「文学横浜の会」

 随筆(城井友治)

これまでの随筆

2005年10月16日[掲載]


〔 風の便り 〕ー残年記ー

<96>

 病気の癒しのためにと、友人から小唄『あじさい』が送られて来た。有難く感謝の極みである。

 残念なことに、私に邦楽の嗜みがない。しかし、聞いているうちに思い出すことがあった。 邦楽とひと口に言っても、幅広い。これからの話しは、その中の『哥沢』である。

 現役で仕事をしていた頃だから、40年も前のことだ。
 ある日のこと、取引先の営業部長さんから電話があった。
「なぁ君なら知ってると思うが、『哥沢』の三味線がひけるのは、 関東広しと言えども横浜の神奈川台町に一人しかいないの、知ってる?」

 なんで私に電話をして来たのか分からないが、恐らく趣味人同志の話しがはずんだ末のことなのだろう。
 三味線ひきの芸妓さんのことまで知っている訳ではないが、ここで知りませんでは実もふたもない。
「ええ、お話しは伺っています。××屋でしょう」
「おおそうだ」
「お妓さんのお名前は?」
「××屋に『哥沢』の三味線ひきと言えば分かるよ」
「部長のご都合は?」
「うん、そうだな、今度の土曜なら三時すぎ。まあ相手の都合もあるしな」
「はい、分かりました。折り返し電話します」

 こういうことはもたもたしていてはいけない。横浜でも著名な店に顔なんか効かない。
 親父の名前を利用するしかないと思いついた。
「あのう、食肉組合の村井の倅ですが……」
「あら、村井さん。毎度有難うございます」
「今度の土曜日三時頃から『哥沢』の三味線ひく芸者さん呼べるかな」
「土曜日三時ですね。はい、分かりました。何人様でしょうか」
「大丈夫なの?」
「〇〇さんでしょう、いらっしゃるの」
「よく知ってるね」
「『哥沢』ったら決まっていますもの」
「へぇ、誰かお供があるから3人かなぁ」
「村井さんもお見えですか?」
「親父? 倅の僕が行くだけ、なんで?」
「近ごろご無沙汰していますので」
「親父も全国の会合で飛び回っているんでね。私も会うのが久し振りのことがある」
「あら、そうですの。よろしくお伝え下さいね」

というようなことで、土曜日になった。部長は満面笑みを浮かべ、お供の社員はしかめ面をしていた。 座敷に入ると、老妓が一人三味線をかかえて、我々の姿を見ると、頭を下げた。 ああおふくろと同じ年頃かなあと思った。

 お座敷で聞く、始めての『哥沢』。常磐津か長唄かの区別もつかない身にとって、いいも悪いも分かる筈はない。 ただ、老妓の三味線のバチさばきと奏でる音のたくみさに感心した。一曲終って、老妓は次室に引き下がった。 拍手を送った後、

「いやぁ、素晴らしい、まったく素晴らしい。なんという三味線の妙技でしょう」
 言わなきぁよいのに、お供の社員もつられて、三味線を褒めそやした。

 部長は面白くない顔をして、
「君達は、今日僕の『哥沢』を聞いてくれてるんじゃないの? 三味線を聞きに来たのなら別室でどうぞ」
 しまった。これはまずい。
「いやいや、部長の『哥沢』は名人芸ですから……。 なるほど広い世間にたった一人しかいない老妓の技に感嘆しただけのことです」

 なんとかご機嫌をむすんでもらい、また一曲。
 こりゃあ落語の『寝床』だなぁと思いながら聞き入った。

 しかし、後に部長が『三越邦楽名人会』に出演したくらいだから、趣味を通り越したものだったようだ。 『哥沢』が分かる奴と思われたのか、名人会の度に招待して頂いた。

 友人からの小唄『あじさい』を聞きながら、懐かしい思い出にひたることが出来た。

◆ 原辰徳さんが退任した堀内監督の後を受けて、巨人軍の監督に収まった。

 2年前、9連敗した時に監督を首になった。 9連敗したら9連勝すればいいじゃないかとファンは、原さんに同情し憤慨した。 巨人軍の傘下に残るらしいと聞き、そんなもの蹴飛ばせとまで言うファンがいて新聞紙上を賑わせた。

 ところが今期の成績が不振を極めてくると、次期監督に取り沙汰されたのが、阪神の星野仙一氏。 引き受ける筈もないのにマスコミは騒ぎ立てた。星野氏は、原君が助監督なら、と言ったとか。 原がそれを断ったと言う。断る筈である。この時すでに原の次期監督は決まっていた節がある。 球団ボスの渡辺氏が、

「原君には2、3年勉強しろと言ってある。あくまでも人事異動のことで、問題ない」
 原さんは、あの時その日が来るのを待っていたことになる。巧みな宣伝の網にファンは取り込まれたようだ。
「全身全霊を傾けて、愛する巨人軍を優勝させます」

