「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2004年9月12日[掲載]


〔 風の便り 〕ー残年記ー

<86>

 オリンピックがテロの手にかからず無事にすんだのは、大変良かった。

 最後のマラソンで変なのが現れて、どうなるかと思っていたが、被害にあったブラジルの選手のおおらかな行為に救われた。

 犯人は前にも自動車レースのサーキットに飛び出している男だとか、世の中には変な人間もいるものだ。

 さすがに夜中に見ることはしなかったが、感激の毎日だった。これまで世界の頂点に立つための努力は並大抵でなかったろう。涙もろくなった爺さんは、テッシュの箱をだいぶ軽くした。

 女子レスリングの浜口親子に『破れ太鼓』を思い出し、また義父の村井菊次郎が、長男が出場したマラソン大会に自転車で追っかけた。父は息子に発破をかけているつもりなんだろうが、血圧の高い父がいつ倒れるか心配で思うように駆けることが出来なかったと、子は述懐していた。他人には異常とうつるかも知れないが、私には身近かに似たような人がいたから親子の情愛の深いのには感動する。

 金メダルを取れなかったから言う訳ではないが、勝敗の運はどっちに転ぶか分からないものだ。まして監督のいないチームなんだから、銅メタルを取れただけでも良しとすべきであろう。長嶋監督ファンには申し訳ないが、あれだけのチームを作って、監督不在はおかしい。病気になったから仕方がないと言う人もいるだろうが、あれは発病した時点で辞退すべきものだ。一茂君は恐らく辞退したと思う。まさか中畑監督代行が私がやりますと言ったとは思えない。それとなんで長嶋ジャパンなのか。長嶋さんがスポンサーになっているのか。よく分からない。

 長嶋さんをかつぎ上げたマスコミが悪いのか。バントに対する批判。私もテレビに向かって、「高校野球じゃねぇや!」と叫んだ。成功したから中村紀洋選手が大喜びでハイタッチしていたのは愛嬌だったが……。

 仲間のうちの明敏な人が言っていた。
「国旗に3と書いたから、長嶋さんは3位になるのを、いつものカンピューターで知っていたんだ」

 昔、昔のことになるが、たしか『オリンピックは参加することに意義がある』と言っていた。今度の大会では、メタル、メタルと大騒ぎして、誰も参加することに意義があると言う人はいない。やはり時代が変わったのだろうか。メタルはとれなくても、参加した人は胸を張っていい。日本じゃ一番の人たちではないか。

◆   ◆   ◆

 携帯電話の機能がどんどん進化して目を見張るものがある。しかし忘れられているものがある。それはマナーである。優先席の前では電源を切って下さいとアナウンスされても、優先席へ座って、平気で指を動かしている。音が出なければいいと思っているのだろうか。家庭でもそうだが、学校できちんと教えていないのだろうか。時間がないとは言わせない。朝、顔を会わせた時に、「お早うございます。乗り物の中では携帯の電源は切りましょう」それだけでも違うと思うが……。

 それよりも、メーカーはこれだけ携帯が売れているのに、電波がもれる対策をしていないのは怠慢ではないのか。

◆   ◆   ◆

 議員さんの学歴詐称から始って、牛肉、野菜の産地偽装が相次いだ。日本テレビのプロデューサーが金銭の授受で指弾されたと思ったら、NHKの看板プロデューサーがプロダクションから出演料の還流を受けていたと新聞の報道がうるさい。すると驚いたことに朝日新聞の記者が、取材したものをMDにして、ほかの取材者に売っていたことがばれた。NHKが新聞にやられた腹いせだったのか、築地の朝日新聞東京本社をヘリを飛ばして画面に写していた。建物を写したって関係ないだろうと思うが……。

 テレビででかでかとやったので、さぞかし大きく記事が出ているのかと探したが、第二社会面に、三段半ぐらいの大きさで出ていた。その記事に、記者を退社処分にしたと書いてあった。退社? 退職、懲戒免職ではないのか。その会社の規定だからなんとも言えないが、懲戒免職という言葉は官用語らしいと分かった。念のために広辞苑で、退社とひいたら、「@社員がその会社をやめること。対語、入社。A一日の仕事を終えて社員が会社から出ること。対語、出社」。

 どうも厳罰という感じがしない。ほかの会社では、こうした事例では解雇とはっきり書いてあったが……。

◆   ◆   ◆

 NHKの朝ドラ「天花」のオープニング・ソングがいい。中身は見ていないのでなんとも言えない。この15分間は食後横になる時間と重なる。目を閉じてなにも考えないことにしている。眠ってしまうこともある。そう言えば、テレビのドラマは見なくなった。だから最近の女優さんの名前を知らない。みんな同じ顔に見えてしまう。老化現象。

◆   ◆   ◆

 この便りに何度も登場している友人の元貴族の末裔、樋口輝剛(イサ坊)から電話があった。

「あのなぁ、ボルボが当たっちゃった」
「なに? ボルボって、あの自動車か?」
「そうだ。一度乗せてやるから、いつ都合がいい?」

 宝くじにでも当たったのかと思ったら、そうではなかった。あるチャリティがあって、その抽選に当たっと言う。それにしても豪華なものだ。

「で、いくら取られたの? チャリティじゃ相当寄付したんだろう」
「なに言ってるんだ。俺にそんな金がある筈ねぇのは知ってるじゃねぇか」

 それはそうだ。残念ながら、彼は没落した貧乏貴族である。我々庶民には縁のないところで、そういう家柄の集まりがあるらしい。会費も高く、それがチャリティに回されているようだ。毎年欧州車のデーラーが宣伝のために参加している。今年がボルボの車だった。チャリティに集まる人は、みんな自家用車を持っている。だから当たった人は右から左へ売り飛ばしてしまうらしい。それでは宣伝にならないと、今年から一年間無料で乗って、あとは当事者で相談しましょうということになったそうだ。

