「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2004年11月14日[掲載]


〔 風の便り 〕ー残年記ー

<88>

 長雨で洪水にあったと思ったら、新潟県の中越地方で阪神大震災と同程度の地震に襲われた。最初の10月23日の午後5時56分では、横浜でもドスンと大きく揺れた。二度三度と同じような規模の揺れがくると、これはただ事でないと慌ててテレビのスイッチを入れた。

 この時点では流れ出るテロップは、ただ新潟県中部とだけで、津波の心配を促すのはいつもの地震情報と変わらなかった。

 しかし、時間がたつにつれて、尋常でないことが分かって来たようだが、暗くなる一方のために正確なことは掴めなかった。

 日が上るにつれ、道路が寸断され、新幹線が脱線しているニュースがテレビに映し出されて、始めて大地震が発生したことを知った。

 静かな山間の村の地下10キロが震源地という。ライフラインの断絶で、村の居住者全員の避難指示が出たところもある。なにしろ電気が切れてしまうと、情報が皆無に等しい。度重なる余震に命からがら逃げたが、多くの人が家屋の下敷きになって命を失った。

 都会の高層ビルを見るにつけ、地震が来たら、本当に大丈夫なのかと疑問を抱く。いつも災害のたびに、「予想以上の……」という言葉を聞かされているからだ。

 大きな体育館の中で眠るよりは、自分の車の中で寝た方がよいと思うのは自然だ。しかし、自家用車の中で、エコノミークラス症候群で亡くなる人が何人もいた。これは飛行機の中でじっと同じ姿勢で何時間もいると、足に発生した血塊が心臓を止めてしまうという病気。身動きとれない機内のエコノミークラスに乗る人に多く発生したから、この言葉が生まれたように記憶している。人間は寝ている間も結構身体を動かしているらしい。寝返りが出来ない車の座席だと、この危険性が高い。気をつけて欲しいものだ。

 余震が立て続けに起きている。それも大きい。現地で避難している人たちは恐ろしい思いにおののいていることだろう。

 災害のあった新潟はもともと雪深いところ。これから寒くなる一方だ。一日も早く通常の生活に戻れるよう支援をお願いしたい。

◆ 新潟の中越地方は、現在では錦鯉で有名なところだが、もともと小千谷は縮(ちじみ)で知られた場所。越後上布の産地である。義父は越後湯沢の旅館に滞在して、近在の農家で飼育している豚の買い付けをしていた。最近のように多頭飼育をしていない時代のことで、農家が兼業として飼っている一頭、二頭の豚を集荷するのだ。豚屋の親方である。勿論自分一人で出来る筈はないから、何人かの人に手助けして貰っていた。

その中に、高野さんという国鉄(今のJR)に勤めながらマタギのような生活をしている人がいた。私たち家族がスキーに訪れると必ず現れて、「お父さんは元気かのう」と挨拶に来た。国鉄勤務といっても、高野さんは保安要員のような仕事で、線路の状態の見回りが主であった。土地柄、接する人たちの親切さに惚れ込んで、義父は毎年のように豚の仕入れに足を運んだ。そして行くたびに母へ土産にと小千谷縮を買って来た。

 今は店で小千谷の農家からコシヒカリを仕入れている。災害の様子を見るにつけ、心が痛む日々である。

◆ 毎日殺人事件の報道にはうんざりする。この飽食の時代に子供が餓死させられたという。一体どういう神経の親なんだと憤りを覚える。獣だって鳥だって、子供に与える餌を捕るのに必死である。差別用語になるか知らないが、犬畜生にも劣る。どうしてこうなってしまったのか。常識の通用しない時代である。

 またまた青年がテロリストにつかまって、殺された。自分の眼でイラクの現状を確かめたいと言う。隣国のヨルダンで泊まったホテルの人たちにも、危険だから行くな、と止められたのにも拘らず、イラクに入って、テロに会った。それだけの制止を振り切って行くからには死を覚悟してのことだろうに、掴まったら、日本に帰りたいと訴えていた。

 毎日毎日が戦闘に明け暮れている場所に、現状を確かめたいという単純な理由で、入国して来たと誰が信じるのだろうか。人の命にかかわることだから、敢えて厳しい発言は控えているのだろうが、腹立たしい思いをしている人たちも多い筈だ。

◆ 太陽は東から昇って西へ沈む。日本に住んでいれば、こんなことは常識である。ところが最近は知らない子供が多いという。本当かね? 学校で教えないから。なんでもかんでも学校のせいにするが、問題は家庭での対話だろう。

◆ 野球に興味のない方にはどうでもいいことだろうが、ここのところプロ野球を巡るごたごたが多い。近鉄とオリックスが合併することから始って、選手のストライキ。明治大学の選手の獲得で金銭の授受があったとかで、巨人のオーナーがやめ、横浜と阪神がやはり同じように車代とかなんとかで、お金を渡していたことが露見して、これも各オーナーがやめてしまった。自由枠とかで、大学、社会人が逆指名出来るという制度を作ったのがおかしい。

前年の成績が弱かったチームに優先的に指名権を与えていたのが、ドラフトのいいところだった。だが、誰が言い出したのか、希望する球団に入れないのは人権問題と騒ぎたてる人がいて、自由枠が生まれたのだろう。逆指名されれば、球団は心変わりのしないように、お金で縛ることを考える。今に始ったことではない。強いチームがどんどん強くなって、弱いところは補強も出来なければ、ゲームの面白味は半減する。現に、パリーグのプレイオフの日本ハムと西武、ダイエーの試合は白熱して面白かった。

