンにしましょうと、3日目からインシュリンを打つ訓練が始った。血糖値を計るのは前からやっていたから問題はない。インシュリンの方は昔のイメージがあって抵抗があったが、最近の器械はひどく簡単に出来ていて使いやすい。注射器にインシュリンが内蔵されている。何単位か指定された数字のダイヤルを回して、プシュとやるだけだ。300単位の入った注射器は使い捨てである。 低血糖が心配だからと先生は何度も注意していた。注射を打ったら必ず食べ物を口にすること。低血糖の発作を起こしたら、それと分かるように、血糖値の手帳を身につけておき、葡萄糖や砂糖を常時携帯することなどを教えてくれた。

 入院しても点滴をして寝ている訳でもなく、ぼんやりしていることが多くなった。本を読むつもりで何冊か持って行ったが、眼底出血のせいか、活字を見ていると疲れた。この病院は、6人部屋でもゆったりしている。点滴をしている人、人工透析が始った人。抗がん剤のせいか坊主頭にしている人。なんの病気か分からない人。全く様々である。私の目の前の老人は定期的に輸血をしに入って来るらしい。いつも寝ているが鼾が派手で、時々アアーッと声をたてる。苦しいのかと思ったが、どうも鼾と同じ習慣らしい。起きている間はお喋りをしている人。相槌を打つと、昼寝も出来なくなってしまう。長患いの人もいるが、大体二週間ぐらいで患者は交替する。私の隣に入って来た人は、糖尿病教室にも出ているから、糖尿病なのだろう。しかし一日4回計る血糖値は私よりずうっと正常に近い。大変冗談好きで、看護師をからかっている。

「Aさん、消化器科で呼んでいます」
「火事はどこだ?」
「えっ? 火事なんかありませんよ」
「だって、今、消火器、消火器と言ってたじゃないか」
「いやねぇ、Aさんの胃腸の検査」

 医者の卵のような若い先生が時間を決めて回診にくる。様子見である。

「Aさん、調子はどうですか?」
「はぁお蔭様で順調です」
「もう少しの辛抱ですね。では診察しましょう。息を大きく吸って……」

 形とおりの診察。隣だからカーテン越しに会話は筒抜けである。
「先生、どうも胃の調子がおかしいんです。ツワリじゃないでしょうか?」

 先生はからかわれていることに気が付かない。
「男にツワリはありませんよ」

 真面目なのか、融通がきかないのか。真っ正直に答えている。
 回りではみんな口を押さえている。吹き出すのをこらえているのだ。

 私がもし若い先生だったら、
「ツワリねえ。では病室を換えましょう、産婦人科へ。ご婦人と同室という訳には行かないから、廊下にベッドを移しますかね」
とでも言ってやるのに……。

 担当してくれた看護師さんも明るい人で、マスクを時折してくるが、鼻の穴を出している。それじゃマスクをしている意味がないだろうと言うと、「この病室は大丈夫」と笑う。なにが大丈夫か知らないが、先輩の姿を見掛けると、横を向いてマスクを引き上げている。 男の病室では、月水金の週に3日風呂にはいれる。でも、点滴をしていたり、病状では風呂に入れない人もいる。そんな時は看護師さんが熱いタオルで背中などを拭いてくれる。 C看護師さんは、「あの変なタオル、持ってくる?」と患者に訊く。患者が頷くと、

「変なはないな。ねぇ変じゃないよね。ちゃんと消毒もしてあるし」

 自問自答してケラケラと笑う。それからというもの、Cさんには「変なタオル」というあだ名がついた。

 肝臓にシミのようなものがあるからと検査で退院が2日延びた。シミはなんだか精密検査でも分からない。カビなのかも知れない。70年も使っているのだ。五臓のうち脾臓をのぞいた全部に障害がある。生きている不思議さを実感した検査入院でした。

 七夕の前夜に家に帰ったが、若い頃と違って筋力の衰えはどうしようもない。それになにをやるのも面倒臭くなって来た。老化の印なのだろう。

◆   ◆   ◆

 寝転がってテレビや新聞を見ていると、くだらないことを考えるものだ。外国人と思われる犯罪が多いのは事実だろうが、襲われた被害者の声として、日本語でない言葉を話していたと報道されている。だから外国人に違いないと思ってしまうが、もし私が犯人なら、わざとカタコトの日本語を話し、さも外国人の犯罪のように見せかける。警察の目をくらますためだ。そういう奴はいないのだろうか。

◆   ◆   ◆

 たかが野球と思っていたが、パリーグの球団近鉄バファローズとオリックスが合併すると報道されると、それが波紋を呼んで、スポーツ新聞でもない一般紙の一面を飾る始末。 なんで経営がたちいかなくなったのか、それは選手の給料の暴騰だろう。それを押さえることが出来なくなって、毎年赤字が続く。球団は独立採算性をとっているが、その実態は親会社の資金援助でやりくりしている。買収する企業がないと言っていたら、それが現れた。今まで聞いたこともない企業で、どうも売名行為のように思えてならない。新聞テレビに取り上げられて一遍に名が知れた。

こういう頭のよい人はいつの時代にもいるもので、昭和40年代にスーパーマーケットが日本に上陸した時も、同じような中堅スーパーの経営者がいた。経済新聞の駆け出しの記者に、トピカルなニュースを流した。飛び付くようなニュースでもなかったが、話しの持って行きかたがうまかったから、新聞の記事となった。ほかのスーパーの経営者は、なんで彼のところだけが記事になるのかと不思議がった。一紙が扱うと、他紙もこれを追う。大変な広告代の節約だった。民衆は長い目で見ることはない。その場かぎりの感情で、救世主と思うのか、「近鉄を救って!」

 ベンチャー企業から立ち上がった経営者にどれだけ財力があるか知らない。新聞記事では取引先の金融機関とトラブルを起こしているとか。買えなくて元々。初めて見た近鉄の試合の切符代の投資だけで、何億かの宣伝費を得た。大したものである。評論家が集まって喧々ガクガク。ところでこの人たちは金を払って、近鉄の試合を見たことがあるんだろうか。10年契約をした選手がいた筈。あれはどうなるのか? まだまだ問題は山積しているようだ。どうなるのか、やじ馬は楽しみにしている。

◆   ◆   ◆

 今回は休もうと思っていた。でも、前号に入院の話しを書いたので、そのまま病院暮らしでへばってしまったのだろう。そう思われても困るので、長々と病院生活を綴った。 病いを得たからと言ってくよくよしても始らない。人間いつかは死ぬ。死ぬまで元気でありたいが本音です。始終同じことを書いているなぁ。これも老人性ナントカか。

 暑中お見舞い申し上げます。

04/7.14

 城井友治


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