 ガソリン代は負担しなければならないが、後は一切デーラー持ち。すぐ彼は現在乗っているトヨタの車を売って、ボルボを乗り回すことになった。それで私を乗せてやろうという気になったのだ。

 彼は演劇プロデューサーである。仕事柄、名古屋、大阪と車で始終往復している。その点ではいい人に当たったものだ。運転していても全然疲れ方が違うと言う。

 一年たったら買わされるが、一年乗れば中古である。ボルボだったら日本車のように形を変えることもない。十年たっても古さを感じさせないだろう。家族も、

「お父さん、お金をためてこの車を買おうよ」
と言っているそうだ。
「車は十年もっても、運転する方ももたせないとねぇ」
と、彼は楽しそうに笑っていた。

 甘えて軽井沢まで乗せて貰った。泊まった宿でオリンピックの柔道の話が出て、古賀コーチは「姿三四郎」と言われたっけ。俺も昔ラジオで富田常雄さんの「姿三四郎」を放送したことがある。三四郎が檜垣源之助か源之丞かと戦う雪原のシーンを、越後湯沢に泊まり込んで書いたものだと自慢すると、イサ坊はびっくりして、講道館の嘉納治五郎門下の四天王と言われた一人が、うちの親父だよ。作家の富田常雄さんのお父さんも四天王の一人。姿のモデルは西郷四郎。富田さんは取材に彼の家をしばしば訪ねて来たと言う。

 お寺のシーンは、親父さんが話して聞かせたとのこと。いやぁ驚いた。長い付き合いだが、こんな話を聞いたのは始めてだ。戦前の講道館の資料が出て来たので、近々寄贈すると言っていた。

 家族ぐるみの付き合いに元TBSプロデューサーのタケさん(宮武昭夫)がいる。気が向くと、イサ坊が車に乗せて我が家を訪ねてくる。不思議なことに、彼も会社の何十周年かの記念パーティの福引きで車があたった。三人のうち、私だけがそんな栄誉に浴していない。すると口の悪いのが、

「そのうち、霊柩車が来るんじゃない?」

◆ 付き合っている病気のコーナー

 この便りを読んで頂いている方に、いかに糖尿病患者が多いか驚く。また病気の話か、と思われる健康な人はここは飛ばして下さい。

 インスリンを打つようになって、早いもので二か月近くになる。朝食前と夕食前に血糖値を計る。8月の平均値は朝で145。夕方は170であった。インスリンをやるようになってから、腹がへる。外出先で蒲焼きなんか食べると、数値はてきめんに上る。家でトーストを食べるか、蕎麦ぐらいだと上らないが、先だって食堂街を歩いているうちに、急に親子丼が食べたくなった。どうもこれは危ないと大半を残して家に帰ったが、なんか物足りない。家人が留守を幸い、豆大福を一つ口に入れ、リンゴジュースを飲んだ。どうなるか人体実験である。祈る思いで計ったら、298。いくらインスリンを打っても、食生活を改善しないと駄目なことが分かった。

 間食をやめて、粗食に甘んじることです。

◆ 食べ物にまつわる想い出。 〔チキンライス〕

 私は出版社をやめてから、民間放送局のラジオの仕事をしていた。キーステーション以外の地方局からの注文が来たり、こちらから売り込みに歩いていた。当時は地方局の東京支店が銀座の裏通りに並んでいた。電通、博報堂などの広告代理店とのからみがあったせいだろう。まとまった仕事ではなく、コマーシャルの繋ぎの原稿書きで、こんなこと自分でやればいいじゃないのと腹の中では思っても、原稿料の伝票を切ってくれるので、はいはいと言って引き受けていた。

 食事時間はどうしても不規則になる。その日も昼食を食いそびれて、どこかで食べなければと歩いていた。銀座にある店はどことなく乙にすました感じで入りにくい。一膳飯屋は新橋まで行かないとないようだ。と、プーンと香ばしい薫り。本物のバターでなにかを炒めている匂い。入ったこともないレストラン。思わずお尻の札入れを押さえた。さっき原稿料を貰ったばかりだから、多少の出費は大丈夫と腹を決めた。ボーイが大きなメニューを持って来た。

「すぐ出来るものはなにかね?」
「はい、ただ今の時間ですと、なんでも早く出来ますが……」
「うーむ、そうだな。夜は宴会があるし……、そうだチキンライスにしておこう」

 勿体ぶらずに初めからチキンライスと言えばよいものを、店の雰囲気につられていた。 ご飯粒がバターで光り輝いていた。ケチャップの程よい混合。うまかった。これほど品のよいチキンライスは、今まで口にしたことはなかった。

 それからというもの、銀座に出ると必ずそのレストランに寄ってチキンライスを食べた。ボーイは私の顔を見ると、大きなメニューを持って来なくなった。チキンライスしか注文しないからだ。

 ラジオの仕事をはなれ、義父の家業を手伝うようになって、10年が過ぎた。ある日銀座の裏通りを歩いていた時、ふと昔のレストランを思い出した。チキンライスを注文したが、なんの変哲もない、どこにでもあるチキンライスだった。

 10年間のうちにコックも替わったのか、それとも私の味覚が変わったのか。

04/9.10

 城井友治


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