 今年から生まれたパリーグのプレイオフの制度は、優勝したダイエーには気の毒な結果を生んだ。パリーグで優勝したのがダイエーということが忘れられてしまった。2位と3位が戦い、優勝したチームに挑戦する。もっともらしいが、実戦を重ねて来たチームの勢いが違った。来年はその辺をどうするのか、見ものである。このプレイオフをセリーグでやったら、巨人だって優勝したかも知れない。日本一になったかも知れない。身びいきな巨人ファンだったらそう思っただろう。楽天の新規参入が決まったら、ダイエーばかりか西武まで売りに出された。パリーグはどうなってしまうのか。

◆ 付き合っている病気のコーナー

 皮膚科の話。40年以上も食い物商売をやり、立ちぱなしで仕事をしてきた。その頃は体重も80`をきることは先ずなかった。足の甲に鬱血したアザのようなものが出来た。皮膚科の先生に診察して貰うと、

「末端の静脈が切れてこうなる。一種の職業病だね。足をあげていると治るよ」

 足をあげていろと言われても、事務所にいてふんぞり返っている訳ではない。西部劇のシェリフが靴のまま机の上に脚をあげているのを思い浮かべたが、毎日いらっしゃいませで始る客商売である。レジのおいてあるデスクに足をあげてなんてことは出来ない。

 痛くも痒くもない。触っても皮膚が炎症をおこしている訳ではない。ただ赤くなっているだけだ。貰った薬が、トランザミン(血管強化剤)とシナール(ビタミンC)。これをずうっと飲み続けている。それと、風呂あがりに患部に塗るリドメックスとアセチロールを混和したものを貰った。

 ほかの病気で入院した時に、飲んでいる薬を出すと、トランザミンとシナールは入院中も飲んで差し支えないと言われた。何日かたって、回診の若い先生が、

「皮膚科にかかっているらしいけど……」
と言ったので、足を見せ、
「シャンバーク病って言うらしいよ」
「えっ? なんですって?」

 なんでこんな奇妙な病名を覚えているかと言うと、私も聞いた時に、ハンバークと聞こえたから、先生に聞き返した。それで先生は名刺に病名を書いてくれたのだ。

 次の回診の時に、若い先生は早速医局で調べたらしく、
「やぁ勉強になった。今飲んでる薬が効くと書いてあった。有難う」

 最近になって、右手の甲をぶっつけると、赤くはれ上がる。郵便物を取ろうとして、ガラス戸でこする。なにかの拍子に当たるとそこに痣が出来る。感じの良いものではない。ところが一、二週間もすると痣は消えてしまう。元どおりの手の甲である。なんでこんな現象が起きるのか。仲間に見せると、「お前、昔のやつが出たのと違うか?」

冗談じゃない。気味悪くなって皮膚科の先生におうかがいを立てた。

「ああ、長い期間軟膏を塗ってると、皮膚が弱くなって、そういう現象が起こるよ。一週間もすれば消える筈だな」

 手の甲に軟膏を塗った覚えはない。おかしいな。ふっと気が付いた。いつも足に軟膏を塗るのは、右手の指だ。指先から薬がしみたのか。それに違いない、と薬局へ使い捨ての手袋を買い行った。薬局の店員は私の顔をしげしげと見て、

「お客さん、こちらがお得ですよ」
すすめてくれたのは百枚入りの箱だった。箱の表面に『おむつとりかえ手袋』とあった。 おむつじゃないんだと言おうとしたが、年格好からすればそう思われても仕方がない。うーむ、いよいよ近付いて来たなと実感。

◆ 食べ物にまつわる想い出。 〔フレンチフライ〕

 誰でもそうらしいが、近ごろは昔のことを思い出すのに、最近のことはとんと頭に入らない。老化の基本的なことらしい。今回は私の友人の話である。

 戦後のフランス映画にかぶれて、アテネフランセに通ってフランス語に熱をあげていた時期があった。何事によらず中途半端な私はすぐやめてしまったが、友人のKは熱心で、上達も早かった。驚いたことに、パリの街中の地図が頭に入っていて、どこそこにポストがあって、その横町を曲がって2軒目にこういう店がある。いい加減なことを言いやがってと思っていたが、これが間違いでないと分かったのは、だいぶ経ってからだ。裕福であれば、憧れのパリへ飛んで行っただろうが、その頃は貧しい一青年だった。

 一流のフランス料理店に入って、ボーイをはべらせてみたいと思うだけで、そんなことは夢のまた夢。

 新宿をぶらついていた時、表の看板に書かれているメニューに「フレンチフライ」とあった。彼はすぐ映画からの連想で、フライはキスに違いないと思った。ウエイターがメニューを持って来た。見るが、見当たらない。看板の、と言おうとしてよく見たら、看板と同じに一番下に書いてあった。これ、これ、「フレンチフライとライス」ウエイターが一瞬変な顔をしたが、彼は気が付かなかった。値段からいって、キスは半身かなぁなどと待っていた。暫くしてテーブルに運ばれて来たのは、山盛りのポテトフライと御飯だった。「これ違うんじゃない」と言おうとした彼の口を遮るように、

「フレンチフライとライスでございます。ほかにご注文はございませんね」
 フレンチフライとはポテトフライのことか。彼は熱いポテトを頬張り、ほうほうの体で店を出たという。

 私もフレンチフライがポテトであるとは、その時まで知らなかった。

04/11.10

 城井友治


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