「文学横浜の会」

 随筆

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2007年02月10日


「声色」

ー ふくやみなこ ー

 同窓会誌から原稿の依頼を受けた。
 しかし、文章の組み方が実にむずかしい。
 長い間パソコンを使ってきたものの、同じ形式の繰り返しでことがすんでいたので、特別なことが私にはできない。夫も得意分野だけは理解しているのだが、「ワード」のことはくわしくないのだ。

 あるとき、パソコンに振り回されて、すっかり疲れてしまった私は、おそるおそる夫に尋ねた。
「いつか、ポストに『出張教授をします』というチラシが入っていたでしょう。そこへ電話してみようかしら。二件ほど取ってあるのよ」
「こんなに、恐ろしい世の中だから、どんな人が来るか分からない」
 のっけから、夫は反対であった。
「でも、じりじりしながら無駄な時間を使っていても仕方がないでしょう」

 私は無愛想に反論した。
「慌てないで気心が知れた人を捜すんだな」
 なにやら素っ気ない。夫は私よりずっと気長な気質のせいか、私の苛立つ気持ちは分かってくれなかった。私は思い立ったように言った。
「あなた、電話で当たってみて、声色でいきましよう。応対の感じが良かったら頼んでみるわ。人柄って声に出るものよ」

 私は心を決めて、番号を押した。
 初めにかけたところは女性が出た。私と同世代に感じられた。
「わたくしどもでは、二時間単位で七千六百円です。お宅はどちらですか? 場所によっては交通費もいただきます」

「私、まるっきり初心者ではないので、例えば十分で問題が解決しても、そのお値段ですか?」
 言い淀んでいるのか、相手は返事をしない。
「考えてみます」
 私は電話を切った。

 もう一件のチラシを取り出してみた。そこには「A4」の用紙に、困ったときの状態がそれぞれ漫画で描かれてあり、「半額堂」とお店の名まえが入っていた。
「ここにもかけてみるわ」
 すると夫がまた水を差した。
「なんでも屋さんみたいだから、僕は反対」
 私は意地になった。「当たって砕けろ」ではないかと−

 ためらいながら電話をかけると、思いがけず、受話器の向こうから景気のいい気さくな男の声が聞こえてきた。
「わたくしどもでは、一時間三千円いただいています。今日午後二時ごろいかがでしょう? 粟田町はこの近くですから、すぐ分かります」
 胸を撫でおろして私は椅子にすわった。
「あなた、良さそうな人よ。迷いなく頼む気になっちゃった。意外に人の声って正直に人柄を出すわね」
 自分の感触に確かな自信があった。

 その日の午後一時四十五分、玄関のブザーが鳴った。
 こわごわ扉を開けると、五十歳がらみに見える白いポロシャツを着た男性が立っていた。
    私と目が合った瞬間、その人はほっとした顔つきをした。

 私もにっこり笑った。浅黒いよく肥った丸顔の人で鼻も丸い。一重瞼の目がやさしかった。
「どうぞ、どうぞ」
 早速、部屋へ通して、夫と交互に希望の形に組めない理由を話すと、彼は笑い出した。
「たった一つの操作が抜けているのですよ。どのお客さんも同じです。それに気づかないのですよ」
 彼は「ファイル」マークの目録を出して、カーソルを一つ動かした。

「なあんだ! それでよかったのですか?」
 私は急に心が軽くなってしまった。
「お宅、一休みなさって」
 冷えたオレンジジュースを机に並べた。

「せっかくの機会ですから、絵模様を挿入する方法も教えてあげましょう」
 時間が長くなると、高くついてしまう。私は気が気ではなかった。それでも彼は、太い指を自在に回して説明に余念がなかった。
 突然、改まってその人は私に訊いた。
「奥さん、もの書く人ですか?」
「趣味でね。少しばかり」
「パソコンよりむずかしいことやってんのにパソコンが分かんないかねぇ」

 まじまじと、私の顔を見て彼は不思議そうな顔つきをした。
 私はため息をついた。
「奥さん、わたしわね、五郎橋の近くで古本屋をやっていたのですよ。本を並べちゃうと後は暇でしょ」
 黙って聞いていると身の上話はどんどん進む。得意になって話は弾んだ。
「そこでね、奥さん、わたしは独学でパソコンの勉強をして、今は修理、指導、古道具の改善、どれもやってます」
 たちまち一時間が過ぎた。やれやれ、これで安心、重宝な人が見つかった。私の声色の感触は間違ってはいなかった。
「ぼくのも今度見てもらおうかなぁ」
 夫が、おもむろに口を開いた。


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