「文学横浜の会」

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2008年02月18日


「毒見箸」

 最近テレビで映画「武士の一分」を見た。三村新乃丞(木村拓也)は東北小藩のお毒見役。藩主の食事の毒見をして毎日をくらしている。免許皆伝の腕前であるが、戦乱の収まった世の中、剣では身が立たない。下級武士の三村はバカバカしくも生活のため毒見を続けるしかなかった。御毒見という役のあることを知ってはいたが、実際映像を通してみると、それぞれ一人ずつ計5名が1列に並んで座り、膳が運ばれるのを待っている。運ばれてくると5人は無言でそれらを食べる。側で上司が5人の顔を覗き込み「大丈夫か」などと声を掛け、異変がないか様子を伺い判断をする。それから殿様に膳が運ばれる仕組みだ。今日の勤めも無事終わったと5人は安堵する。

 ある日3食汁物の武士がつぶやく。
「三村、今日の膳は何か」
「アサツブ貝の刺身です」
「ええな、わしゃ、汁物は飽きた。たまには魚が食いてえ」
 三村は4番目の魚の毒見役。石高の多い順から並んでいるのであろうか。
 汁物武士に対する言葉づかいが丁寧だ。

 しかし三村はアサツブ貝の毒にあたってしまう。藩主暗殺の陰謀か?それなら主君を守ってのお役目冥利だが現代でいう食あたり。生死をさ迷い挙句の果てに失明。親戚からは行く末を案じられ、妻が他の男と関係を持ったと思いこみ実家へ帰してしまう。すべてを失くしただ生きている信乃丞。自分はただ生かされているだけなのか?もう生きていくすべはないのか?苦悩の日々。

 どん底に落とされた三村に藩から異例の救いの手が伸びる。なんとか生活は続けていけそうだ。しかしそこに妻と密会を重ねていた上司の陰謀があったことを知る。

 映像はここで終わらない。果し合いの場で彼は音(気配)だけをたよりに相手に挑む。もう失うものは何も無い。だが、上司という地位を利用して妻の体をもてあそんだ男を許すわけにはいかない。三村は「武士の一分」と言うやいなや上司の腕に刃を突き刺した。すべてを失ったかに見えた彼に男を見た。いい映画であった。

 そういえば中国には昔銀製の毒見箸があったと訊いた。銀が砒素に反応して変色する。権力者が用心のため、この箸を用いたのも納得できる。

 ここ数日新聞を賑わしている「冷凍餃子」に銀箸ならぬ銀センサーはなかったのか。加工食品のチックの甘さを指摘された結果となった。日本も同様工場はもちろんのこと「行政の一分」をかけて食の安全に取り組んでもらいたい。最後に保険会社が行なっている川柳にこんなのがあった。「箸つけたオレを見てから食べる妻」(武士の何分?さん)ああ、いやな世の中だ。

(こいけ 志穂)


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