 意気や壮なりと思うが、なんとなく白けるなぁ。巨人ファンよ、ごめんなさい。

◆ シャントを左腕にした時、圧迫しないために腕時計をはめないことや、 手首を締め付けるようなシャツは着ないで下さいと言われた。右手に時計をするのは、どうも抵抗がある。 それで、昔買ったちょっと洒落た懐中時計を取り出した。まだ使える。竜頭を巻くと秒針が軽やかに動きだした。 ほほう、これは儲け物だ。一日おきの病院通いに持って行くことにした。

 ところがゼンマイ巻の時計は、2日間ともたない。その度に竜頭を巻く。 時計を実用品と考えているから、これには参った。仕方がない、一丁おごるか。 通信販売のカタログをみると、1万数千円している。 安いのでいいんだがなぁと、近くのホームセンターの売り場を覗いた。

 文字盤が見やすいのが条件だ。昔の鉄道時計のようなものが飾られてある。これでいい。 手に取って、値段を見て驚いた。980円。間違いではないのか。特売なのかも知れないと、急いで買った。 電池交換とほぼ同じ値段とは……。竜頭を巻く不便さはなくなった。今でも無事に動いている。 暫くして、また店の売り場を覗いた。たった一つ、売れ残ったのか、ぶら下がっていた。 買わないと損するみたいな衝動にかられて、それを買った。
だから、2本のズボンにクォーツの懐中時計がそれぞれ鎮座している。

◆透析あれこれ◆

 脳のCTの結果は異常なしだった。気になるのでしたら、神経内科を受診しますかと訊かれたが、断った。 ある面では、病気は知らない方がよいときもある。 長時間に渉ってペンを持つと力が抜けるが、調子が良ければ不自由ではない。ただ根気がなくなった。

 CTのことで、畏友の坂本君から仕事の上で目にしたものだがと、メールをもらった。その紹介をします。
     国民1人当たりの放射線受診回数はOECD諸国の5.6/年に対し、
     日本は14.5/年という。さらに世界15カ国の人口100万人あた
     りのCT台数は、平均16。日本は64とダントツ。アメリカ、スイス
     が26がこれに次ぎあとは推してしるべし。

 なるほど、すぐCTを撮りましょうというのも分かる。高価な機械の償却のためなんだろう。 CTでもMRIでも素人が見ても分からない。お医者さんには頼もしい機械なんでしょう。

 透析が始まる前の待合室の一角で雑談を耳にすると、だいたいが私より先輩だから参考になる。
「俺の友達は、透析を始めて1年半で死んじゃった。あっけないもんだ。俺もいつかいつかと思いながら7年たった。 どうもそろそろらしいな」

 誰もが明日は我が身と思っているから、黙って聞いている。
「1年半で亡くなったご友人、亡くなる前の兆候はどんなでした?」
「さあな、どうだったかな」

 なんでそんなことを訊いたかと言うと、それが分かれば覚悟の仕様があると思ったからだ。 もし1年しかなければどうする? 5月の末に始めて、半年は過ぎる。 その間身の処し方を考えては忘れ、一向に捗らない。 資料にしても、もう書く時間がないから捨てようと思いながら読む出すと、また元の場所に置いてしまう。

 未練なんだなぁ。透析をやっていて死亡にいたる原因は、心不全による突然死が多いらしい。 なんでそうなるのか、分からないだらけで透析に通っていたら、毎週水曜日に来るお医者さんが、
「私が書いた本があるけど読んでみる?」
とおっしゃった。早速本屋に行ったが、題名がなんであったか、家庭医学のコーナーを探したが見つからない。 先生の名前を言って、店員に探して貰った。 ちょっと長ったらしい題名でとご本人が照れ臭そうに言ったが、なるほど一見変な題名だ。 でも、本書に目を通すと分かる。

 透析患者の体重が増えるのは、ほとんどが水分の過重な摂取によるものとの教え。 早速私のドライウエイトで決められた水を、ペットボトルに入れて計ってみた。 朝起きて、お茶を一杯、食事、果物、食後の薬。 飲んだ水分の量をペットボトルから引くと、あっと言う間に3分の1以上が消えた。昼間の食事、3時のお茶。 うっかりするとそれだけで、ペットボトルは空になる。こりゃいけない。 このほか思い当たる数々の疑問が丁寧に書いてある。透析を始めて間もないと不安が先立つものだ。 大変参考になった。

 後は、自分でどうするかである。

  『ペットボトルはペットのボトル』
   誰も苦しまない長生きのための血液透析入門書
   矢花 眞知子 著
   発行所 慧文社
   東京都板橋区小豆沢2−22−16−2A
         TEL:03−5392−6069
         FAX:03−5392−6078
         定価 1800円+税

05/10.14

 城井友治


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